モバイル『芦田の毎日』

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総集編:子供に携帯電話を持たせてはいけない ― 家族と親の役割(2006-11-09 21:11:47)へのコメント

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by 703号の弟子(2006-11-12 03:25:02)

芦田先生

>あなたは、私が周到に使い分けていることばを括弧を使ってあたかも私が使ったかのように論じている。それは避けるべきです。大学院の修士課程に在籍しているのならなおさら注意すべきです。

全く以ってお恥ずかしい限りです…。
以後よくよく注意致します。(ありがとうございます!)


携帯電話を使う中高生のほとんどにとって、「歴史」なんてものは、自分が物心ついてから(それはほとんど“テレビ”を見る習慣が出来た頃から)現在まで自分が生きている間程度のものです。

教養としての「歴史」を学んでいる者でも、中高生までにそれを現実の自分とリンクさせて考えることが出来る(その必要がある)者などほぼ皆無でしょう。

だとすれば、「使い手」である子供は、“無垢に近い主体”である、と言えるのではないでしょうか。その「使い手」たちは、自分の「歴史」を元にそれぞれが「モラル」を抱いているのではないでしょうか。

新たに革新的な存在が登場することによって、世界は再構成されるものだとしても、再構成される側である「使い手」は“使う”ことによっていつしか“再構成するもの”となるのではないでしょうか。つまり、再構成するものと再構成されるものとは、常に逆転しあって世界(社会)は発展するものと思います。ですから、再構成するものともなり得る「使い手」の「モラル」が問題にならない訳はないと思います。

制度や文化による再構成に「モラル」など関係ない、がまかり通れば、例えば、給食費を滞納する親達による「義務教育である中学校や小学校での給食は、誰も食べさせてくれなんてお願いしてないし、NHKの受信料だって払ってない人いっぱいいるんだから、そんなもん払う必要ないわ。おいしくもないくせに。」というような論理が正しいことになる気がします。


ところで、今日(11/11)放送のフジテレビ「たけしの日本教育白書2006」の中で、ビートたけし&爆笑問題&石原慎太郎&久米宏の討論があったのですが、そこで石原慎太郎が、まさにジャイアン先生の仰ることと同じように、携帯電話を子供に持たせるべきでない、という話をしていました。

僕にとって面白かったのは、それに対して久米宏が慎太郎に言った「後戻りはできないんですよ。」という言葉でした。それは、慎太郎の、日本人の品格の低迷は平和ボケにあるが、戦時中のようなある種の緊張感がなければダメだ、という一連の発言に対しての言葉でした。

また、久米宏は「テレビの品格」について、犯罪についての報道をやっていた時に、勿論伝えるべきなのだが、伝えることで類似犯が発生することもいつも危惧していた、というような事も言っていました。

しかし、これまでの文脈丸つぶしですが(また通俗的かもしれませんが)、はっきり言って、少なくとも15歳までは携帯電話など持たせるべきではないと思います。欲しい!という思いを強く抱いてから、しばらく我慢させた後に持たせればいいと思います。


by ashida(2006-11-12 03:26:15)

「703号の弟子」様

あなたの読み方は、いつも断片が基本になっています。どんな文章も(どんなに長い文章も)、一つのことが言いたいだけだ、ということをあなたはまったくわかっていません。修士論文や博士論文を書く場合も、大抵の大学院の諸君は、都合のいいところだけを抜き出して“引用”や“批評”を行います。

それはしかし“引用”でも“批評”でもありません。全体がわからないのに、〈批評〉(や感想)を書き出してはいけないのです。何度も文章全体を読み返して、相手が何を言いたいのか、相手のイメージしているものは何なのか、まず理解すること、それがわかりもしないのに〈批評〉を書き出してはいけないのです。相手の言うことを相手よりもうまく言ってやる、これくらいの気持ちになったときに、始めて〈批評〉が始まります。

それがわからないときには、素直に「わかりません」と言えばいいのです。中途半端に反論なんかしてはいけません。ますます不勉強と無知をさらすだけです。

「新たに革新的な存在が登場することによって、世界は再構成されるものだとしても、再構成される側である「使い手」は“使う”ことによっていつしか“再構成するもの”となるのではないでしょうか。つまり、再構成するものと再構成されるものとは、常に逆転しあって世界(社会)は発展するものと思います。ですから、再構成するものともなり得る「使い手」の「モラル」が問題にならない訳はないと思います」。

