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    <title>BLOG「芦田の毎日」</title>
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    <updated>2012-05-10T17:36:24Z</updated>
    
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    <title>「気仙沼はどうなっているのか」 ― 今頃、年賀状が書けました。</title>
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    <published>2012-05-10T16:45:37Z</published>
    <updated>2012-05-10T17:36:24Z</updated>
    
    <summary>※この記事は2012年の年賀状を書き始めて、そのままになっていたものを、ふとしたきっかけで今頃書き終えたものです。季節外れの文体を我慢してください（笑）。ふとしたきっかけ、というのは、私の3月11日大震災のツイート集http://togetter.com/li/110551を昨日リツイートした方がおられて、そこに「気仙沼はどうなっているのか」という11日の私のツイートを見つけたからです。胸が締め付けられる思いがして、一気に書き上げました。 --------------- 昨年の紅白歌合戦（第62回紅白歌合戦）のテーマは「あしたを歌おう」だった。たぶんに東北震災（東日本大震災）を意識したものだった。 私がこの紅白で一番感激したのは、森進一の『港町ブルース』http://www.youtube.com/watch?v=ca5RkkKHwRw&amp;feature=fvwrelだった（紅白中全曲平均点...</summary>
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        <name>芦田 宏直</name>
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            <category term="社会・思想" />
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        <![CDATA[※この記事は2012年の年賀状を書き始めて、そのままになっていたものを、ふとしたきっかけで今頃書き終えたものです。季節外れの文体を我慢してください（笑）。ふとしたきっかけ、というのは、私の3月11日大震災のツイート集<a href="http://togetter.com/li/110551">http://togetter.com/li/110551</a>を昨日リツイートした方がおられて、そこに「気仙沼はどうなっているのか」という11日の私のツイートを見つけたからです。胸が締め付けられる思いがして、一気に書き上げました。

---------------

昨年の紅白歌合戦（第62回紅白歌合戦）のテーマは「あしたを歌おう」だった。たぶんに東北震災（東日本大震災）を意識したものだった。

私がこの紅白で一番感激したのは、森進一の『港町ブルース』<a href="http://www.youtube.com/watch?v=ca5RkkKHwRw&feature=fvwrel">http://www.youtube.com/watch?v=ca5RkkKHwRw&feature=fvwrel</a>だった（紅白中全曲平均点が50点代後半の私の採点の中で、この歌唱は100点満点だった）。この歌は私の世代の人間には、森進一の代表作とも言ってよいものだ。他の震災関連の企画参加曲と違って、この歌は震災のはるか以前から、関西に済む高校生の私にさえよく知られた曲だった。

]]>
        <![CDATA[地震が起こった当日の夜、気仙沼の大火災がテレビ画面を覆い尽くしたとき、東北に全く無縁なその私が真っ先に思い出したのは、『港町ブルース』に登場する「気仙沼」だった。

「気仙沼はどうなっているのか」<a href="https://twitter.com/#!/jai_an/status/46223428545560576">https://twitter.com/#!/jai_an/status/46223428545560576</a>　と、私は震災の当日につぶやいたのだった。そのとき、私の「気仙沼」は港町ブルースの気仙沼だった。40年以上も経って、その「気仙沼」が、そして『港町ブルース』が私にやってきたのである。

「気仙沼」という言葉は、地理にも東北文化にも疎遠な幼い私にとっては、森進一の『港町ブルース』でしかなかった。その「気仙沼」が火の海だ…という感じだった。

昭和44年に発表された『港町ブルース』は、この震災のためにあったのか、というのが私の感慨だった。震災によって作られたり、注目されたりするシンガーやその歌の意味は、いつも事実や現実の衝撃に支えられている。だから事実や現実が変化すると必ず衰退する歌に過ぎない。事実や現実は変化の別名でもあるからだ。変化は生成の変化であると共に消滅の変化でもある。

しかし、歌の意味はこちら（此岸）から生じているのではなく、あちら（彼岸）からやってくる。どんな条件も超えているからこそ、歌は歌い続けられる。あらゆる〈作品〉がそうであるように。だからこそ、どんな〈現在〉にもみずみずしい。そしてまた衝撃的でもある。

私にとって、紅白の『港町ブルース』はそんな作品だった。「気仙沼」の意味が40年以上も経って、私にやってきたのである。

それは、『港町ブルース』の意味が震災によって初めてわかったようにして変化したからではない。私にとって、森進一の『港町ブルース』は最初から一級の作品だった。震災以後であれ、震災以前であれ代表作を挙げろと言われれば、私は、文句なく『港町ブルース』を上げる。

そんなふうに『港町ブルース』はある種の同一性を保っている。森進一の歌唱がオンザレールで高速コーナーを回るかのように安定しているからこそ、それは余計に前面化する同一性なのだ。『港町ブルース』の二年後に発表される尾崎紀世彦（昭和46年）の『また逢う日まで』が当時の歌唱と大きく変化することに較べれば、森進一の歌唱のこの同一性は（ついでにあげれば五木ひろしの『ふるさと』も）際立っている。

「歌は世につれ、世は歌につれ」とは言うが、それは時代と共に何かが変化するということではない。まして歌い方が成熟するというわけでもない。尾崎紀世彦の歌唱はそこを理解しない。〈作品〉は最初にそこに全てがあるというようにして変化を読み込んでいる。その意味では、変化は「ある」のであって、生成消滅しているのではない。

「作家は処女作に収斂する」と言うが、それは処女作が一般的に、条件や環境を乗り越えているからである。「世につれ」ていないからだ。一度ヒットを出してしまうと、「世につれ」はじめて世俗化する。変化にまみれる。そうして忘れられていく。次々とヒットや世相は生まれるからだ。社会的な事件は忘れられるからこそ、記録されるのであって、〈記録〉や〈記憶〉や〈記念碑〉が忘却に抗ったことなど一度もない。

なぜ、そうなるのか。作者が一度できたマーケットに媚び始めるからだ。つまり、〈作品〉が“背後”を持ち始めるからだ。

そういった意味で言えば、全て（のできあがった）権威は、処女作現象にすぎない。それは時代に抗って時代を作るからこそ「収斂する」のである。始まり「がある」とはそういうことだ。

そんなふうに、気仙沼（の変化）は、『港町ブルース』に収斂している。

今回の東北震災と“関係”のない『港町ブルース』の気仙沼こそが、心に響く。ずーっと『港町ブルース』は気仙沼のことを“心配”していたわけだ

私は、いま〈新人〉のことを考えている。新人とは何か？　〈作品〉は〈新人〉と共に登場するが、新人の本質は孤独ということだ。すでに知られている新人はもはや新人ではない。

新人が知られるということは、だから不思議なことだ。かつて吉本隆明は、鮎川信夫は新人を発掘する稀有な精神を持ち備えている人物だと評したことがあったが、すでに評価を得た評者が新人を発掘するということはそれ自体矛盾した事態だからである。すでに名のある評者は自分（のプレゼンス）を捨てなければ新人を発掘できない。

新人＝作品は見つからないからこそ新人であり、見つかったときにはすでに終わっている。処女作は生まれるときにこそ抵抗値（反時代性）が最大になるからだ。最初のもの（アルケー）が最もみずみずしいのは、最初のものこそが一番大きな制約を抱えて、またその制約に打ち勝ってこの世に登場するからだ。

だから最初のものを反復するということは、それ自体で大変なパワーを必要とするということ。というよりそういったパワーの豊穣性を最初の（アルケーとしての）作品＝作者は有しているということだ。

<span style="font-size:x-small;color:blue;">※ハイデガーは〈始まり〉（アルケー）について次のように言っていた。「〈始まり〉はその後に来るあらゆるものをも凌駕する最も偉大なものであり、たとえ後に来るものが〈始まり〉に逆らう時でさえそうなのである。後に来るものが逆らうことが出来るのは、〈始まり〉が存在し、後に来るものを可能にするからこそである。…これによって、〈始まり〉の偉大さが否認されるわけではなく、むしろ承認されている」。（181/45）</span>
<span style="font-size:x-small;color:blue;">
</span>

豊穣性は、どんな変化にも、時代の制約や時代の事件にも影響を受けない。

だから処女作への収斂とは、終わりの始まりとも言える。作品はそれ自身において終焉を含んでいる。だからこそ、時代の制約や時代の事件にも影響を受けない。

受け付けないからこそ、もろもろの時代の、もろもろの事件の意味を純粋に指示することが出来る。

若い森進一の『港町ブルース』が、震災以前も震災以後も同じようにちまたに知られた『港町ブルース』である　―　港町ブルース〈である〉のは、（ちまたに知られているにもかかわらず）そういった純粋性に関わっているからだ。

神戸震災も忘れ去られ、9.11も忘れられて、そして3.11が存在している。事件とは忘れられてこそ再発する。「この悲しさやこの苦しみは誰にもわからないが、また一方で誰にでも訪れる災禍でもある」というように事件は存在する。全共闘時代の〈自己否定〉の論理もそういった切迫性を持っていた。この1年間の大震災報道では、なんど、全共闘的な「自己否定」の闘士を見たことか。

この「自己否定」の振幅は、当事者にとっても、非当事者にとっても担いきれない振幅でしかない。どちらにとっても日常からの変化の幅が大きすぎるからだ。

このような〈変化〉は退屈の反対語にふさわしい。

私は、ラッセルのように「戦争、虐殺、迫害は、全て退屈からの逃避の一部だった」と言い切るには研鑽が足りないが、狩猟時代に比べて農業の発達は退屈を拡大し、「機械の番をすることの退屈さについては耳にたこができるほど聞かされている」とするラッセルの認識に、インターネットでPCの前に座り続ける退屈さ、あるいは携帯メールにメールが来ない退屈さについては「耳にたこができるほどに聞かされている」という昨今の事態を付け足せば、〈変化〉よりも退屈問題の方がはるかに深刻な事態だと予感することくらいはできる。

退屈が深刻な分、事件が大事件になる可能性も高く、またその分忘れ去られるスピードも速い。そうやって、神戸震災も忘れ去られ、9.11も忘れられて、そして3.11に至っている。

当時、そのそれぞれを「大事件」と叫んでいた人たちは、ふたたび今回の事件を「かつてない」大事件と呼んでいる。なんども「かつてない」大事件が頻発する。「大事件」など存在していないかのように。

そして、今日では、Twitter。「大事件」を大きく、速く伝えるのもTwitterだが、その分加速度的に、「餃子がうまい」、と、それらを忘れ去るのもTwitter。

今日のマーケティングは、大事件に主題的に収斂しない「餃子がうまい」の方に事件性を嗅ぎ取るまでになっている。いわゆるソーシャルメディア論だ。つまり“大事件”は秒刻みで起こるようになっている。ハイデガーは、これをGe-stell（せき立て）と呼んだ。

Twitterは、その意味では、退屈と大事件とが背中合わせに存在していることを感じさせる希有なメディアだ。

Twitterは、間断なく現在を微分しながら、退屈と大事件を微分しながら継続している。この継続性は、単調で退屈そのものでもある。それがそう見えないのは、小さな終わりを刻み続けているからだ。

小さな終わりであるにもかかわらず、終わりの単調性を免れているのは、それが現在という時間を微分しているからである。いま生じていることは、〈いま〉が重要なのであって、いま〈何〉が生じているかが重要なのではない。テーマを共有することではなく、時間を共有することが重要なのだ。だから事件主義になる。

「傘がない」（井上陽水）ことは、時間が経てば＝（reflectionすれば）意味のないフレーズになってしまうが、「だけども　問題は　今日の雨　傘がない」となる。この時間の、つまり今の「傘がない」は、「都会」の「自殺する若者」、「テレビ」で騒がれている「我が国の将来の問題」よりも「問題」なのだ。「傘がない」は、若者の「自殺」に匹敵する事件なのである。

自他観察の時間を長く取れば取るほど、テーマ性の比重（棄てるテーマと拾うテーマの反省）は高くなるが、短くとれば、どんなにくだらないことでも重要度は増す。だからこそ、Twitterでは、「大地震」「大津波」から「傘がない」までもが（対等な）大事件なのだ。

しかし、そもそも大事件とは、いまが火急のものとなるような事態ではなかったか。「いま、水がない」「いま、食料がない」「いま、電気がない」というように。

〈大事件〉とは、実は、短い時間の出来事でしかないのだ。「なんだかんだ偉そうなこと言ったって、人間はおしっこもするし、食べなきゃ生きていけないし、食べてもいつかは（いつでも）死ぬ」といったある種のフォイエルバッハ主義は、短い時間の＝火急の唯物論であって、短くなればなるほど大事件性は高くなる。前触れなく一気に変化するものこそ大事件となるからだ。しかし、この大事件性は、「傘がない」ことと同じ質にとどまっている。

しかし、「気仙沼はどうなっているのだ」。『港町ブルース』の単調性や反復性の方がはるかに豊穣な大事件だったのではないのか。<a href="http://www.blogmura.com/">→｢にほんブログ村｣</a></span>

（Version 5.0)

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    <title>増補版（Version 17.0）　追悼・吉本隆明</title>
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    <published>2012-03-17T03:23:58Z</published>
    <updated>2012-03-18T06:25:45Z</updated>
    
    <summary>●追悼のための銘辞 ぼくの孤独はほとんど極限に耐えられる　 ぼくの肉体はほとんど苛酷に耐えられる ぼくがたふれたらひとつの直接性がたふれる もたれあふことをきらつた反抗がたふれる ぼくがたふれたら同胞はぼくの屍体を 湿つた忍従の穴へ埋めるにきまつてゐる ぼくがたふれたら収奪者は勢ひをもりかへす だから　ちひさなやさしい群よ みんなのひとつひとつの貌よ さやうなら 　―　「ちひさな群れへの挨拶」（1952年）より ぼくが真実を口にすると　ほとんど全世界を凍らせるだらうといふ妄想によつて　ぼくは廃人であるさうだ　おうこの夕ぐれ時の街の風景は　無数の休暇でたてこんでゐる　街は喧曝と無関心によつてぼくの友である　苦悩の広場はぼくがひとりで地ならしをして　ちようどぼくがはいるにふさはしいビルデイングを建てよう　大工と大工の子の神話はいらない　不毛の国の花々　ぼくの愛した女たち　お訣れだ 　―　「廃人...</summary>
    <author>
        <name>芦田 宏直</name>
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    </author>
            <category term="社会・思想" />
            <category term="私の恩師" />
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.ashida.info/blog/">
        <![CDATA[●追悼のための銘辞
<span style="font-size:x-small;color:blue;">ぼくの孤独はほとんど極限に耐えられる　
ぼくの肉体はほとんど苛酷に耐えられる
ぼくがたふれたらひとつの直接性がたふれる
もたれあふことをきらつた反抗がたふれる
ぼくがたふれたら同胞はぼくの屍体を
湿つた忍従の穴へ埋めるにきまつてゐる
ぼくがたふれたら収奪者は勢ひをもりかへす
だから　ちひさなやさしい群よ
みんなのひとつひとつの貌よ
さやうなら</span>
<span style="font-size:x-small;color:blue;">　―　「ちひさな群れへの挨拶」（1952年）より</span>


<span style="font-size:x-small;color:blue;">ぼくが真実を口にすると　ほとんど全世界を凍らせるだらうといふ妄想によつて　ぼくは廃人であるさうだ　おうこの夕ぐれ時の街の風景は　無数の休暇でたてこんでゐる　街は喧曝と無関心によつてぼくの友である　苦悩の広場はぼくがひとりで地ならしをして　ちようどぼくがはいるにふさはしいビルデイングを建てよう　大工と大工の子の神話はいらない　不毛の国の花々　ぼくの愛した女たち　お訣れだ</span>
<span style="font-size:x-small;color:blue;">　―　「廃人の歌」（1952年）より</span>


<span style="font-size:x-small;color:blue;">けふから　ぼくらは泣かない
きのふまでのように　もう世界は
うつくしくもなくなつたから　そうして
針のやうなことばをあつめて　悲惨な
出来ごとを生活のなかからみつけ
つき刺す…
胸のあひだからは　涙のかはりに
バラ色の私鉄の切符が
くちやくちやになつてあらはれ
ぼくらはぼくらに　または少女に
それを視せて　とほくまで
ゆくんだと告げるのである
とほくまでゆくんだ　ぼくらの好きな人々よ
嫉みと嫉みとをからみ合はせても
窮迫したぼくらの生活からは　名高い
恋の物語はうまれない</span>
<span style="font-size:x-small;color:blue;">　―　「涙が涸れる」（1954年）より</span>


<span style="font-size:x-small;color:blue;">人間の意志はなるほど、選択する自由をもっている。選択のなかに、自由の意識がよみがえるのを感ずることができる。だが、この自由な選択にかけられた人間の意志も、人間と人間との関係が強いる絶対性のまえでは、相対的なものにすぎない。（…）人間は、狡猾に秩序をぬってあるきながら、革命思想を信じることもできるし、貧困と不合理な立法をまもることを強いられながら、革命思想を嫌悪することも出来る。自由な意志は選択するからだ。しかし、人間の情況を決定するのは関係の絶対性だけである。</span>
<span style="font-size:x-small;color:blue;">　―　「マチウ書試論」（1954）より</span>


<span style="font-size:x-small;color:blue;">言語が意味や音のほかに像をもつというかんがえを、言語学者はみとめないかもしれない。しかし〈言語〉というコトバを本質的な意味でつかうとき、わたしたちは言語学をふり切ってもこの考えにつくほうがよい。（…）言語における像という概念に根拠をあたえさえすれば、この別れは可能なのだ。</span>
<span style="font-size:x-small;color:blue;">　―　『言語にとって美とはなにか』（1965年）より




－－－－－－－－－－－－



　吉本隆明さんが昨日16日亡くなりました（<a href="http://www.asahi.com/obituaries/update/0316/TKY201203160011.html">http://www.asahi.com/obituaries/update/0316/TKY201203160011.html</a>）。87歳。私の父親とほぼ同じ年齢の思想家でした。印象深い『マチウ書試論』は私の生まれた年（1954年）の作品です。

　私の直接のあまりにも近しい恩師と言えば、詩人でもありベケットの研究者でもある永坂田津子先生（<a href="http://www.ashida.info/blog/2001/01/re1.html">http://www.ashida.info/blog/2001/01/re1.html</a>、、デリダを『声と現象』で日本に最初に紹介した高橋允昭先生（<a href="http://www.ashida.info/blog/2004/10/hamaenco_4_97.html">http://www.ashida.info/blog/2004/10/hamaenco_4_97.html</a>）、ハイデガー・ニーチェ研究者の川原栄峰先生（<a href="http://www.ashida.info/blog/2007/01/post_185.html">http://www.ashida.info/blog/2007/01/post_185.html</a>）ですが、それに加えて（自分勝手な）恩師を挙げるとすれば、吉本隆明さんでした。]]>
        <![CDATA[　最初に挙げた三人はもういない。そして吉本さんも昨日亡くなりました。その三人よりも先に、吉本の作品は高校一年生の時からむさぼるように読み続けていたものでした。

　特に彼の文章（文体）が大好きでした。引用の文（＝他者の思考）と地の文（＝自分の思考）との処理の仕方が絶妙で、幼い私は彼に思考の内容にというよりは、その引用の文体に、あるいは読書の仕方に惚れ込んでいました。

　彼の引用は、被引用者の全体の思想（その核）をつかんだかのような引用でした。彼の引用する文章の全ては、部分というよりは、その部分が被引用者の思考の臍であるような体裁をいつも醸し出していました　―　その臍となる部分のことを彼は後の著作で〈作品〉の「入射角」「出射角」と呼ぶようになっていました。

彼の引用批評は、いわば人格批評と紙一重の緊迫感がありました。人と思想とは“同じ”なんだと。「関係の絶対性」はぐるっと一周してそういう思想だったのだと私は思います。だからこそ、時として排外的、時として寛容という振幅を持っていたのです。

　現在の検索主義の引用とは正反対の思考がそこにあった。こんなふうに本が読めたら、どんなふうに自由になれるんだろう、と私はいつも思っていました。

　そうやって、彼の読むものはすべて読みたい、と思った私の同世代の読者は多かったはずです。片っ端からヘーゲルやマルクス、フロイトやソシュール、花田清輝や丸山真男たちを読んでいったわけです。

　なにかが起こる度に、吉本さんならなんて言うんだろう、どう考えるんだろうと思い続けながら自分の思考を織り込んでいったのが、私の高校・大学時代でした。同世代の人たち（特にマルクスボーイたち）はほとんどそうだったと思います。私の世代は70年安保にさえ遅れた「学費闘争」世代ですから、遅れてきた吉本ファンに過ぎなかったわけですが（苦笑）。

　彼の思想の核は、もちろん『言語にとって美とはなにか』の〈像〉概念にあります（もちろん〈像〉は概念ではないのですが）。この〈像〉は、〈自己表出〉と〈指示表出〉との交点に浮かぶものです。そして〈自己表出〉にも〈指示表出〉にも還元できないものが〈像〉なのです。ソシュールと違って、唯物論的な〈像〉と言ってもよいかもしれない。

　言語とは、あるいは表現とは、定義でも、機能でも、手段でもないという言語観が、そこにはありました。2年前のNHKの講演会で彼が言った「ファンクショナリズム」との戦いがすでにそこにはあったのです。彼の思想的な頑固さと柔軟性との双方の起源がこの〈像〉概念なわけです。彼の引用の作法そのものが、この〈像〉概念に基づいていました。もう一つの主著『共同幻想論』も国家の〈像〉概念を扱ったものに過ぎない。
　
　私はこの吉本さんの〈像〉概念に決定的な影響を受けました。

　大学に入って、ハイデガーを本格的に読むようになって、少しずつ吉本さんの本を読まなくなりましたが、昨日朝日新聞関連のサイトで「…親鸞は『人間には往（い）きと還（かえ）りがある』と言っています。『往き』の時には、道ばたに病気や貧乏で困っている人がいても、自分のなすべきことをするために歩みを進めればいい。しかしそれを終えて帰ってくる『還り』には、どんな種類の問題でも、すべてを包括して処理して生きるべきだと。悪でも何でも、全部含めて救済するために頑張るんだと」（2011年03月20日の発言）を見つけました。

　親鸞の往相・還相論の吉本隆明の解説ですが、なんども読み続けてきたこの吉本の親鸞論も繰り返し、繰り返し変奏されると、これはハイデガーの転向（ケーレ）論の最も良質なものではないかとさえ思えてくる。存在者からの存在への『往き』（前期ハイデガー）と存在からの『（存在者への）還り』（後期ハイデガー）はベクトルが違うだけではなく、質が違うのです。

　結局、20代以降、約20年にわたって相対的には自立できたかな、と思っていた私のハイデガー（＝フッサール）傾斜は、吉本さんの手のひらの中での出来事だったのかな、と悲しくもあり、切なくもあり、しかもホッとする一瞬でした。

　思考するということは、成熟することではなくて、若い“とき”を反復することの威力を与えるものなのではないでしょうか。

　私が生まれたときとほぼ同じ時期（彼の20代後半時代）に彼が無名のままに書き連ねていた（今となっては）有名な詩編をここに取り上げて彼への追悼に代えたいと思います。


－－－－－－－－－－－－－－－


ちひさな群への挨拶

あたたかい風とあたたかい家とはたいせつだ
冬は背中からぼくをこごえさせるから
冬の真むかうへでてゆくために
ぼくはちひさな微温をたちきる
をはりのない鎖　そのなかのひとつひとつの貌をわすれる
ぼくが街路へほうりだされたために
地球の脳髄は弛緩してしまふ
ぼくの苦しみぬいたことを繁殖させないために
冬は女たちを遠ざける
ぼくは何処までゆかうとも
第四級の風てん病院をでられない
ちひさなやさしい群よ
昨日までかなしかつた
昨日までうれしかつたひとびとよ
冬はふたつの極からぼくたちを緊めあげる
そうしてまだ生れないぼくたちの子供をけつして生れないやうにする
こわれやすい神経をもつたぼくの仲間よ
フロストの皮膜のしたで睡れ
そのあひだにぼくは立去らう
ぼくたちの味方は破れ
戦火が乾いた風にのつてやつてきさうだから
ちひさなやさしい群よ
苛酷なゆめとやさしいゆめが断ちきれるとき
ぼくは何をしたらう
ぼくの脳髄はおもたく　ぼくの肩は疲れてゐるから
記憶といふ記憶はうつちやらなくてはいけない
みんなのやさしさといつしよに
ぼくはでてゆく
冬の圧力の真むかうへ
ひとりつきりで耐えられないから
たくさんのひとと手をつなぐといふのは嘘だから
ひとりつきりで抗争できないから
たくさんのひとと手をつなぐといふのは卑怯だから
ぼくはでてゆく
すべての時刻がむかうかはに加担しても
ぼくたちがしはらつたものを
ずつと以前のぶんまでとりかへすために
すでにいらなくなつたものはそれを思ひしらせるために
ちひさなやさしい群よ
みんなは思ひ出のひとつひとつだ
ぼくはでてゆく
嫌悪のひとつひとつに出遇ふために
ぼくはでてゆく
無数の敵のどまん中へ
ぼくは疲れてゐる
がぼくの瞑りは無尽蔵だ
ぼくの孤独はほとんど極限に耐えられる
ぼくの肉体はほとんど苛酷に耐えられる
ぼくがたふれたらひとつの直接性がたふれる
もたれあふことをきらつた反抗がたふれる
ぼくがたふれたら同胞はぼくの屍体を
湿つた忍従の穴へ埋めるにきまつてゐる
ぼくがたふれたら収奪者は勢ひをもりかへす
だから　ちひさなやさしい群よ
みんなのひとつひとつの貌よ
さやうなら

（昭和27年の作品と推定される。未発表のまま、昭和28年9月1日私家版詩集として発効された『転移のための十篇』に収められる）




廃人の歌

ぼくのこころは板のうへで晩餐をとるのがむつかしい　夕ぐれ時の街で　ぼくの考へてゐることが何であるかを知るために　全世界は休止せよ　ぼくの休暇はもう数刻でをはる　ぼくはそれを考へてゐる　明日は不眠のまま労働にでかける　ぼくはぼくのこころがゐないあひだに　世界のほうぼうで起ることがゆるせないのだ　だから夜はほとんど眠らない　眠るものたちは赦すものたちだ　神はそんな者たちを愛撫する　そして愛撫するものはひよつとすると神ばかりではない　きみの女も雇主も　破局をこのまないものは　神経にいくらかの慈悲を垂れるにちがひない　幸せはそんなところにころがつてゐる　たれがじぶんを無惨と思はないで生きえたか　ぼくはいまもごうまんな廃人であるから　ぼくの眼はぼくのこころのなかにおちこみ　そこで不眠をうつたえる　生活は苦しくなるばかりだが　ぼくはまだとく名の背信者である　ぼくが真実を口にすると　ほとんど全世界を凍らせるだらうといふ妄想によつて　ぼくは廃人であるさうだ　おうこの夕ぐれ時の街の風景は　無数の休暇でたてこんでゐる　街は喧曝と無関心によつてぼくの友である　苦悩の広場はぼくがひとりで地ならしをして　ちようどぼくがはいるにふさはしいビルデイングを建てよう　大工と大工の子の神話はいらない　不毛の国の花々　ぼくの愛した女たち　お訣れだ　

ぼくの足どりはたしかで　銀行のうら路　よごれた運河のほとりを散策する　ぼくは秩序の密室をしつてゐるのに　沈黙をまもつてゐるのがゆいつのとりえである患者ださうだ　ようするにぼくをおそれるものは　ぼくから去るがいい　生れてきたことが刑罰であるぼくの仲間で　ぼくの好きな奴は二人はゐる　刑罰は重いが　どうやら不可抗の抗訴をすすめるための　休暇はかせげる

（「ちひいさな群れへの挨拶」と同じように、昭和27年の作品と推定される。未発表のまま、昭和28年9月1日私家版詩集として発効された『転移のための十篇』に収められる）




涙が涸れる

けふから　ぼくらは泣かない
きのふまでのように　もう世界は
うつくしくもなくなつたから　そうして
針のやうなことばをあつめて　悲惨な
出来ごとを生活のなかからみつけ
つき刺す
ぼくらの生活があるかぎり　一本の針を
引出しからつかみだすように　心の傷から
ひとつの倫理を　つまり
役立ちうる武器をつかみだす

しめつぽい貧民街の朽ちかかつた軒端を
ひとりであるいは少女と
とはり過ぎるとき　ぼくらは
残酷に　ぼくらの武器を
かくしてゐる
胸のあひだからは　涙のかはりに
バラ色の私鉄の切符が
くちやくちやになつてあらはれ
ぼくらはぼくらに　または少女に
それを視せて　とほくまで
ゆくんだと告げるのである
とほくまでゆくんだ　ぼくらの好きな人々よ
嫉みと嫉みとをからみ合はせても
窮迫したぼくらの生活からは　名高い
恋の物語はうまれない
ぼくらはきみによつて
きみはぼくらによつて　ただ
屈辱を組織できるだけだ
それをしなければならぬ

（昭和29年8月1日『現代詩』第一巻第2号に掲載される）


※なお私のまとまった吉本小論としては、

「吉本隆明、NHK出演その後　―　自己表出の『沈黙』は唯物論的（柄谷行人も蓮実重彦も間違っている）」 2009年01月09日　<a href="http://www.ashida.info/blog/2009/01/nhketv.html">http://www.ashida.info/blog/2009/01/nhketv.html</a>

「検索バカ」と吉本隆明、あるいは「自己表出」の反ファンクショナリズムについて 2009年01月10日　<a href="http://www.ashida.info/blog/2009/01/post_319.html">http://www.ashida.info/blog/2009/01/post_319.html</a>

にあります。また少し冷静になれば、もっと本格的なものを書きたいと思います。合掌。<a href="http://www.blogmura.com/">→｢にほんブログ村｣</a></span>

（Version 17.0)

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    <title>ホイットニーヒューストン追悼（三つのビデオ画像付き）　―　和田アキ子は許せない。</title>
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    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://www.ashida.info/blog/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=1/entry_id=1532" title="ホイットニーヒューストン追悼（三つのビデオ画像付き）　―　和田アキ子は許せない。" />
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    <published>2012-02-19T02:50:13Z</published>
    <updated>2012-03-18T04:27:33Z</updated>
    