あなたの言いたいことの一番深い箇所は、このフレーズです。でも、わからないかなあ。新幹線(あるいは核爆弾)の存在と新幹線の利用の有無のモラルとは何の関係もありません。新幹線が〈ある〉ことと、新幹線に乗りたくない人がいることとは何の関係もありません。新幹線に乗りたくない人がいるのは、それ自体、新幹線現象です。モラルよりも、この新幹線〈現象〉の方が大きいのです。

あなたの言う「モラル」は、つまらない説教と変わりがありません。そんなことはどうでもよいことです。

何度読んでも、あなたの思考には、まだまだ“世俗"を感じます。

テレビを見る、ニュースを見る、友達と話す、本を読む、すべてが生活=出来事になっていて、純粋な思考になっていません。世界を見極めたいのなら(私にもなかなかそれが出来ていませんが)、もっと世俗のアカを(とりあえずは)落とさないと。

友達より、ちょっとばかり物知りだから、と言って相対的な知識の総量を競っても意味がない。思考はどんな知識とも無縁です。

(と、あなたの指導教授の代わりに言っておきます)


by 703号(2006-11-16 23:57:26)

11月12日の「〈情報化社会〉というのは結局のところ、知見を拡大させているのではなくて、単に自己をインフレさせているだけ」というご指摘,大変興味深く感じました。「情報のインフレ」という概念には,いろいろ考えさせられます。

別の文脈になってしまって恐縮ですが,僕は,現代は,真実がわからない時代になってしまったと感じています。「テレビ」も「新聞」も,もはや信じられない時代になってしまったと思うのです。911でさえ,真実がどうであったか,僕にはわかりません(多くの犠牲者がいるという事実だけは真実ですが…)。

「家庭」や「学校」が,社会に対する「小空間」として確固たる役割を果たさなければならないということは僕もわかっているつもりですが,「情報のインフレ」下において,これまでの「家庭」や「学校」がどれほどの真実を語りえるのかということに疑問を感じはじめています。今の「家庭」や「学校」の中には,もはや真実はないという真実すらもないかもしれない。だから,「家庭」も「学校」も変わりはじめているのではないか思えてならないのです。

一つ,僕のあさはかな理解に基づく,不躾でへんてこりんな質問をさせていただくことをお許しください。

ドイツの文芸評論家のヴァルター・ベンヤミン(1892-1940)は,芦田さんのご専門の一つだと思います。僕は,ベンヤミンの「パサージュ論」を,近代の都市空間の変化を記述した論考と理解しています(都市空間というより,社会というべきかもしれません)。「パサージュ論」には,近代の生き生きとした様相が蒐集されていると思います。そして,一つ一つの記述が,詩のように研ぎ澄まされた表現になっていることに,大変驚きます(とはいっても,残念ながら,ほとんどの記述の意味を僕は読解できず,ただいくつかの部分について,ドキッとするだけです)。

もしももしも,ベンヤミンの時代にインターネットがあったら,「パサージュ論」はどうなっていたでしょうか?(こういうまったくのへんてこりんな質問を展開してしまって恐縮です)。「パサージュ論」に蒐集された記述の多くは,パリの国会図書館で得られたものと思うのですが,僕には,「パサージュ論」はインターネットの先取りで,ベンヤミンは,インターネットのない時代に,パリ国会図書館をまるでインターネットのように利用していたように思えるのです。近代においては,一つの真実に意味はない,近代は多様な様相の集積としてしか語れない,といった意識を感じてしまうのですが,間違っているでしょうか?

「一人で考えはじめる前の子供」にとっては「情報のインフレ」は悪害かもしれないのですが,ベンヤミンほどの知があれば,「情報のインフレ」を再構成することができると思ってみてもいいでしょうか?

最近,「パサージュ論」にいろいろ考えさせられているので,「情報のインフレ」という観点から,芦田さんのご意見を伺えればと思いました。もし気が向いたら教えていただけると幸いです。マトはずれだったら,無視してください。


by ashida(2006-11-17 23:41:43)

ベンヤミンはたしかに私の領域の一つですが、私にはベンヤミンをインターネット時代に蘇生させるのではなくて、マルクス主義の影響から完全に脱した状態でベンヤミンに自由に思考してもらいたかったと思います。三島憲一なんて奴に翻訳させているのが残念でならない。

私はパサージュ論は、むしろインターネット的だと思いますよ(あなたの言うのとはまた別の意味で)。だからむしろローカル(=時代的)なんだと思います。

ベンヤミンとこのインターネット論とは少し系譜が違うと思いますが、その問題を展開するには(今日は)時間がありません。今しばらくの猶予を。

(2006年11月17日00:19記)


by 703号(2006-11-17 23:44:29)