    <summary>１８日、ホイットニー・ヒューストン（４８）の葬儀が、出身地のニュージャージー州ニューアークで行われました。「ボディーガード」で共演した俳優のケビン・コスナーも出席、涙ぐんで弔辞を披露していました。私には「ボディーガード」のホイットニーよりは、初期の2枚のアルバムの方がはるかに思い入れがあるのですが、「ボディーガード」のアルバムも立派なものでした。...</summary>
    <author>
        <name>芦田 宏直</name>
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    </author>
            <category term="TV・芸能・スポーツ" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.ashida.info/blog/">
        １８日、ホイットニー・ヒューストン（４８）の葬儀が、出身地のニュージャージー州ニューアークで行われました。「ボディーガード」で共演した俳優のケビン・コスナーも出席、涙ぐんで弔辞を披露していました。私には「ボディーガード」のホイットニーよりは、初期の2枚のアルバムの方がはるかに思い入れがあるのですが、「ボディーガード」のアルバムも立派なものでした。
        <![CDATA[<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/rLAufSEBen0" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

私が許せなかったのは、先週日曜日の昼番組における和田アキ子のコメントです。充分な時間があったにもかかわらず、彼女がホイットニーについて語った言葉は「印税もあるだろうに、『30ドルを貸してくれ』なんてこともあったらしい」というものです。今日の同じ番組でもケビンコスナーしか褒めていない。先週のホイットニーについてのこの発言をわざとらしくフォローしている（引きつった顔で）。心あるファンからたくさんの苦情が寄せられたのだろう。

歌手としてはもうとっくに終わっている和田アキ子に、なんでこんなことを言われなくてはいけないのか。というか、ホイットニーについて、こんなことしか言えないからこそ、和田アキ子はも終わっていると言ってもよい。

そしてまた、もはや歌手ではない和田アキ子にこんなことを言わせるままに、死んでしまったホイットニーに、また悔しい哀愁を感じるのは、私だけはないはず。

失意にくれていた2007年前後のホイットニーは、その下着が競売に付される、という記事が出るほどのものでした。下記の記事は、そのときに、私が書いたものです（まるで今日の事態を予期していたかのように）。この一週間のホイットニー騒動にこそ、謹んで捧げます。


－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－
●「ホイットニーヒューストンの下着が競売に付された ― 二作目の苦悶を誰がわかるというのか」（2007年01月18日）　<a href="http://www.ashida.info/blog/2007/01/post_184.html">http://www.ashida.info/blog/2007/01/post_184.html</a>


ホイットニーヒューストンが自己破産したらしい。下着までもが競売に付されているとのこと。悲しい話だ。

今日は学校の行き帰りにずーっとホイットニーヒューストンの作品を聞き続けていた。 

私の自宅には今４枚のホイットニーヒューストンのアルバムがある 
『そよ風の贈り物』
『ホイットニーⅡ』
『I’m Your Baby Tonight』 
『THE　BODYGUARD』 

しかしホイットニーヒューストンと言えば、何と言ってもHOW WILL I KNOW（１９８５年）だ。 

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/m3-hY-hlhBg" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

この曲をひっさげてグラミー賞（最優秀女性ポップヴォーカル賞）のステージに立った時は衝撃的で圧倒的だった。ボーカルはもちろんだが、何よりもグラミー賞のステージではそのスタイルにもみんなが圧倒されていた。今でもそのどよめきを覚えている。 

デビューアルバム『そよ風の贈り物』は 
先のHow Will I Know の他に　 
All At Once　 
TAKE　Good Care Of My Heart 
Thinking About You 
Saving All My Love For you 
などが珠玉の名作が続く。 

私がホイットニーヒューストンをスゴイと思ったのは、実は２作目のアルバム『ホイットニーⅡ』のI Wanna Dance With Somebody　のイントロを聴いたときだった。 

実はこの二作目の 『ホイットニーⅡ』は『そよ風の贈り物』から２年以上も経っていた（たしかそうです）。 

待ちきれない気分と共にホイットニー、大丈夫か、という気持ちもあって、アルバイトの帰り、そわそわした気分で新作を購入。車の中、たしか第１京浜の新橋あたりの路上で『ホイットニーⅡ』がなり始めた瞬間だった。

 <iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/ZfPOXmT9HMA" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

ハー、イェーというホイットニーの声がビートのきいたアレンジと共に流れてきたときに、「やったー、ホイットニー。よくぞ２年間がんばってくれた」と心の中でつぶやき（なぜか）涙が出てきた。今でもはっきりと覚えている。 

私はそのとき、吉田拓郎の『結婚しようよ』（１９７２年）の大ヒットのあとの『旅の宿』のことを考えていた。二作目というのは、創作家にとっては地獄なのだ。 

『旅の宿』も決して悪い歌ではないが（私は個人的には好きな曲だが）、頭の中で考えすぎて作った感じがよくわかる。拓郎にしては知的に過ぎる歌なのだ。 

二作目は期待がかかる分、（売れることを意識するから）考え込んでしまう。考えれば考えるほど、自分の作りたい歌からは遠ざかっていく。どんどん難しい歌を作ることになる。そうやって縮小再生産を繰り返し、自滅していく。ドリカムなんてそうかも知れない。 

一枚目は誰にでも出せる。どんな凡人でも一枚目は出せる。二枚目が地獄なのだ。

『そよ風の贈り物』が大ヒットして２年も（新曲については）沈黙したホイットニーヒューストンが、I Wanna Dance With Somebodyで、ホイットニーはまだまだ“新作”を作れますよ、と宣言したのだった。

二作目からさらに３年以上かけた三作目『I'm Your Baby Tonight』も一作目と二作目の２年間なしにはありえない名作だった。

私はこういった創作家（アーティスト）を真から尊敬する。たとえ、下着が競売に付されようと、どんなに落ちぶれようとホイットニーヒューストンはホイットニーヒューストン。 

今日は一日中、How Will I KnowとI Wanna Dance With Somebodyとを交互に聞いている。この間の２年の意味を噛みしめながら今この記事を書きながらも聞いている（今も胸が熱い）。 

ホイットニーヒューストン、万歳！　極東の島国、日本で私はあなたの苦悶の２年間をしっかりわかっているつもりですよ。 どこまで落ちぶれても（人があなたを何と言おうと）私はあなたの味方です。 

（Version 6.0)

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    <title>ANAグランドスタッフの接遇とキャンセル待ち予約システムの諸問題 ― 空港でのキャンセル待ち予約はほとんどあてにならない</title>
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    <published>2012-01-19T17:12:06Z</published>
    <updated>2012-01-29T16:10:03Z</updated>
    
    <summary>１）昨日の19日木曜日、羽田12:00発伊丹行き便のキャンセル待ち対応について、羽田空港のGS（グランドスタッフ）たちともめてしまった。※保安検査場を通る前の搭乗受付カウンターGS二人。 ...</summary>
    <author>
        <name>芦田 宏直</name>
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            <category term="日常" />
            <category term="社会・思想" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.ashida.info/blog/">
        １）昨日の19日木曜日、羽田12:00発伊丹行き便のキャンセル待ち対応について、羽田空港のGS（グランドスタッフ）たちともめてしまった。※保安検査場を通る前の搭乗受付カウンターGS二人。

        <![CDATA[２）私のやりたかったことは、満杯になっているプレミアム席のキャンセル待ち予約。いつもこの便を使っているが、今回はいつも使うJTBの予約が遅れてしまい三日前の予約になってしまって、プレミアム席がすでに満杯。JTBにキャンセル待ちの予約を入れていたが、キャンセル待ち予約は、JTBでは約2日前の間近になると閉じてしまうので、「あとは、空港でお願いします」とのことだった。

３）そこで、ANAプレミアムダイヤモンドデスク（私は一応ANAのダイヤモンドプレミア会員）に2日前に電話をして、キャンセル待ち予約を入れたら、これも「発時刻の24時間前までしか受け付けられない」とのこと。

４）私：「では、２４時間過ぎたらどうすればいいのか？」と聞いたら、ANA：「ネットで予約し続けるか、それでもダメな場合は、当日空港でキャンセル待ちの手続きをしていただくしかない」とのこと。

５）私：「プレミアム会員であろうが、なかろうが、当日のキャンセル待ちは早いもの順ですか？」。ANA：「はい。そうでございます」。私：「私はいつも2時間前には空港に行っているのですが、（では）早ければ早いほどいいのね」。ANA：「はい、さようでございます」とのことだった。

６）今日の羽田空港に着く直前まで、iPhoneANAアプリの予約をし続けていたが、空席表示は出ないまま、本日、午前10:00、約二時間前に空港について、搭乗前のラウンジカウンターで急ぎ足で駆け寄り、キャンセル待ちの手続きに入った。

７）ところが、キャンセル待ちの連番札は、11:00発（私の乗りたい12:00発の一便前）の伊丹便の発時刻15分前の段階ですべてリセットされると受付のGS（グランドスタッフ）は言う。

８）私：「では、12:00のキャンセル待ち客はどうすればいいのか」。

９）GS：「もう一度、10:45前後に、こちらのカウンターへ来ていただいて、キャンセル待ち連番札を取っていただくしかありません」。

１０）私：「そんなバカな」。

１１）私：「では、何時に、どれだけ早く来ても、その10:45に一瞬でも遅れてしまえば、二番目、三番目のキャンセル待ち客にされるってこと?」

１２）GS:「そうでございます」

１３）私：「なんで発指定ができない連番処理になってるのよ？」

１４）GS:「そういうことになっています」

１５）私：「あなたの配慮で、私の得た連番（A-12番札）を12:00発の更新札にすることはできませんか」

１６）GS:「そういうことをすると、朝早くからお待ちのお客様との関係で問題が起こりますのでいたしかねます」

１７）私：「ということは、連番がリセットされずに持ち越しで予約更新されるお客様もおられるということですか」

１８）GS:「そういうわけではありませんが、不都合が起こることもございますので」

１９）私：「何言ってるのか、わからない」

２０）GS:「早くからお待ちのお客様もおられますので」

２１）私：「そんなものを無視しろ、と私は言っていませんよ。私より早くから来られているお客様はそう扱えばいいのよ。それを通り越して連番待ちを有利にしろと言ってるわけじゃないのだから。一時間前でリセットされた後に、もう一度10:45にカウンターに来なくてはいけないというのがわからない」

２２）GS:「そういうことになっておりますので」

２３）私：「でもあなたの言い方では、必ずしも、更新リセットされるばかりの連番待ちでもなさそうだね。あなたの個人的な処理で、それを行うわけにはいかないの？」

２４）GS:「そればかりは」

２５）私：「なんで発便単位のキャンセル待ちが一時間前以上ではできないんだろうね。空港まで来ているにもかかわらず。あなた、キャンセル待ちの手続きに、２回もカウンターに来なければいけない顧客の面倒さわかりますか。その上、どんなに早く来ても、その約１時間前にはその時間差がリセットされるという不合理の意味が」

２６）GS：「……」

２７）私：「私は、プレミアムデスクで『早く行けば行くほどいい』ということを確認して、わざわざこの時間に来たのですが、それを考慮したとしても、個人処理はできないということですか」

２８）GS:「ちょっとお待ち下さい」

２９）（10分ほど待たされて）

３０）GS：「分かりました。今回に限り、現在10:20ですが、待ち連番A-12番で、10:45以降も継続の取り扱いをさせていただきます。ただし、今回限りということで」。

３１）私：「分かりました。ちょっと、聞きたいのだけど、このキャンセル待ちは、ダイヤモンド会員の優先権、あるのですか？」

３２）GS：「残念ながらございません。24時間前の受付では、ダイヤモンド会員様は最優先扱いさせていただいていますが、24時間以内の発便に関しては、全てのキャンセル待ち予約は、予約順にさせていただいています」

３３）	私：「分かりました。もう一つ質問。このキャンセル待ちは、空き席が出た段階で予約が埋まるようになっているのですか。席が確保できた段階で、なにか連絡があるのですか。たとえば、プレミアムラウンジで、待ってる場合などに確認はできるのですか」

３４）GS：「それは、残念ながらできません。保安検査場を通過していただいた後の搭乗口に15分前に来ていただいて、その段階ではじめてキャンセル待ちの結果が分かるようになっています」

３５）私：「ということは、何時間前に来ていても、そして仮に何時間前にキャンセル待ち予約を入れていても、空港でのキャンセル待ち予約の結果は、15分前にしか分からないということね」

３６）GS：「はい、そういうことでございます」

３７）私：「その話は、こちらから、当該搭乗カウンタに問い合わせても、15分前にしかわからないということですか」

３８）GS：「はい、そうです」

３９）私：「では、搭乗口での発時刻15分前のキャンセル待ち呼び出しに少しでも遅れてしまえば、たとえ保安検査場を通過していても、キャンセル待ち予約順の優先性は、またそこで消える訳ね」

４０）GS：「そういうことでございます」

４１）私：「それはつらいね。プレミアムラウンジでゆっくりできないどころか、自分の席がどの席になるのかも、直前の15分前にしか分からない。問い合わせにも応じないということね」

４２）GS：「そうです」

４３）私：「わかりました。とりあえず、今回は、1時間前のリセットについては、更新継続していただくということで、12:00発のキャンセル待ち予約は確定したということでいいですね。もう受付カウンターには来なくてもいい、と」

４４）GS：「はい、結構です。今回限りということで、よろしくお願いします。お客様のご意見については、上部にも伝えます」

４５）私：「なんともひどいキャンセル待ちの仕組みだけど、あなたには感謝するよ。ありがとう」

４６）ということで、私は、まだ12:00まで時間があったので（その受付での処理が終わったのが、10:50くらい）、食事をしようと、保安検査場を通過せず、食事をしていた。

４７）もうキャンセル待ち予約もしたのだから、ネットで（iPhoneで）予約の手続きをするのも意味はないか、と思いながらも、iPhoneアプリの「ANA旅達」で予約アクセスしたら、なんと一席プレミアム席が空いているという表示が出た。

４８）これはすぐにでも、予約だ、と手続きに入ろうとしたら、「重複予約」という表示が出た。さもあらん。3日以上前にJTB予約している同じ便のエコノミー席予約が存在しているからだ。

４９）そこで、この場合、どうしたらいいのかと、食べ始めた食事もカバンも上着もそのままにして、ただちにレストランを走り出て、今度はプレミアムラウンジ専用の受付に回った。

５０）さきほどのGSは、一般客用の受付カウンタ。そのカウンタは今回混んでいたので、プレミアムカウンター側に回ろうとしたのだった。期待通り、プレミアムカウンターは空いていた。

５１）私：「10分ほど前にキャンセル待ち予約を取ったものですが、いまネットで12:00発伊丹便の空席情報が出て、予約しようと思ったら「重複予約」だ、と出ました。どうすればいいですか」と。

５２）GS２：「ネット予約とキャンセル待ちは別の話ですので、一度そちらで予約していただいて、すでに予約済みの席をキャンセルしていただくことになります」

５３）私：「えーっと。私は20分ほど前に空港の予約カウンターでA-12というキャンセル待ち予約札をいただいたのですが、このキャンセル待ちといまネットで空席が出たという情報とはどんな関係になっていますか」。

５４）GS２：「それとは直接関係ありません」

５５）私：「直接関係ないって？」

５６）GS２：「キャンセル待ちとネットでの空席とは関係ありません」

５７）	私：「だって、同じ飛行機の同じ座席の埋まり具合については、管理サーバーは同じでしょ。私が入れているキャンセル待ち予約は、たぶん12:00発の伊丹行きの予約番号としては最初のキャンセル待ち予約だと思うけど、いま５分ほど前に出た空き席はそれを踏まえて表示されているものか、そうではないのか、どちらですか」

５８）GS2：「ネットでの空き情報と空港でのキャンセル待ち予約とは別物です」

５９）私：「ということは、どういうこと？　この段階で、ネットの空き席情報と予約受付が可能になったということは、私の20分ほど前のキャンセル待ち予約が処理されていないということですか」

６０）GS２：「そうです」

６１）私：「えっ。だとすると、私は空港まで2時間以上も前に来て、キャンセル待ち予約を入れたけど、搭乗前の何分か前まで受け付けているネット予約の方が優先されるってことですか？」。

６２）GS２：「そういう場合もあります」

６３）私：「そういう場合もある、ではなくて（笑）、そもそも仕組みとしてどうなっているのですか」

６４）GS２：「ネットに全ての座席情報が公開されているわけではないので、そういう場合もあると申し上げました」

６５）私：「いわゆる、VIP用の隠し座席みたいなものね。最後列なんかも用に確保されてたりする席のことね」

６６）GS２：「それもあります。それは、空港内でのキャンセル待ち予約が優先される場合もあります」

６７）私：「また、それ『も』、だ（笑）。そんな話、聞きたいんじゃないんだよ。要するにネット公開席の中で、空き座席ができた場合、そこに、空港内でのキャンセル待ち連番札の予約が順に入っていくという仕組みにはなっていないのね。その意味ではネット予約は、空港内でのキャンセル待ち連番札の予約に優先すると考えていいの？」

６８）GS２：「そういう場合もございます」

６９）私：「あなた、何言ってんの？　また『も』ですか。なんで、実際に空港に来ていて乗る意志も固い顧客の予約を優先しないで、意志の見えないネット予約を優先するのよ。

７０）私：「じゃあ、質問の仕方を変えましょう。あなたが仮に何百万円だしても、プレミアム席を取りたいとします。そこで空港に来て、キャンセル待ち連番札は確保した。これで充分ですか？　ネット予約はキャンセル待ち連番予約を取っておけば、直前までする必要はない？」

７１）GS２：「いえ、ネット予約はできるのなら、やった方がいいと思います」

７２）私：「わかりました（笑）。つまり、空港内カウンターでのキャンセル待ち連番予約は、ネット公開席のその都度のキャンセル状況（キャンセルによって空いた席の確保）に連動していないという結論ね」

７３）GS２：「そういうことになります」

７４）私：「だったら、あなたたちは、早めに来て是が非でも席を取りたいキャンセル待ち連番予約札を取ったお客様に、『もしできるのであれば、ネット予約もやってみて下さい』とアドバイスするべきじゃないの。私は、最初期のキャンセル待ち連番予約札を取って、半ば安心していたもの」

７５）GS２：「申し訳ございません」

７６）私：「そこで、このお話のまとめをしておきたいのだけど、要するに空港内でのキャンセル待ち連番予約というANAのシステムは、搭乗口発時刻前15分の段階の決済、つまりその時間でのみのキャンセル状況を見ているものでしかないということね。VIP隠し席も含めて。

７７）私：「言い換えれば、その15分前までに、ネット上の公開席でどんなに空き席がでても（キャンセル待ち連番予約以後から搭乗15分前まで間の何分か）、ネット予約者がどんどんそこに後追い予約を入れていけば、わざわざ空港まで来てキャンセル待ち予約を入れている客がいても、その客たちの予約は置いてきぼりをくうという理解でいいのね」

７８）GS２：「その言い方ですと、そうなりますね。お客様、ちょっとお待ち下さい」

７９）と言って、プレミアムカウンターのそのお嬢様受付がかりは、私の前から姿を消した（もちろん私の要件処理のために）。

８０）最初に断っておくが、最初の一般カウンターのGS（＝GS1）と話しているときも、プレミアムカウンターのGS2と話しているときも、年季の入った女性GSが背後につきっきりの対応だった。私は大声も上げてはいないし、もちろん喧嘩口調ではなかったが。

８１）私が、この待ち時間にも心配していたのは、先ほどの食事時間での予約サイトアクセスで発見した空き席のことだった。予約は重複予約表示が出て以後、手続きを進めていなかったから、GS２と話しているうちに、再度アクセスしたら、もはや空き席なしの状態になっていたのだ。チクショー、と内心舌打ちしながら、待っていた。

８２）しかし、5分経っても、GS2は出てこない。そこで隣にいたGSに、「ちょっと時間がないので、彼女が戻ってきたら電話ちょうだい」と電話番号を教えてその場を去り、食事に駆け足で戻った。

８３）食事はいつもの回転寿司だったが、カバンも上着も、取り集めたガリもお茶も醤油皿もそのまま残っていた。そもそもまだ寿司を一個も食べていなかったのだが、ほっとした瞬間だった。20分は置き去りにしていたのに。

８４）このとき、すでに11:30くらいになっていた（12:00発時刻まであと30分しかない）。そこでやっと、にぎりを4個ほど一気に食べた段階で、彼女からの電話。

８５）GS２：「芦田様ですか」

８６）私：「はいそうです」

８７）GS２：「先ほどのキャンセル待ちの件ですが、芦田様が携帯アプリから予約手続きに入られた席が予約されておりました。プレミアム席が既に取れております。ご迷惑をおかけしました」

８８）私：「なんだそれ（笑）」

８９）GS２：「つきましては、エコノミー席のキャンセル手続きと差額料金のお支払いが残っておりますので、お手数ですが、もう一度受け付けカウンターまでお越し願えますか。搭乗手続き時間がもう余りございませんので、お急ぎ下さい」

９０）私：「分かりました。すぐ伺います」

９１）いったい、なんだったんだ、と（ 内心つぶやきながら）、お皿の数、四枚を年齢不詳のおばさん店員に数えていただいて、今度はカバンも上着ももって、いざANA受付カウンターに。

９２）私はいまさらながら、またGS2に顔を合わせるのも面白くないな、と思って、表の一般カウンターで、何事もなかったように、座席変更手続きを取ろうとした。

９３）すると、来るはずもない（わかるはずもない）、GS2がわざわざコンコース側の一般受付カウンター側に出てきて、一言もしゃべらずに私に笑顔を振りまくではないか。（※ここだけの話、彼女は上の下程度の可愛い女性だった）

９４）これは明らかに、一般受付の誰かが私を発見して、GS2に教えたに違いない。

９５）ここでこそ言うが、最初のGSもGS2も、決してできの悪いGSではなかった。年季の入ったGSが背後に付いていても、一切口出ししないほど、そこそこの水準のある対応だったからだ。

９６）それに、プレミアムカウンターは中途半端にわがままな中小企業の社長たちが面倒くさいことを言う受付窓口でもあるから、そこそこの、百戦錬磨のGS2の対応だった。

９７）しかし両方のGSの対応の共通の傾向は、「乗り切り」型のノウハウでしかなかった。つまり組織防衛型の対応とも言える。“仕様でございます”に終始し、最後は「お客様の意見は意見として上に報告いたします」というものだ。

９８）これは接遇としては、最低のラインに過ぎない。

９９）現状のシステムを現場のそこで直すことはできないのだから、肝心なことは、まず第一に客が何を一番優先にしているかということを理解すること。第二にその優先事項に限りなく意に沿う形で実現するとすれば現状で何ができるのか。これが全てだ。

１００）	私は、二人のGSに、会話の途中、何度も「あなた、私が何を一番したいと思ってるか、分かってる？」と聞き返していた。それほどに、彼女たちは、自分たちの会社の仕組みを説明することに終始していた。しかも中途半端な説明に。

１０１）	しかし、私が知りたかったことは、いま私は何をすれば、より確実にプレミアム席を確保できるのか、ということだった。特にわがままが言いたかったわけではないのだ。

１０２）	それについては、GS1は、まったく何もしてないに等しい（結果的にはむしろ害悪ですらあった）。私に連番予約を超法規的に取って、サービスとしては、完璧だったと思っているに違いない。

１０３）	これは大きな間違い。むしろこの親切は、私が乗りたいプレミアム席の確保からは徒になるサービスだった、というのが、後のGS2とのやりとりで露見したことだった。

１０４）	GS1の対応としては、「もしお客様ができるのであれば、ネット予約は断続的に行われた方がよろしいかと思います」を付け加えるべきだった。

１０５）	彼女は目の前の顧客の、間近の要求（リッセットをせずに、予約札の予約継続性を確保して欲しいという要求）を意識しすぎて、本来の顧客の要求（プレミアム席を確保したい）に一つも応えていないのだ。

１０６）	顧客は予約をしたいために予約をしているのではなく、希望する席に座りたいだけのこと。この基本がわかっていない。

１０７）	GS2から、空港でのキャンセル待ち予約は、キャンセル待ちの最善の方法ではないという答えを引き出したのは、なんども私が質問の仕方を変えた後の話に過ぎない。この点でも、二人のGSは、苦情処理としてしか私に対応していないと言える。

１０８）	私は、苦情を言いたかったのではなくて、どうすればいいのか、を聞きたかっただけである。そしてできることなら、最適値（最適解）で、プレミアム席を確保したかっただけである。

１０９）	結果的に、この最適値は、1時間を超えるGSの対応によってではなく、私の個人的で偶然な努力で得られたことになる。

１１０）	日本の空港の最右翼の羽田空港で、プレミアムカウンターGSを含むGS体制（実質的にはGS総体制）で、“人間が”対応しても、苦情処理対応と仕様説明に終始するとはどういうことか。お粗末な「キャンセル待ち」概念の多重化は、どう考えれば、さもありなんと納得できることなのか、ANAの回答が欲しいところだ。


※この原典となったTwitterでのツイートは以下のアドレスでまとめられています→<a href="http://togetter.com/li/244114">togetter.com/li/244114</a>
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    <title>増補改訂版：世界一早い第62回NHK紅白歌合戦全曲速報　―　「気仙沼」の『港町ブルース』に100点。</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.ashida.info/blog/2012/01/62nhk100.html" />
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    <published>2012-01-01T09:03:52Z</published>
    <updated>2012-01-01T09:11:31Z</updated>
    
    <summary>【業務連絡】芦田先生( @jai_an )をフォローしてない者は紅白歌合戦開始までにフォローするように。 PT_Horiuchi 2011/12/31 15:55:17...</summary>
    <author>
        <name>芦田 宏直</name>
        <uri>http://www.ashida.info/</uri>
    </author>
            <category term="紅白歌合戦" />
    
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        【業務連絡】芦田先生( @jai_an )をフォローしてない者は紅白歌合戦開始までにフォローするように。
PT_Horiuchi 2011/12/31 15:55:17
        <![CDATA[今、食事の用意中。 RT @kumaya77: 1番の楽しみです。 RT @jai_an: 緊張します。RT @ume_kobucya: 芦田先生の紅白歌合戦ツッコミ大会の夜が静かに近づいて参りました
jai_an 2011/12/31 17:49:24

そんなアホな。 RT @mari98: 先生の紅白ツィートを中継する為では？RT @jai_an: こんな早い時間に息子が帰ってきた。
jai_an 2011/12/31 18:14:44

自分だけ、準備するなー。 RT @takatomo3: 芦田先生の紅白実況に備えて、夕飯前にお風呂終了。
jai_an 2011/12/31 18:16:27

たしかにわかるかも（笑）　 RT @hirotoebata: @jai_an 紅白の視聴率が落ちていたら先生のTweetを見ていればわかるからかも、なんて！
jai_an 2011/12/31 18:58:08

これくらいは付き合ってくれないと（笑）　 RT @choko0101: さ、年越し蕎麦をさっさとたべちゃって、芦田先生の紅白ツイート追いかけながら紅白をみて、初日の出に備える！
jai_an 2011/12/31 19:03:48

お前は、家の掃除。 RT @meetie_s: 私も紅白観るよっ！！RT @AyanoTDO: 私もっ!! RT @tweedol_mat: 紅白見たい！！！
jai_an 2011/12/31 19:04:02

芦田先生がアップを始める頃か・・。
rum_da 2011/12/31 19:05:47

頑張りますが、いつも自信がありません（笑）。 RT @designer_tetsu: 今年度の最後に見逃してはならないもの…それは芦田 @jai_an 先生の紅白ツイート！。
jai_an 2011/12/31 19:09:31

いま、ピュアブルマンコーヒーを準備中。 RT @rum_da: 芦田先生がアップを始める頃か・・。
jai_an 2011/12/31 19:10:23

そこまではない。 RT @ichirobass: @jai_an 芦田先生のツイートで紅白の視聴率10パーセントぐらい上がるのかも。
jai_an 2011/12/31 19:11:46

よろしく。 RT @choko0101: お邪魔しないように気をつけます笑 今年は母も一緒に！RT @jai_an: これくらいは付き合ってくれないと（笑）　 RT @choko0101: さ、年越し蕎麦をさっさとたべちゃって、芦田先生の紅白ツイート追いかけながら紅白を…
jai_an 2011/12/31 19:14:11

文字数が多すぎる！　 RT @aoinatsunosora: こういうことかな。 #kouhaku #nhk #nhk紅白 RT @jai_an: 誰か、私のツイートに、紅白関連のハッシュタグを付けて再ツイートして下さい（もちろん非公式でいい）。お願いします。
jai_an 2011/12/31 19:14:24

始まるぞ。 RT @flmarch: やっぱり大晦日と言えば芦田先生のツイートと紅白だと思う。
jai_an 2011/12/31 19:14:39

始まった。
jai_an 2011/12/31 19:15:12

すでに司会の名前がわからない。二宮君だけ知ってる。
jai_an 2011/12/31 19:16:07

紅白は放送見ないで芦田先生のツイートだけ見ておく。
cocorosh 2011/12/31 19:16:48

NHKの番組出てるからって、司会にするな。
jai_an 2011/12/31 19:16:51

細川たかし、禿げすぎ。
jai_an 2011/12/31 19:17:32

司会は、堺正章がいちばん。
jai_an 2011/12/31 19:18:12

芦田先生のツッコミで紅白が楽しめるので見れないけど良しとしよう。
yumenosato 2011/12/31 19:18:21

桜井、わざと落ちつきすぎ。
jai_an 2011/12/31 19:18:44

なでしこ、素人ぶりがいい。
jai_an 2011/12/31 19:19:32

宮間がいない。
jai_an 2011/12/31 19:19:53
Content from Twitter

芦田先生始動
kamakuni 2011/12/31 19:20:19

RT @nomocomon: 先生飛ばしてる RT @jai_an: 細川たかし、禿げすぎ。
jai_an 2011/12/31 19:20:19

RT @transit_camp: 的確。 RT @jai_an: 桜井、わざと落ちつきすぎ。
jai_an 2011/12/31 19:20:23

RT @1yuta0: 妹（高2）もなんか指摘してましたｗファンなのに好きな人には厳しいみたいですｗRT @jai_an 桜井、わざと落ちつきすぎ。
jai_an 2011/12/31 19:20:28

Twitterの芦田先生の紅白ツイートが面白すぎる。
kumaya77 2011/12/31 19:24:07

1）浜崎あゆみ「progress」　声が伸びてない。今年、歌う回数が減ったからか。衣装は脱がない方が良かった。背の低さを隠せたのに。もう、太ももをさらせるラインは残っていない。男に捨てられた女性はもの悲しい。
jai_an 2011/12/31 19:24:10

先ほどの浜あゆの歌。54点。
jai_an 2011/12/31 19:24:41

芦田先生の紅白ツイートが全くうざくて素晴らしい。
Ukey_ 2011/12/31 19:26:46

NYC「100%勇気NYC」　口パクが許せない。三人とも足が短い。嵐とセットで出場をしたようなもの。ジャニーズ事務所強い。舞台作りがすごかった。後ろのモニタの使い方もいい。やぱっり紅白は舞台にたくさん立たないと。54点。
jai_an 2011/12/31 19:28:15