ベンヤミンの書き込みで,今度こそ芦田さんから「意味不明」爆弾が投下されるかと思った(期待していた?)のですが,「今しばらくの猶予を」という親切なコメントをいただき,光栄です。

情報化社会をどう考えるか,情報化社会における学校・家庭をどう考えるかが問題であるわけですが,芦田さんには,多大な手がかりをいただいているように思います。携帯電話のお話をベンヤミンにまで拡大してしまって恐縮至極ですが,今しばらく,教えていただけると大変ありがたいと思っています。

「もはや教室だけが学校ではないだろう」というのが僕の基本的な意識です。僕は,同じ文脈で「もはや住居だけが家庭でもないだろう」とも思っています(最近,自宅の設計を考えているのですが,子供の個室をどう設計するかが大問題です)。僕にとって,携帯電話は,住居以外の家庭構成要素(構成ではなく,再構成というべきかもしれません)のメタファーです(実際には,ことさら携帯電話を重要視しているわけではなく,子供がどう使うかちょっとだけ実験してみたいといった程度の軽い考えですが…)。

情報の蒐集によって,芸術の視点さえも変えられることを示している「パサージュ論」は,僕にとっては,情報蒐集のお手本です。大げさな話としては,子供や学生がどう情報を蒐集するかで,家庭も学校も変わってくると思えるのです。

以下,「パサージュ論」に関する僕の私的なメモ(の一部)を掲載させてください。

パサージュ論に関するメモ

●複製可能な建築としてのパサージュ

産業革命(18世紀)以降:建築の主要構造部に鉄が用いるようになった
(ボードレール:1821-1867年)
1822-1837年:多くのパサージュはこの間に建設された
1830-1848年:ルイ・フィリップ在位期間
1852-1870年ごろ:パリ大改造
1867年:パリ万国博覧会
(ベンヤミン :1892-1940年)
1895年:リュミエール兄弟が,パリ・グラン・カフェ地下でシネマトグラフを上映
1927年:初期の草稿「パサージュ」
1929年:パサージュ論を中断
1934年:パリに移住,パサージュ論を再開
1935年:「パリ−19世紀の首都〔ドイツ語草稿〕」
1936年:「複製技術時代の芸術作品」
1940年:パリを離れる。ピレネー越えの途中で自殺

ヴァルター・ベンヤミンは,「パサージュ論」において,当時の社会と技術の変化が芸術の概念を大きく変化させたことを指摘している。ベンヤミンは,パサージュに,まったく新しい芸術の片鱗を垣間見ていたはずだ。

「パサージュ論」は,『パリのパサージュの多くは,1822年以降の15年間に作られた。』という書き出しで始まる(「パリ−19世紀の首都〔ドイツ語草稿〕(1935年脱稿)」の書き出し,パサージュ論第1巻,岩波現代文庫)。そして,ベンヤミンは,パサージュには,2つの成立条件があると述べている。一つは織物取引の隆盛,もう一つは鉄骨建築。

この2つの成立条件は,「複製技術の時代における芸術作品」(1936年,「複製技術時代の芸術」,晶文社)の次の記述にぴったりと対応する。『複製技術は,これまでの1回かぎりの作品のかわりに,同一の作品を大量に出現させるし,こうしてつくられた複製品をそれぞれ特殊な状況のもとにある受け手のほうに近づけることによって,一種のアクチュアリティを生み出している』(複製技術の時代における芸術作品)。『線路こそは組み立て〔モンタージュ〕可能な最初の鉄材』(パリー19世紀の首都〔ドイツ語草稿〕)と述べられているように,鉄は建築の複製を予感させる材料であったし,実際のところ,鉄を使えば,古代ギリシャ建築や植物の形態を複製することだったできた。もちろん,鉄は,新しい建築様式を生み出す可能性さえももっていた。また,ベンヤミンが1852年の「絵入りパリ案内」の次の記述に「遊歩者」というメモ(パサージュ論の訳文において■ ■で示された記述)を付しているように,パサージュは,芸術家のための芸術ではなく,「遊歩者」のための「芸術」である(もはや,それを「芸術」と呼ぶことは適切ではないのかもしれないが…)。『産業による贅沢の生んだ新しい発明であるこれらのパサージュは,いくつもの建物をぬってできている通路であり,ガラス屋根に覆われ,壁には大理石が貼られている。建物の所有者たちが,このような大冒険をやってみようと協同したのだ。光を天井から受けているこうした通路の両側には,華麗な店がいくつも並んでおり,このようなパサージュは一つの都市,いやそれどころか縮図化された一つの世界とさえなっている』。