井上真央も落ち着きぶりがわざとらしい。
jai_an 2011/12/31 19:29:03

かわいそうな女性には優しい。 RT @ponta_jp: 意外と高得点。RT @aoinatsunosora: そんなもんかな。 #ashida1231 #kouhaku RT @jai_an: 先ほどの浜あゆの歌。54点。
jai_an 2011/12/31 19:29:26

芦田先生の紅白批評を見ながらごはんつくーる
kingyo_neko 2011/12/31 19:30:01

アンジェラ・アキ「One Family」　日本語のなまった外国人は嫌いだ。この人KYな感じでしょ、たぶん。歌もアナクロ。声の引き方も下手だと思う。50点。
jai_an 2011/12/31 19:31:30

ビデオ入れて、ごまかすな、生放送の良さを。
jai_an 2011/12/31 19:31:55

flumpool「証」　うしろの戦前の女学生のような集団がよかった。男の集団は気持ち悪い奴らが多かった。しかしなぜ被災地の生徒たちがバックに立たない？　歌手は知らない。歌もどうでも良い歌だった。こういう背景のある歌は不健康だ。20点。
jai_an 2011/12/31 19:35:38

高橋みなみが、私は好きだ。
jai_an 2011/12/31 19:36:13

この前見たばかりだと思ってた芦田先生の紅白ツイート。もう一年経ってるってことだよねー。
nuts12 2011/12/31 19:36:18

高橋みなみは、見てるだけで笑える。
jai_an 2011/12/31 19:37:07

高橋みなみはまじめな顔するほどおかしい。
jai_an 2011/12/31 19:38:03

前田敦子は眉間にしわを寄せるのが良くない。
jai_an 2011/12/31 19:38:54

フｒタイングゲットはいい歌だぁ。
jai_an 2011/12/31 19:39:18

フライングゲット。 RT @jai_an: フｒタイングゲットはいい歌だぁ。
jai_an 2011/12/31 19:39:52

フライングゲットだけでいい。フルで歌え。
jai_an 2011/12/31 19:40:22

芦田先生！！ｗ RT @jai_an: フライングゲット。 RT @jai_an: フｒタイングゲットはいい歌だぁ。
tonozukayuta 2011/12/31 19:40:28

芦田先生、AKBに詳しいな
vert_jaune 2011/12/31 19:41:19

AKB48「紅白2011　AKB48スペシャルMIX　～がんばろう日本！～」　　フライングゲットと高橋みなみで80点。前田敦子の眉間にしわで10点マイナス。計70点。
jai_an 2011/12/31 19:42:01

三谷幸喜のわざとらしい笑顔が気持ち悪い（笑）。
jai_an 2011/12/31 19:42:42

ホールに空席があるじゃないか。呼べよ、私を。
jai_an 2011/12/31 19:43:51

あざとい！さすが芦田先生あざとい！！
maoow 2011/12/31 19:44:13

福クン、緊張しすぎ。かわいそう。
jai_an 2011/12/31 19:44:21

娘の紅白出演をテレビで見る、芦田先生 @jai_an 。
rhinoeye 2011/12/31 19:44:47

愛菜ちゃん、胸の真ん中に乳首がある！
jai_an 2011/12/31 19:44:51

福クン、緊張で死にそう。
jai_an 2011/12/31 19:45:29

愛菜ちゃん、内股がいい。
jai_an 2011/12/31 19:46:00

芦田愛菜は私の娘だ。
jai_an 2011/12/31 19:46:27

女があがらないのは許せない。どんなときでも。
jai_an 2011/12/31 19:47:11

芦田愛菜・鈴木福「マル・マル・モリ・モリ！」　福クンのあがり症に100点。芦田愛菜のど根性に30点引き。計70点。
jai_an 2011/12/31 19:48:16

芦田先生と知念先輩は怖いがおもなが家の総意
omonagainmyhead 2011/12/31 19:48:59

NHK，芦田愛菜、引っ張りすぎ。視聴率に拘らないからこそ、紅白だのに。
jai_an 2011/12/31 19:49:06

嵐は踊りもうまい。
jai_an 2011/12/31 19:50:10

二宮君、腰がぶれた。
jai_an 2011/12/31 19:50:41

めがねのおばさんみたいな娘は誰だ。
jai_an 2011/12/31 19:51:27

相変わらず嵐推しの芦田先生w RT @jai_an: 嵐は踊りもうまい。 #kouhaku
meetie_s 2011/12/31 19:51:35

福クン、やっと落ち着いたようだが、遅い（笑）。
jai_an 2011/12/31 19:51:54

明日、歌いたいって、どういうコメントだよ、三谷さん（笑）
jai_an 2011/12/31 19:52:42

ファンモン、応援してるぞ。
jai_an 2011/12/31 19:53:11

芦田先生のツイートが面白すぎる。目が話せない。この連続ツイートをNHK画面に載せて欲しいです。 RT @jai_an: 芦田愛菜・鈴木福「マル・マル・モリ・モリ！」　福クンのあがり症に100点。芦田愛菜のど根性に30点引き。計70点。
HARU_9 2011/12/31 19:53:55

真ん中の男が依然として謎。
jai_an 2011/12/31 19:54:01

芦田先生ｗｗｗ
vital_saaachan 2011/12/31 19:54:13

FUNKY MONKEY BABYS「それでも信じてる」　flumpool「証」よりはるかにいいいじゃないか。75点。
jai_an 2011/12/31 19:55:09

西野カナは、足を出さない方がいい。
jai_an 2011/12/31 19:55:51

足は細いが形が悪い。
jai_an 2011/12/31 19:56:11

出てる－。ダメだぁ。
jai_an 2011/12/31 19:56:30

一年ぶりの芦田先生、紅白ツイート♪ RT @jai_an: NHK，芦田愛菜、引っ張りすぎ。視聴率に拘らないからこそ、紅白だのに。
thumo 2011/12/31 19:56:31

膝が閉じない。
jai_an 2011/12/31 19:56:57

膝から下が外へと湾曲しすぎ。
jai_an 2011/12/31 19:57:25

歌はすごくいいのに。
jai_an 2011/12/31 19:57:36

芦田先生の実況で紅白の存在を思い出す年の瀬。
dontbetrue 2011/12/31 19:58:37

西野カナ「たとえ　どんなに…」　歌は良くて90点。足が悪いので20点引き。70点。
jai_an 2011/12/31 19:58:41

RT @togetterjp: 【新着】主: @11qawa 芦田先生( @jai_an )の紅白実況まとめɿ(^o^)ɾ fav:0 view:4	 http://t.co/ovqViZiP
jai_an 2011/12/31 19:59:00

細かい指摘し過ぎｗｗ RT @jai_an: 膝から下が外へと湾曲しすぎ。
tonozukayuta 2011/12/31 19:59:04

あぁ芦田先生の評価は70点代を超えないw
Moshiya314 2011/12/31 20:00:10

AAA「CALL」　小室の歌も、もはや終わっている。55点。
jai_an 2011/12/31 20:00:27

芦田先生の点付けは大体納得できる
Nobushige5884 2011/12/31 20:00:44

スターとはそんなことをも覚悟している人たち。 RT @ponta_jp: 歌っている人は足が採点基準になってるとは夢にも思わず。 RT @aoinatsunosora: 足は、なあ・・ #ashida1231 #kouhaku RT @jai_an: 西野カナ「たとえ　どんな…
jai_an 2011/12/31 20:01:29

芦田先生、今年も女性の脚へのこだわりは健在だなｗ
micky__s 2011/12/31 20:01:42

だろ。 RT @nobushige5884: 芦田先生の点付けは大体納得できる
jai_an 2011/12/31 20:01:46

ホント芦田先生には頭が下がるわ。実名で教師やってて西野カナの足がどうとかツイートできるなんて。
Ukey_ 2011/12/31 20:02:31

川中美幸「二輪草」　どうでもいい。50点。
jai_an 2011/12/31 20:02:51

今は違うけど（笑）。 RT @yuri_transition: この曲は小室サンの曲ではないです先生。RT @jai_an: AAA「CALL」　小室の歌も、もはや終わっている。55点。 #kohaku2012
jai_an 2011/12/31 20:03:14

紅白始まって「しまった」と慌てて未読TL読み始めて、ようやく芦田先生の紅白実況ツイートに追いついた。w
kiyomizudirou 2011/12/31 20:03:24

平井堅は歌がへたくそ。
jai_an 2011/12/31 20:04:30

芦田先生、今年も酷いおw
_nakim_ 2011/12/31 20:05:16

なんだ、歌唱は。
jai_an 2011/12/31 20:05:34

結婚できない女性に人気あるんじゃないの。 RT @masataka2600: 何がいいんでしょうか？ @jai_an: 平井堅は歌がへたくそ。
jai_an 2011/12/31 20:06:07

平井堅「いとしき日々よ」　微音も伸びないし、あの下手な和田アキ子よりもさらに下手。30点。
jai_an 2011/12/31 20:07:12

それは西野カナに悪い。あの娘の歌は素敵です。足だけが悪い。 RT @y_michiari: @jai_an でも、西野カナの発声もこんな感じじゃなかったですか?
jai_an 2011/12/31 20:08:12

むぅ、芦田先生の実況を追ってたら、API制限が掛かってしまったw。
hira_jp 2011/12/31 20:08:50

サンドウイッチマン。私はあなたたちが東北の地震を目の当たりにしたときのショックを、よく知っています。ご苦労様でした。
jai_an 2011/12/31 20:09:49

相変わらず芦田先生( @jai_an )の紅白採点が正確すぎる
aminaura 2011/12/31 20:10:03

差別だぁ。 RT @daihiko: 結婚できない女性はなんでもいいのでは? RT @jai_an: 結婚できない女性に人気あるんじゃないの。 RT @masataka2600: 何がいいんでしょうか？ @jai_an: 平井堅は歌がへたくそ。
jai_an 2011/12/31 20:10:07

芦田先生ひでぇwww
_nakim_ 2011/12/31 20:10:51

大竹しのぶがつまらなそう。
jai_an 2011/12/31 20:11:04

藤あや子「あや子のお国自慢だよ　～がんばろな東北！！紅白スペシャル～」　藤あや子の声にはつやがある。なんとなく歌唱がかわいい。70点。
jai_an 2011/12/31 20:12:00

太ってるし、禿げてるし。細川たかし。
jai_an 2011/12/31 20:12:20

細川たかしは経済状態が体型に出るタイプ。
jai_an 2011/12/31 20:13:04

まゆげも揃えすぎ。体型を揃えろ。
jai_an 2011/12/31 20:13:45

いつでもそうぞ。 RT @couco_nono: 芦田先生に脚の評価してもらいたい
jai_an 2011/12/31 20:14:02

細川たかし「ねぶた」　ハゲとデブはどうでもいい。40点。藤あや子の圧勝。
jai_an 2011/12/31 20:14:56

紅白の副音声に芦田先生（@jai_an ）の実況が欲しいかも。
mizunaruky 2011/12/31 20:15:35

前歯がおかしい。
jai_an 2011/12/31 20:16:31

がに股だし。隠すステップしてるけど。
jai_an 2011/12/31 20:17:24

年齢と衣装が合ってない。
jai_an 2011/12/31 20:17:37

水樹奈々「POP MASTER」　なんでこんな人が毎年紅白に…。勉強嫌いそう。48点。
jai_an 2011/12/31 20:18:01

アポロを歌ってくれ！　ポルノ。
jai_an 2011/12/31 20:18:42

芦田先生wwwwww
_nakim_ 2011/12/31 20:18:47

芦田先生のツイートが裏切らないww
chiezoyo 2011/12/31 20:20:01

そういう事情通の話は一切受け付けない（笑） RT @junko_fujita: 先生、奈々は前歯が存在価値なのです！ RT @jai_an: 前歯がおかしい。
jai_an 2011/12/31 20:21:01

私の紅白批評は現象学的（フッサール）。
jai_an 2011/12/31 20:21:23

しかし今年はハッシュタグを貼り付けるタイムラグすらカットしてきたか芦田先生さすがです。
FukushimaKokugo 2011/12/31 20:21:25

ポルノグラフィティ「ワンモアタイム」　やっぱり、『アポロ』を超えることができない。60点。
jai_an 2011/12/31 20:21:31

福山、顔が引き締まってる。うらやましい。
jai_an 2011/12/31 20:22:50

テレビ見ろよ。 RT @amka3280: 芦田先生の紅白採点が面白すぎるｗｗｗ　見てないけどツイッターだけで笑える
jai_an 2011/12/31 20:23:08

偉そうに言えるのは、消費者の権利。 RT @zephilis: こんな人いうほどこの人のこと知らないんでしょｗｗｗｗうぇｗｗｗ RT @hamurabi_subst 先生は今年も厳しいですね（ ﾟωﾟ) RT @jai_an: 水樹奈々「POP MASTER」　なんで…
jai_an 2011/12/31 20:23:40

猪苗代湖ズ「I love you & I need you ふくしま」　猪苗代湖が泣いてる。福島も泣いてる。10点。
jai_an 2011/12/31 20:24:39

フ・ク・シ・マって、何を拭いてるんだろう。
jai_an 2011/12/31 20:25:31

背景のある歌は嫌いだ。社会主義リアリズムを思い出す。自分の歌を歌ってこそ、サポートだろ。
jai_an 2011/12/31 20:26:49

マイクを私に向けるな。
jai_an 2011/12/31 20:27:29

芦田先生のコメント深い・・・すごい・・・さすが・・・
bonnepititchat 2011/12/31 20:29:13

伍代夏子「金木犀」　どうでもいい。それに太ってる。38点。
jai_an 2011/12/31 20:30:10

奈々ちゃん、芦田先生に言われまくりw
yukinohitohira_ 2011/12/31 20:30:32

ラルク。みんな風呂入ってないのか。汚い。
jai_an 2011/12/31 20:30:51

水樹奈々ファンが芦田先生にキレてる。
micky__s 2011/12/31 20:30:54

腰の動きがへん。
jai_an 2011/12/31 20:32:18

横揺れの腰。
jai_an 2011/12/31 20:32:31

毎年のこと。アニメオタクとはいつも喧嘩。 RT @micky__s: 水樹奈々ファンが芦田先生にキレてる。
jai_an 2011/12/31 20:32:59

水樹奈々好きな人は芦田先生のツイート見に行っちゃダメ。
detteyouchi 2011/12/31 20:33:12

L' Arc～en～Ciel 「CHASE」　横揺れラルク。40点。
jai_an 2011/12/31 20:34:00

芦田先生すごいなー！！
chiezoyo 2011/12/31 20:34:39

鈴木選手、氷上のときよりきれい。
jai_an 2011/12/31 20:34:58

アホか。褒めるには1000倍のパワーが要る。 RT @geru_takuan: 芦田先生とかいう批判しかできない人間
jai_an 2011/12/31 20:36:04

水森かおり「庄内平野　風の中」　いい年してなぜ前髪を垂らす？　32点。
jai_an 2011/12/31 20:36:58

これ、背景と歌とが合っていない。後ろでくるくる回ってどうする？
jai_an 2011/12/31 20:37:44

そうそう。 RT @negi317: シャレの通じない人が増えてますね RT @jai_an: 毎年のこと。アニメオタクとはいつも喧嘩。 RT @micky__s: 水樹奈々ファンが芦田先生にキレてる。
jai_an 2011/12/31 20:38:09

水森さんの背景は手抜きが目立った。
jai_an 2011/12/31 20:38:39

港町ブルースは絶対いいよ。
jai_an 2011/12/31 20:38:54

イントロだけで泣けてくる。
jai_an 2011/12/31 20:39:11

気仙沼、と歌えば涙が出るよ。
jai_an 2011/12/31 20:39:55

芦田先生即効フォロー
hitomi_0302 2011/12/31 20:40:14

泣いた－。
jai_an 2011/12/31 20:40:25

芦田先生デレモードｗ RT @jai_an: 泣いた－。 #nhk #kouhaku
uwakahito 2011/12/31 20:41:03

森進一「港町ブルース」　気仙沼で100点。
jai_an 2011/12/31 20:41:04

うまいねぇ。でも昔のパワーがない。
jai_an 2011/12/31 20:41:52

芦田先生が珍しく（笑）人を褒めているので、 RT @jai_an: 鈴木選手、氷上のときよりきれい。
maxwellder 2011/12/31 20:42:09

椎名林檎。袖の膨らみが大きすぎる。もう一回り小さくすればスタイルがよく見えたのに。
jai_an 2011/12/31 20:42:55

今度はウエストのラインが低すぎる。
jai_an 2011/12/31 20:46:01

なんか二曲とも椎名林檎の歌風じゃないよ。
jai_an 2011/12/31 20:46:45

後半の方が顔がきれいに見える。肩と首筋がきれいだから。
jai_an 2011/12/31 20:47:44

芦田先生への採点リプがウケるｗｗ
toarugachi 2011/12/31 20:48:21

椎名林檎「カーネーション　―紅組なら誰でも」　椎名林檎は声が汚い。伴奏が貧弱なのが余計につらい。55点。
jai_an 2011/12/31 20:48:24

ビデオ放映は、紅白が死滅することを意味する。
jai_an 2011/12/31 20:49:53

サンキュー。 RT @m_riwo: @jai_an 芦田せんせー、採点の中間まとめできましたー。 http://t.co/RNVsymGn

jai_an 2011/12/31 20:50:11

現在、私の集計、赤537点。白、484点。
jai_an 2011/12/31 20:51:27

夏川りみがマツコに近づいている。
jai_an 2011/12/31 20:52:10

夏川りみ・秋川雅史「あすという日が」　こういう社会主義みたいな歌は嫌いだ。気仙沼を自然に歌い上げる森進一『港町ブルース』の方が遙かに優れている。50点。
jai_an 2011/12/31 20:54:51

芦田先生の採点どおりになった。笑
ushiryu 2011/12/31 20:55:03

芦田先生の紅白採点、@を抜いて先生のIDで検索するとなかなか面白い
asuhasan27 2011/12/31 20:59:32

そうだと思う。普通です。ファンだけが怒っているのです（笑）　しようがないけど。 RT @hotarubiz: 芦田先生は実に素直だよ。これに腹を立てる奴らはどこまで幼稚なんだ。もちろんそれぞれのファンに配慮しない言葉だったとしても、これくらい言っても当然の事しか言ってない
jai_an 2011/12/31 21:00:17

なんか、この三人のお尻、気持ち悪い。
jai_an 2011/12/31 21:01:39

RT @mauekusa: 辛口で素敵な、芦田先生（ .@jai_an )の 紅白歌合戦 前半戦のツイート トゥギャりました！ http://t.co/tlfRM633
jai_an 2011/12/31 21:01:59

KARAは、なんか年齢をごまかしている人がいるような気がする。
jai_an 2011/12/31 21:02:31

口パクだ。
jai_an 2011/12/31 21:03:03

KARA「KARA2011スペシャルメドレー」　なんか少女時代と較べると、化粧が不潔なのだ。60点。
jai_an 2011/12/31 21:04:20

徳永は微音が伸びない。
jai_an 2011/12/31 21:06:11

徳永英明「時代」　こんなにひどい『時代』はない。帰れ。20点。
jai_an 2011/12/31 21:07:06

違います。本人が伸ばそうとしているところでも伸びていません。 RT @1yuta0: 仕様です。。。 RT @jai_an: 徳永は微音が伸びない。
jai_an 2011/12/31 21:08:12

パフュームは、少女時代に破壊された。
jai_an 2011/12/31 21:09:16

さすがに太もものラインが崩れてきた。悲しい。
jai_an 2011/12/31 21:10:06

Perfume「レーザービーム」　年を取ると顔が大きく見えるのは、私だけの錯覚か。60点。
jai_an 2011/12/31 21:11:57

だって、足を見ろ、という演出なのだから。 RT @etoile6_6: 先生、脚フェチなんですね。 RT @jai_an: さすがに太もものラインが崩れてきた。悲しい。
jai_an 2011/12/31 21:12:23

腐ってもパフューム。 RT @uwakahito: 高得点ですね RT @jai_an: Perfume「レーザービーム」　年を取ると顔が大きく見えるのは、私だけの錯覚か。60点。 #nhk #kouhaku
jai_an 2011/12/31 21:13:08

TOKIO「見上げた流星」　歌手は余芸にしておいた方がいい。54点。
jai_an 2011/12/31 21:14:03

芦田先生の紅白採点多磨ラネェーゼ！
nodame_nodamage 2011/12/31 21:14:57

芦田先生って言うから芦田愛菜大先生のことかと思った
Ima_bh02 2011/12/31 21:15:40

鈴木明子は、正面から以外ダメ。
jai_an 2011/12/31 21:16:09

ユナ、いたー。
jai_an 2011/12/31 21:16:24

最近は、少女時代、メイクが濃い。
jai_an 2011/12/31 21:16:42

ユナが正面だった。
jai_an 2011/12/31 21:16:59

ユナ、元気がない。
jai_an 2011/12/31 21:17:21

ユナは、いつも足が細い。
jai_an 2011/12/31 21:17:49

踊りを見せるときには衣装を統一した方がいいのに。
jai_an 2011/12/31 21:18:14

ユナ、笑顔も元気がない。
jai_an 2011/12/31 21:18:47

大写し過ぎて、少女時代の迫力なし。
jai_an 2011/12/31 21:19:38

少女時代「GENIE」　全然良くなかった。カメラも衣装も良くない。ユナの体調も悪そう。65点。
jai_an 2011/12/31 21:20:53

郷ひろみも禿げてる。
jai_an 2011/12/31 21:21:25

腐っても少女時代。 RT @flipflop_jp: えっ、全然良くないのに高得点…RT @jai_an: 少女時代「GENIE」　全然良くなかった。カメラも衣装も良くない。ユナの体調も悪そう。65点。
jai_an 2011/12/31 21:21:52

「よろしく哀愁」でしょう。
jai_an 2011/12/31 21:23:43

郷ひろみ「Go Smile Japan!!」　年齢を感じさせないことに命をかけてるくせに、その割に年を取っていることを感じさせたので、40点。息も切れていた。
jai_an 2011/12/31 21:24:12

公平を心がけています。たとえユナファンでも。 RT @moshiya314: 芦田先生すごい公平なジャッジだw ていうかユナ想いw
jai_an 2011/12/31 21:24:51

aikoもなぜ紅白に毎年出るのかわからない歌手の一人。嫌いじゃないけど。
jai_an 2011/12/31 21:25:48

今年は衣装がいくらなんでも地味すぎる。
jai_an 2011/12/31 21:26:26

aiko「恋のスーパーボール」　体調悪そう。60点。
jai_an 2011/12/31 21:27:03

60点。体調管理できない歌手はダメ。もう一週間以上治せていない。 RT @meetie_s: aikoは去年の評価がよかっただけ芦田先生の評価はいかに！？ #kouhaku
jai_an 2011/12/31 21:27:52

ゆずは両方とも結婚したけど、絶対わかれる。
jai_an 2011/12/31 21:29:32

ゆず「Hey和」　最近、悠仁が宗教じみてきて面白くない。岩沢がバランスを保っているのがせめてもの慰め。普通の歌を作れ。バックコーラスはいいが不自然な笑い声が邪魔。50点
jai_an 2011/12/31 21:32:29

知ってどうする？　 RT @hideking0314: @jai_an ？？？KARAの何を、ユナの何を知ってるのだろう？
jai_an 2011/12/31 21:33:15

「知る」って何？　 RT @hideking0314: @jai_an ？？？KARAの何を、ユナの何を知ってるのだろう？
jai_an 2011/12/31 21:33:30

UPがつらい鈴木京香。
jai_an 2011/12/31 21:34:15

首のほくろが気になる、倖田來未。
jai_an 2011/12/31 21:35:05

中居君への当てつけで結婚した倖田來未。
jai_an 2011/12/31 21:35:38

お腹がふくらんでる。地球儀のよう。
jai_an 2011/12/31 21:36:27

三ヶ月くらいで地球儀か。
jai_an 2011/12/31 21:36:57

倖田來未「愛を止めないで」　もはや普通の歌手。55点。
jai_an 2011/12/31 21:37:40

東方神起、二人ではね。
jai_an 2011/12/31 21:38:04

きれいな着地だった。
jai_an 2011/12/31 21:38:34

東方神起「Why？（Keep Your Head Down）」　二人なんだから、もっとバラード調の歌でいいんではないかい？　55点。
jai_an 2011/12/31 21:39:39

いまはポスト制限が気になって、バカどもをいちいち相手にできない（笑）　 RT @ukey_: 芦田先生に絡んだって蹴散らされるだけなのに。
jai_an 2011/12/31 21:40:18

2年前の（たしか）紅白の倖田來未はサイコーだった。 RT @sabu_mikawaya: かつては「もはや」の歌手ではなかったのですか？ RT @jai_an: 倖田來未「愛を止めないで」　もはや普通の歌手。55点。
jai_an 2011/12/31 21:41:24

こんなどうでもいいことを紅白の今、ツイートできるのもTwitterです。 RT @yuz_yomogi: 今朝改めて思ったけど、混んでる電車大嫌い。
jai_an 2011/12/31 21:43:24

そう思います。 RT @ushiryu: 早く5人に戻れ。。。RT @jai_an: 東方神起、二人ではね。
jai_an 2011/12/31 21:43:55

歌手は、何かに従属しながら歌ってはいけない。歌は歌そのものであるべき。
jai_an 2011/12/31 21:45:14

ふるさとは歌うものではなくて、「遠きにありて思うもの」。
jai_an 2011/12/31 21:46:14

罵詈雑言が飛んで来ても紅白の厳しい審査をやめない芦田先生に脱帽。
Ukey_ 2011/12/31 21:47:28

そう思います。しかも「オンライン自己」のアニメ派は特に。 RT @10wings: 芦田先生にムカつく奴は楽しみ方が分かってない奴。
jai_an 2011/12/31 21:47:57

機動隊と戦っていた頃を思えば。 RT @ukey_: 罵詈雑言が飛んで来ても紅白の厳しい審査をやめない芦田先生に脱帽。
jai_an 2011/12/31 21:48:49

平原綾香、この歌手だけはヒット曲がなくても紅白に向いてる。
jai_an 2011/12/31 21:49:25

TLが芦田先生だらけ、やばい惚れそう。
nijiris 2011/12/31 21:49:53

服装が悪くても格好が悪くても顔が悪くても、どうでもいいくらい平原綾香は紅白に欠かせない人。
jai_an 2011/12/31 21:50:39

平原綾香「おひさま～大切なあなたへ」　名誉紅白歌手。80点。
jai_an 2011/12/31 21:52:38

衣装が歌と違う、千昌夫。
jai_an 2011/12/31 21:54:36

髪の毛がない、千昌夫。
jai_an 2011/12/31 21:55:00

お金に苦労していそうな表情を浮かべる、千昌夫。
jai_an 2011/12/31 21:55:47

でも、比較的ちゃんと歌ってる、千昌夫。
jai_an 2011/12/31 21:56:24

芦田先生のツイートは楽しみだが、紅白に飽きてきた
chiezoyo 2011/12/31 21:57:11

千昌夫「北国の春」　髪の毛がなくなっていたけど、衣装と歌とが合っていなかったけど、歌は悪くなかった。75点。
jai_an 2011/12/31 21:57:15

RT @kumaboo: あとで読もう。RT @togetter_jp: .@mauekusaさんの「芦田先生の2011年 紅白歌合戦 ツイート」が伸びてるみたい。こっ、これはっ！ http://t.co/ELCWf3dt…
jai_an 2011/12/31 21:57:35

ここで紅白を離れると、来年いい年を迎えられない。全部見てこそ紅白。 RT @chiezoyo: 芦田先生のツイートは楽しみだが、紅白に飽きてきた
jai_an 2011/12/31 21:58:12

録画で出すなよ、NHK。年開けてないだろ。
jai_an 2011/12/31 21:59:58

これはビリージョエルか。
jai_an 2011/12/31 22:00:53

ガガ、この歌、いいねぇ。
jai_an 2011/12/31 22:01:45

代表作より、一曲目の方がいいよ。
jai_an 2011/12/31 22:02:58

だな。 RT @rinye1: 私もそう思う！RT @jai_an: 代表作より、一曲目の方がいいよ。
jai_an 2011/12/31 22:03:35

紅白見てないけど風呂の中で芦田先生のツイ見てぐはぐは笑ってる
kumo320 2011/12/31 22:04:06

こんなおっさんみたいな顔の人でも人気が出るんだ、不思議だね。
jai_an 2011/12/31 22:04:21

「港町ブルース」だけが対抗できる。 RT @aoinatsunosora: ガガと比べると日本勢うすっぺらいな。
jai_an 2011/12/31 22:05:18

小林幸子は『思い出酒』しかないし、それだけで充分素晴らしい。
jai_an 2011/12/31 22:06:06

この衣装、どこかで見たぞ。
jai_an 2011/12/31 22:06:36

ガガの一曲目に完全に負けている小林幸子。
jai_an 2011/12/31 22:07:07

吾郎ちゃんがかくれんぼしていた。
jai_an 2011/12/31 22:07:50

小林幸子「おんなの酒場」　もはやどうでもよくなった小林幸子。45点。千昌夫の勝ち。
jai_an 2011/12/31 22:10:22

西田は『もしもピアノ…』でしょ。
jai_an 2011/12/31 22:10:39

そうか、すみません。 RT @aoinatsunosora: 小林幸子の相手はこれから歌う西田です。 #ashida1231 #kouhaku RT @jai_an: 小林幸子「おんなの酒場」　もはやどうでもよくなった小林幸子。45点。千昌夫の勝ち。
jai_an 2011/12/31 22:11:33

『もしもピアノ…』を歌わないのなら、西田はただのカラオケおじさん。
jai_an 2011/12/31 22:12:40

NHKは、選曲がいつもおかしい。
jai_an 2011/12/31 22:12:56

西田敏行「あの街に生まれて」　『もしもピアノ…』を歌わないのなら、西田はただのカラオケおじさん。　40点。
jai_an 2011/12/31 22:13:28

紅白、どちらにも属していないから。それに録画登場だし。 RT @frozen_meat_pie: そういえば、ガガの採点はしないんですか？　@jai_an
jai_an 2011/12/31 22:14:07

不良の綾香。
jai_an 2011/12/31 22:14:41

綾香→絢香　 RT @jai_an: 不良の綾香。
jai_an 2011/12/31 22:15:33

絢香「みんな空の下」　この自分だけがいいと思ってるクセのある歌い方は、普通の人には飽きる歌い方。カラオケで学校も行かずに歌いすぎたのだと思う。声量をわざと見せつけるために嫌らしい歌い方をする。その割に裏声が汚い、伸びない。声量は自然に感じさせるときこそ効果的。70点。　
jai_an 2011/12/31 22:18:40