「複製技術時代の芸術」には,建築に関して,次のような記述がある。『芸術作品にたいする受け手のがわの,これまでのさまざまな態度が,現在,あらたに生まれ変わる母胎は,大衆である。(中略)散漫な大衆のほうは,逆に自己の内部へ芸術作品を沈潜させる。この場合,もっとも明快な実例は建築物であろう。建築は,古来,つねに人間の集団が散漫に接してきた芸術の典型であった。その鑑賞の諸法則は,もっとも示唆に富んでいる。(中略)建築芸術は,したがって,けっして中絶することがないのだ。その歴史は,他のいかなる芸術の歴史よりもながく,その直接的な効用は,芸術作品にたいする大衆の関係を究明しようとするばあい,きわめて重要である。(中略)建築物にたいする接しかたには,二重の姿勢がある。すなわち実用と観察(後略)』(「複製技術の時代における芸術作品」)。

ベンヤミンは,ここで,複製技術という生産プロセスと,都市的な商業活動による消費プロセスの両者の変化によってもたらされる芸術の変化の実例としての建築に対する興味を露わにしている。しかし,「複製技術時代の芸術」は,映画や写真を対象とした論考であり,建築が話題となっているわけではない。だから,同時期に書かれた「パサージュ論」こそは,もう一つの「複製技術時代の芸術」としての建築に関する論考であるに違いない。パサージュは,複製を可能とする技術と都市の活動を背景として生まれた建築であるという視点で「パサージュ論」を読解することは,大きな間違いではないだろう。

●インターネットとしてのパサージュ

集団の夢の家とは,パサージュ,冬用温室庭園(ジャルダン・ディヴェール),パノラマ,工場,蝋人形館,カジノ,駅などのことである。[L1,3]

「パサージュ論」には,パサージュに関する「情報」が蒐集されている。ここには,パサージュの建設が進んだ1822年以降のおよそ100年間のあらゆる事象がベンヤミンによって蒐集され,再構成されている。そして,この事象の詩的な表現には,ドキッとさせられる。

「パサージュ論」から100年を経た現在,あらゆる事象がインターネット上に散在するようになった。インターネットの情報は,何かのために構成されているわけではなく,関連をもたないバラバラの情報だ。だから,ベンヤミンという意図によって蒐集された「情報」と,インターネットに散在する「情報」が等質であるはずはない。ベンヤミンの「情報」のほとんどは,おそらくは,パリの国会図書館の閲覧室内で,深遠な思考を通して書き写されたものであったはずだから,そもそもベンヤミンの「情報」とインターネットの「情報」には何の関係もない。しかし,それでも,「遊歩者の視点で語られた集団の夢」は,実に,インターネット的だ。ベンヤミンが,個々の文献の作家による内面的な記述に目を凝らしていたわけではなく,むしろ,「遊歩者の視点で語られた」現象の集合に目を向けていたからだ。

今を生きる私たちは,かつてのような明確なイデオロギーのある世界,あるいは,カタチを伴う物質に囲まれた世界で生きているだけでなく,さまざまな情報に囲まれて生きている。イデオロギーや物質のもつ確かな真実は,付加された情報によってあいまいになっている。あの911事件でさえ,その真実は,もはやわからない。多くの犠牲者がいたという物的な真実は確かにあったのだが,誰が何のために起こした事件なのか,私には理解できない。マスコミが伝える「真実」でさえ,一つの「情報」でしかないと思えてならない。私たちは,雑誌でファッションを知り,携帯電話でレストランを探す。たとえば,携帯電話からアクセスするインターネットのサイトでレストランを探すとき,その外観やインテリアがどれほどの意味を持ち得るだろうか。「料理がおいしい」という物的な真実は存在するとしても,その真実はさまざまな「コメント=情報」で脚色されている。

私は,「情報は真実ではない」ということを主張したいのではない。「情報が真実をあいまいにしているから,情報の向こうにある真実を見抜くことが大事だ」ということを主張したいわけでもない。真実とは異なる「遊歩者の視点で語られた集団の夢」のリアリティを問題にしたいのだ。「パサージュ論」を,生き生きとした「情報」によってこそ,パサージュの芸術性が確認できることを示した論考だと読解できるように思う。

(2006年11月17日 13:10記)


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