（笑）　 RT @ukey_: @NHK_PR 芦田先生が会場で審査員やりたいそうです
jai_an 2011/12/31 22:19:08

格好悪い長渕が、格好良く見える。
jai_an 2011/12/31 22:19:49

漆黒、長渕には似合わない言葉。
jai_an 2011/12/31 22:20:08

『乾杯』は、素直に歌って欲しい。音程をいじくりまわさずに。
jai_an 2011/12/31 22:21:00

高度なワザです（笑）。 RT @euroseller: コメントと点数は比例しない。絢香のベースラインはうまいから。RT @jai_an: 絢香「みんな空の下」　この自分だけがいいと思ってるクセのある歌い方は、普通の人には飽きる歌い方…嫌らしい歌い方をする。その割に裏声が汚い…
jai_an 2011/12/31 22:21:45

長渕、尺使いすぎ（芦田太郎）
jai_an 2011/12/31 22:22:17

乾杯や順子を歌わない長渕なんて。もしもピアノを歌わない西田と一緒。
jai_an 2011/12/31 22:22:58

なんかどうでもよくなってきた長渕剛。最初の一分だけで良かった。
jai_an 2011/12/31 22:24:01

「歌なんか歌ってる場合じゃないと思った」（長渕剛）。こんな程度の歌手だったんだ、長渕は。
jai_an 2011/12/31 22:25:36

こんな歌のために、尺取りすぎ。
jai_an 2011/12/31 22:26:26

森進一の港町ブルースの気仙沼。 RT @tak125: @jai_an ちなみに１００点は誰ですか？浜崎とかいわないですよねｗｗｗ #NHK紅白
jai_an 2011/12/31 22:26:53
Content from Twitter

このライトのサークルを先に映せよ。
jai_an 2011/12/31 22:27:56

長渕剛「ひとつ」　『乾杯』や『順子』を歌わない長渕なんて。『もしもピアノ…』を歌わない西田と一緒。45点。
jai_an 2011/12/31 22:28:12

でーたー。紅白一、歌の下手な和田アキ子。
jai_an 2011/12/31 22:28:33

わらってしまう、和田アキ子のあがり症。
jai_an 2011/12/31 22:28:55

喉がくすぐったい。
jai_an 2011/12/31 22:29:10

聞く方が苦しい。
jai_an 2011/12/31 22:29:30

和田アキ子「あの鐘を鳴らすのはあなた」　聞いてる方がつらいほど声が出ない、伸びない。たばこを止めたらしいが、時すでに遅し。50点。
jai_an 2011/12/31 22:31:05

二宮君、大好き。
jai_an 2011/12/31 22:33:11

二宮君だけが踊りが外れてる。ダメだよ。
jai_an 2011/12/31 22:34:22

これは金かかってるよ。
jai_an 2011/12/31 22:35:16

嵐「2011紅白スペシャルメドレー」　ジャニーズ系の歌は、全部、草食系。毒がない。楽しくないよ。悪くないけど。60点。
jai_an 2011/12/31 22:36:42

コシノジュンコのデザインは大好きです。顔は良くないけど。
jai_an 2011/12/31 22:38:22

いけないのですか。 RT @shawa_shawa: @jai_an なぜ採点しながら見ていらっしゃるのですか？
jai_an 2011/12/31 22:38:41

きよえちゃんの膝の内向き具合に注目しましょう。
jai_an 2011/12/31 22:39:20

基本、紅白は芦田先生のツイートだけで十分と思ってるｗ
ks736877 2011/12/31 22:40:39

いきものがかり「歩いていこう」　一橋大学の人がグループを組んでるだけでおもろいし、きよえちゃんの普通の歌い方がaikoとは別の意味でまた魅力的。78点。
jai_an 2011/12/31 22:41:27

この二人、かみ合ってない。キムタクとマー君。
jai_an 2011/12/31 22:42:34

五木ひろし「ふるさと」　地震があっても原発が爆発しても、平常心の五木ひろしの歌唱。こういうのがホントの支援歌になるのよ、長渕、わかるか。まるで35GTRのようなオンザレール歌唱。80点。
jai_an 2011/12/31 22:45:32

はい。男の子ですから。 RT @apo_dishi: @jai_an 芦田先生って女の子に甘いですか？
jai_an 2011/12/31 22:46:00

五木ひろしや森進一は、aikoみたいに風邪を理由に歌唱を落とすことはしない。
jai_an 2011/12/31 22:47:16

御意。 関係ないものこそが関係を勝ち取る。RT @kamu_ro: 有事こそオリジナル曲。RT @jai_an: 五木ひろし「ふるさと」　地震があっても原発が爆発しても、平常心の五木ひろしの歌唱。こういうのがホントの支援歌になるのよ、長渕、わかるか。まるで35…
jai_an 2011/12/31 22:48:04

紗弥加、もう少し顔が小さければ。
jai_an 2011/12/31 22:48:48

年を取ると歌を丁寧に歌おうとする傾向。それがダメ。松田聖子。
jai_an 2011/12/31 22:49:27

娘の方がうまい！
jai_an 2011/12/31 22:49:40

リプライ返信、反対！　 RT @dl_rt2: @jai_an おまえそれはないやろ
jai_an 2011/12/31 22:49:57

年を取ると聖子の顔も大きくなった。
jai_an 2011/12/31 22:50:22

今後ともよろしく。 RT @___cause18: この芦田先生って人面白いからもっと早く知っておきたかった
jai_an 2011/12/31 22:51:08

松田聖子・神田沙也加「上を向いて歩こう」　紗弥加の、聖子と並ぶ歌唱に70点。
jai_an 2011/12/31 22:51:44

氷川きよし「情熱のマリアッチ」　この人、ニヒリストだと思う。おばさんを相手にし続けるとそうなる。バックダンサーの身体の切れの良さを加点して68点。歌は以前ほどよくない。はねるような元気さもない。
jai_an 2011/12/31 22:54:25

先生のアンチとファンが増えてる。RT @jai_an:今後ともよろしく。 RT @___cause18: この芦田先生って人面白いからもっと早く知っておきたかった
FukumotoAtsushi 2011/12/31 22:55:48

坂本冬美。肌に（いつもの）つやがない。
jai_an 2011/12/31 22:57:46

坂本冬美、声にも（いつもの）つやがない。細くなってる。
jai_an 2011/12/31 22:58:34

坂本冬美「夜桜お七」　歌が二回りほど細くなっていた。65点。
jai_an 2011/12/31 22:59:16

ご苦労様です（笑） RT @aiaikashi: 家族に芦田先生のtweet を伝える係になりつつあります。
jai_an 2011/12/31 22:59:53

REGZA　X_1 です。 RT @sariizumi: 芦田先生の視聴環境に興味ある。
jai_an 2011/12/31 23:00:32

だよな。 RT @1yuta0: 同意RT @jai_an 坂本冬美「夜桜お七」　歌が二回りほど細くなっていた。65点。
jai_an 2011/12/31 23:01:04

勝手なことを言うのを消費者という。勝手なことを言われることに慣れてるのをスターと言う。 RT @104piano: @jai_an じゃあ自分は１００％に歌えるんですね？勝手なことばっかり言わないでください。
jai_an 2011/12/31 23:01:52

人前に出るのが商売の人なんだから、しようがない。 RT @arimoto_kaori: 先生きびしすぎ。女はいろんなときがあるのです。 RT @jai_an: 坂本冬美。肌に（いつもの）つやがない。
jai_an 2011/12/31 23:02:59

こんなひとに4時間ほど前から包囲されています。 RT @dl_rt3: なにもっともらしいこといってんのRT @jai_an: 勝手なことを言うのを消費者という。勝手なことを言われることに慣れてるのをスターと言う。 RT @104piano: @jai_an じゃあ自分は１００％
jai_an 2011/12/31 23:03:46

福山雅治よりもREGZAの方がいいなぁ。
jai_an 2011/12/31 23:05:16

このホールの方が紅白のホールよりいいじゃん。
jai_an 2011/12/31 23:05:39

これもTwitter。 RT @sekinerei: お察しします。RT @jai_an: こんなひとに4時間ほど前から包囲されています。 RT @dl_rt3: なにもっともらしいこといってんのRT @jai_an: 勝手なことを言うのを消費者という。… @104piano
jai_an 2011/12/31 23:06:24

（笑） RT @sekinerei: 噴いた（笑）RT @jai_an: 福山雅治よりもREGZAの方がいいなぁ。
jai_an 2011/12/31 23:06:32

福山雅治「家族になろうよ」　福山的世界というのがあるのはたしかにわかる。愛機REGZA_X1に免じて70点。
jai_an 2011/12/31 23:08:06

なんでユーミンがここまで歌えて、和田アキ子があの程度なのよ。
jai_an 2011/12/31 23:08:56

ユーミン、気持ちを込めてちゃんと歌えている。聞いてるのつらいけど。
jai_an 2011/12/31 23:10:06

（笑） RT @meetie_s: 甘い！RT @jai_an: 福山雅治「家族になろうよ」　福山的世界というのがあるのはたしかにわかる。愛機REGZA_X1に免じて70点。
jai_an 2011/12/31 23:10:23

ユーミン、帯がすごい。高いよ、これは。
jai_an 2011/12/31 23:10:53

そんなことはない。 RT @daihiko: ユーミンはCDじゃないと聞くに堪えない。
jai_an 2011/12/31 23:11:17

これはいいよ、この今日の生歌のユーミンは。
jai_an 2011/12/31 23:11:42

松任谷由実「（みんなの）春よ、来い」　今日のこのユーミンはいい。感動した。95点。
jai_an 2011/12/31 23:12:55

EXILEは、Choo Choo TRAIN。
jai_an 2011/12/31 23:14:19

この踊りは腕の振りに注目。
jai_an 2011/12/31 23:14:41

ステップ中心の踊りから、腕の振りに重点化した新しい踊り。
jai_an 2011/12/31 23:15:28

だよね。 RT @fmama: グッと来ました…今日の一番！ RT @jai_an: 松任谷由実「（みんなの）春よ、来い」　今日のこのユーミンはいい。感動した。95点。
jai_an 2011/12/31 23:16:24

腕がいい。すばらしい。
jai_an 2011/12/31 23:16:37

不良嫌いなんだけど（笑）
jai_an 2011/12/31 23:17:08

良かった。
jai_an 2011/12/31 23:17:38

EXILE「Rising Sun」　腕いっぱいに身体を大きく見せる新しいタイプの踊りが素晴らしかった。88点。
jai_an 2011/12/31 23:18:46

私は10年前から（笑） RT @meetie_s: 芦田先生以外にも居るんですねー！RT @kentarotakahash: 今年は @jai_an @jojo_hiroshige @Mihoko_Nojiri の紅白実況ツイート三本立てか。
jai_an 2011/12/31 23:19:24

天童よしみを見ていると笑ってしまうほどに、美空ひばりを思い出してしまう。美空ひばりの歌を安心して聞いてられる。うまい。
jai_an 2011/12/31 23:20:36

これはよほど美空ひばりをよほど心酔していないと歌えない歌唱だ。
jai_an 2011/12/31 23:21:24

泣けてきた。
jai_an 2011/12/31 23:21:37

和田アキ子に天童よしみの爪の垢を飲ませたい。
jai_an 2011/12/31 23:22:27

天童よしみ「愛燦燦」　笑ってしまうほどに美空ひばりの歌を安心して聞いてられる。単に物まねに留まっているわけでもなく素晴らしい。88点。
jai_an 2011/12/31 23:23:53

北島三郎。花吹雪が鼻に入らないか、心配だ。
jai_an 2011/12/31 23:24:20

違うよ、踊りが新しいんだよ。 RT @kinopioman: EXILEの踊りがアホっぽい。
jai_an 2011/12/31 23:25:02

花吹雪のないサブちゃんなんて。
jai_an 2011/12/31 23:25:44

北島三郎「帰ろかな」　花吹雪＝鼻吹雪のないサブちゃんなんて。62点。
jai_an 2011/12/31 23:27:07

津軽海峡冬景色。勝負だな。紅組。
jai_an 2011/12/31 23:27:54

弱い。
jai_an 2011/12/31 23:28:12

微音が伸びない。
jai_an 2011/12/31 23:28:29

風邪じゃないか…
jai_an 2011/12/31 23:28:49

低い音も出てない。
jai_an 2011/12/31 23:29:45

この紙吹雪、北島三郎の鼻で掃除したい。
jai_an 2011/12/31 23:30:32

石川さゆり「津軽海峡・冬景色」　ベストの歌唱時より、二回り声が出てなかった。残念。70点。
jai_an 2011/12/31 23:31:21

芦田先生の紅白実況のおかげでいい年末感が
sickchicksick 2011/12/31 23:31:39

まだ終わってないよ。 RT @yuki_kasai: 今年の紅白はわりと面白かったな。
jai_an 2011/12/31 23:32:02

小さな聞こえないほどの音。 RT @nakamuyuki: 微音？ RT @jai_an: 微音が伸びない。
jai_an 2011/12/31 23:32:28

SMAPは生で歌わない方がいい。
jai_an 2011/12/31 23:33:07

中居くーん。
jai_an 2011/12/31 23:33:41

どういたしまして。好き勝って言って申し訳ありませんでした。 RT @autismbwy: @jai_an 芦田先生の実況付きで、楽し過ぎる紅白でした。感謝申し上げます。
jai_an 2011/12/31 23:34:20

仲悪いのに、チームワークが保てているところがさすがにプロ。
jai_an 2011/12/31 23:34:51

なんで、こんなSMAP、SMAPした演出なのよ。
jai_an 2011/12/31 23:35:59

だと、思います。 RT @sanoso1: 紅白はネット上のオーディエンスと共に！正にライヴ！録画はダメですね、先生！@jai_an
jai_an 2011/12/31 23:36:29

歌手の生命線の一つ。 RT @nakamuyuki: 聞こえないほどの音が伸びるとはこれいかに RT @jai_an: 小さな聞こえないほどの音。 RT @nakamuyuki: 微音？ RT @jai_an: 微音が伸びない。
jai_an 2011/12/31 23:37:07

勝手に寝るな。 RT @meetie_s: みなさま今年もお世話になりました。とっても良い年になりました。皆様のおかげです。来年も何卒よろしくお願い致します。良いお年をお迎え下さい。
jai_an 2011/12/31 23:37:23

勝手に寝るな。 RT @yuz_yomogi: 今年お会いできた（お話できた）方、どうもありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いします。良いお年をお迎えください（まだ寝ませんけど）
jai_an 2011/12/31 23:37:40

SMAP「SMAP　AID 紅白SP」　もうでもでもいい。65点。
jai_an 2011/12/31 23:38:21

今年のトップは、森進一の『港町ブルース』の気仙沼。100点。
jai_an 2011/12/31 23:39:34

私の採点できました。紅組1548点、平均点61．9、標準偏差14．6。白組1356点、平均点54．2点、標準偏差21．2点。紅組の圧倒的勝利。
jai_an 2011/12/31 23:41:59

サンキュー。先ほど公表させていただきました。ありがとうございます。 RT @m_riwo: @jai_an せんせー最終結果できましたー。お疲れ様でした。 http://t.co/Pg6GBgpF

jai_an 2011/12/31 23:42:35

予想が当たった。実際紅組の勝利。
jai_an 2011/12/31 23:42:53

ありがとうございます。良いお年を。 RT @hatchtiti: @jai_an 今年も芦田先生の的確な審査が際立った年末TLでした。
jai_an 2011/12/31 23:43:29

Twitter社社長、近藤さん、Twitter投稿制限緩和措置ありがとうございました。おかげで存分につぶやけました。感謝します。
jai_an 2011/12/31 23:45:10

芦田先生のツイートと紅白、楽しかった。
flmarch 2011/12/31 23:45:34

やっと私のお休みが始まります（笑）。 RT @glenfarclas12: @jai_an 楽しかったです。お疲れ様でした。
jai_an 2011/12/31 23:46:44

死ぬまでには一回やりたい。 RT @kimi_17: @jai_an 芦田先生、今年も楽しかったです！来年は、総合演出をして下さい！
jai_an 2011/12/31 23:47:34

3年前は9：00台で制限がかかり、泣いていました。まじ。 RT @flmarch: そういうことだったんですかｗRT @jai_an: Twitter社社長、近藤さん、Twitter投稿制限緩和措置ありがとうございました。おかげで存分につぶやけました。感謝します。
jai_an 2011/12/31 23:48:11

良いお年を！　 RT @fmama: 今年も楽しませていただきました！ありがとうございます〜お疲れ様でした☆良いお年をお迎え下さいませ♪ RT @jai_an: 予想が当たった。実際紅組の勝利。
jai_an 2011/12/31 23:48:46

（笑） RT @kamu_ro: お疲れ様でした。なんだかんだ言っても先生のおかげで紅白を見るようになりました（笑）RT @jai_an: Twitter社社長、近藤さん、Twitter投稿制限緩和措置ありがとうございました。おかげで存分につぶやけました。感謝します。
jai_an 2011/12/31 23:49:10

辛口で素敵な芦田先生（ .@jai_an )の 2011年 紅白歌合戦 ツイート後半部分も追加でトゥギャりました！ http://t.co/kUANf8EZ
mauekusa 2011/12/31 23:50:00

いい勉強になったと思います。紅白はTwitter微分論面目躍如です。 RT @2yoshi: @jai_an 一連の紅白ツイートで、Twitterとは何なのかがよく分かりました。ありがとうございました。
jai_an 2011/12/31 23:50:04

良かった、良かった。 良いお年を。RT @choko0101: 芦田先生@jai_an の紅白ツイート二年目。はじめて居眠りせずに見切ることができました。先生、今年もありがとうございました！来年がいまから楽しみ。そしてあと11分で28歳になってしまう！
jai_an 2011/12/31 23:50:41

芦田先生はきっと、みんなに紅白を見て欲しいだけなのだよ。ある意味、素晴らしい演出家だよ。
m_riwo 2011/12/31 23:51:05

そうですか。紅白は知らない歌手も含めて全部見てこそ紅白。良かったです。 RT @tkp_chan: 紅白をはじめて（ギリギリで）最初から最後まで観た。芦田先生のおかげで楽しかった。ありがとうございます。
jai_an 2011/12/31 23:52:07

遊んでないで掃除をしろ。 RT @meetie_s: お疲れさまでした。よいお年を！ RT @jai_an: やっと私のお休みが始まります（笑）。 RT @Glenfarclas12: @jai_an 楽しかったです。お疲れ様でした。
jai_an 2011/12/31 23:52:26

はい。 RT @funk45rpm: 紅白わかんなきゃポストモダン理解できないというお言葉通りですね笑。 RT @jai_an いい勉強になったと思います。紅白はTwitter微分論面目躍如です。 RT @2yoshi: @jai_an 一連の紅白ツイートで、Twitterとは何
jai_an 2011/12/31 23:52:54

まだそこまでには10年かかる。 RT @gaecen: @jai_an お疲れ様でした。楽しく紅白を観ることができました。来年はリモコンのdボタンで読めるようにしてくださいw
jai_an 2011/12/31 23:53:11

もう来年か…（笑） RT @kimono100kagura: @jai_an 始めてライブで参加させて頂きました。こんな紅白の見方が有るのかと、独断、毒舌、本音トーク、楽しかったです。又来年末が，楽しみです!!
jai_an 2011/12/31 23:53:45

いつでもフェアです。 RT @setsuko_anego: TLを横目に倉田嬢とメイちゃんの三人で紅白井戸端をiMessageでやり取りしてたら、あっという間に電池が(^^;; いやー、楽しかった。芦田先生の批評結果がかなりフェアで正確だってのも確認。
jai_an 2011/12/31 23:54:04

まだ10年早い。 RT @aminaura: @jai_an 来年は審査員としてでてください！
jai_an 2011/12/31 23:54:39

芦田先生の紅白実況面白かった…笑
ri1ka 2011/12/31 23:55:12

サンキュー。良いお年を。 RT @ten501: @jai_an 始めまして…歌の後の先生の評価が楽しみで最後まで見ちゃいました♫ さて、お風呂入ります。年越しはいつもお風呂の中(笑)
jai_an 2011/12/31 23:56:55

あの時はPCの前でホント泣いてた。 RT @mshlv: 芦田センセが突然消えたあのときはビックリしました。もう3年目。来年も頑張ってください。RT @jai_an: 3年前は9：00台で制限がかかり、泣いていました。まじ。

出典→<a href="http://togetter.com/li/235016">http://togetter.com/li/235016</a>　より。まとめて下さった@11qawa さんに感謝します。<a href="http://www.blogmura.com/">→｢にほんブログ村｣</a></span>

（Version　2.0）

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    <title>世界一早い第62回NHK紅白歌合戦全曲速報</title>
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    <published>2011-12-31T18:17:47Z</published>
    <updated>2012-01-01T09:06:34Z</updated>
    
    <summary>始まった。 jai_an 2011/12/31 19:15:12...</summary>
    <author>
        <name>芦田 宏直</name>
        <uri>http://www.ashida.info/</uri>
    </author>
            <category term="紅白歌合戦" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.ashida.info/blog/">
        始まった。
jai_an 2011/12/31 19:15:12
        <![CDATA[
すでに司会の名前がわからない。二宮君だけ知ってる。
jai_an 2011/12/31 19:16:07

NHKの番組出てるからって、司会にするな。
jai_an 2011/12/31 19:16:51

細川たかし、禿げすぎ。
jai_an 2011/12/31 19:17:32

司会は、堺正章がいちばん。
jai_an 2011/12/31 19:18:12

桜井、わざと落ちつきすぎ。
jai_an 2011/12/31 19:18:44

なでしこ、素人ぶりがいい。
jai_an 2011/12/31 19:19:32

宮間がいない。
jai_an 2011/12/31 19:19:53

1）浜崎あゆみ「progress」　声が伸びてない。今年、歌う回数が減ったからか。衣装は脱がない方が良かった。背の低さを隠せたのに。もう、太ももをさらせるラインは残っていない。男に捨てられた女性はもの悲しい。
jai_an 2011/12/31 19:24:10

先ほどの浜あゆの歌。54点。
jai_an 2011/12/31 19:24:41

NYC「100%勇気NYC」　口パクが許せない。三人とも足が短い。嵐とセットで出場をしたようなもの。ジャニーズ事務所強い。舞台作りがすごかった。後ろのモニタの使い方もいい。やぱっり紅白は舞台にたくさん立たないと。54点。
jai_an 2011/12/31 19:28:15

井上真央も落ち着きぶりがわざとらしい。
jai_an 2011/12/31 19:29:03

かわいそうな女性には優しい。 RT @ponta_jp: 意外と高得点。RT @aoinatsunosora: そんなもんかな。 #ashida1231 #kouhaku RT @jai_an: 先ほどの浜あゆの歌。54点。
jai_an 2011/12/31 19:29:26

アンジェラ・アキ「One Family」　日本語のなまった外国人は嫌いだ。この人KYな感じでしょ、たぶん。歌もアナクロ。声の引き方も下手だと思う。50点。
jai_an 2011/12/31 19:31:30

ビデオ入れて、ごまかすな、生放送の良さを。
jai_an 2011/12/31 19:31:55

flumpool「証」　うしろの戦前の女学生のような集団がよかった。男の集団は気持ち悪い奴らが多かった。しかしなぜ被災地の生徒たちがバックに立たない？　歌手は知らない。歌もどうでも良い歌だった。こういう背景のある歌は不健康だ。20点。
jai_an 2011/12/31 19:35:38

高橋みなみが、私は好きだ。
jai_an 2011/12/31 19:36:13

高橋みなみは、見てるだけで笑える。
jai_an 2011/12/31 19:37:07

高橋みなみはまじめな顔するほどおかしい。
jai_an 2011/12/31 19:38:03

前田敦子は眉間にしわを寄せるのが良くない。
jai_an 2011/12/31 19:38:54

フｒタイングゲットはいい歌だぁ。
jai_an 2011/12/31 19:39:18

フライングゲット。 RT @jai_an: フｒタイングゲットはいい歌だぁ。
jai_an 2011/12/31 19:39:52

フライングゲットだけでいい。フルで歌え。
jai_an 2011/12/31 19:40:22

AKB48「紅白2011　AKB48スペシャルMIX　～がんばろう日本！～」　　フライングゲットと高橋みなみで80点。前田敦子の眉間にしわで10点マイナス。計70点。
jai_an 2011/12/31 19:42:01

三谷幸喜のわざとらしい笑顔が気持ち悪い（笑）。
jai_an 2011/12/31 19:42:42
Content from Twitter

ホールに空席があるじゃないか。呼べよ、私を。
jai_an 2011/12/31 19:43:51

福クン、緊張しすぎ。かわいそう。
jai_an 2011/12/31 19:44:21

愛菜ちゃん、胸の真ん中に乳首がある！
jai_an 2011/12/31 19:44:51

福クン、緊張で死にそう。
jai_an 2011/12/31 19:45:29

愛菜ちゃん、内股がいい。
jai_an 2011/12/31 19:46:00

芦田愛菜は私の娘だ。
jai_an 2011/12/31 19:46:27

女があがらないのは許せない。どんなときでも。
jai_an 2011/12/31 19:47:11

芦田愛菜・鈴木福「マル・マル・モリ・モリ！」　福クンのあがり症に100点。芦田愛菜のど根性に30点引き。計70点。
jai_an 2011/12/31 19:48:16

NHK，芦田愛菜、引っ張りすぎ。視聴率に拘らないからこそ、紅白だのに。
jai_an 2011/12/31 19:49:06

嵐は踊りもうまい。
jai_an 2011/12/31 19:50:10

二宮君、腰がぶれた。
jai_an 2011/12/31 19:50:41

めがねのおばさんみたいな娘は誰だ。
jai_an 2011/12/31 19:51:27

福クン、やっと落ち着いたようだが、遅い（笑）。
jai_an 2011/12/31 19:51:54

明日、歌いたいって、どういうコメントだよ、三谷さん（笑）
jai_an 2011/12/31 19:52:42

ファンモン、応援してるぞ。
jai_an 2011/12/31 19:53:11

真ん中の男が依然として謎。
jai_an 2011/12/31 19:54:01

FUNKY MONKEY BABYS「それでも信じてる」　flumpool「証」よりはるかにいいいじゃないか。75点。
jai_an 2011/12/31 19:55:09

西野カナは、足を出さない方がいい。
jai_an 2011/12/31 19:55:51

足は細いが形が悪い。
jai_an 2011/12/31 19:56:11

出てる－。ダメだぁ。
jai_an 2011/12/31 19:56:30

膝が閉じない。
jai_an 2011/12/31 19:56:57

膝から下が外へと湾曲しすぎ。
jai_an 2011/12/31 19:57:25

歌はすごくいいのに。
jai_an 2011/12/31 19:57:36

西野カナ「たとえ　どんなに…」　歌は良くて90点。足が悪いので20点引き。70点。
jai_an 2011/12/31 19:58:41

AAA「CALL」　小室の歌も、もはや終わっている。55点。
jai_an 2011/12/31 20:00:27

スターとはそんなことをも覚悟している人たち。 RT @ponta_jp: 歌っている人は足が採点基準になってるとは夢にも思わず。 RT @aoinatsunosora: 足は、なあ・・ #ashida1231 #kouhaku RT @jai_an: 西野カナ「たとえ　どんな…
jai_an 2011/12/31 20:01:29

だろ。 RT @nobushige5884: 芦田先生の点付けは大体納得できる
jai_an 2011/12/31 20:01:46

川中美幸「二輪草」　どうでもいい。50点。
jai_an 2011/12/31 20:02:51

今は違うけど（笑）。 RT @yuri_transition: この曲は小室サンの曲ではないです先生。RT @jai_an: AAA「CALL」　小室の歌も、もはや終わっている。55点。 #kohaku2012
jai_an 2011/12/31 20:03:14

平井堅は歌がへたくそ。
jai_an 2011/12/31 20:04:30

なんだ、歌唱は。
jai_an 2011/12/31 20:05:34

結婚できない女性に人気あるんじゃないの。 RT @masataka2600: 何がいいんでしょうか？ @jai_an: 平井堅は歌がへたくそ。
jai_an 2011/12/31 20:06:07

平井堅「いとしき日々よ」　微音も伸びないし、あの下手な和田アキ子よりもさらに下手。30点。
jai_an 2011/12/31 20:07:12

それは西野カナに悪い。あの娘の歌は素敵です。足だけが悪い。 RT @y_michiari: @jai_an でも、西野カナの発声もこんな感じじゃなかったですか?
jai_an 2011/12/31 20:08:12

サンドウイッチマン。私はあなたたちが東北の地震を目の当たりにしたときのショックを、よく知っています。ご苦労様でした。
jai_an 2011/12/31 20:09:49

差別だぁ。 RT @daihiko: 結婚できない女性はなんでもいいのでは? RT @jai_an: 結婚できない女性に人気あるんじゃないの。 RT @masataka2600: 何がいいんでしょうか？ @jai_an: 平井堅は歌がへたくそ。
jai_an 2011/12/31 20:10:07

大竹しのぶがつまらなそう。
jai_an 2011/12/31 20:11:04

藤あや子「あや子のお国自慢だよ　～がんばろな東北！！紅白スペシャル～」　藤あや子の声にはつやがある。なんとなく歌唱がかわいい。70点。
jai_an 2011/12/31 20:12:00

太ってるし、禿げてるし。細川たかし。
jai_an 2011/12/31 20:12:20

細川たかしは経済状態が体型に出るタイプ。
jai_an 2011/12/31 20:13:04

まゆげも揃えすぎ。体型を揃えろ。
jai_an 2011/12/31 20:13:45

いつでもそうぞ。 RT @couco_nono: 芦田先生に脚の評価してもらいたい
jai_an 2011/12/31 20:14:02

細川たかし「ねぶた」　ハゲとデブはどうでもいい。40点。藤あや子の圧勝。
jai_an 2011/12/31 20:14:56

そうぞ→どうぞ。 RT @couco_nono: ひっ RT @jai_an: いつでもそうぞ。 RT @couco_nono: 芦田先生に脚の評価してもらいたい
jai_an 2011/12/31 20:15:20

前歯がおかしい。
jai_an 2011/12/31 20:16:31

がに股だし。隠すステップしてるけど。
jai_an 2011/12/31 20:17:24

年齢と衣装が合ってない。
jai_an 2011/12/31 20:17:37

水樹奈々「POP MASTER」　なんでこんな人が毎年紅白に…。勉強嫌いそう。48点。
jai_an 2011/12/31 20:18:01

アポロを歌ってくれ！　ポルノ。
jai_an 2011/12/31 20:18:42

そういう事情通の話は一切受け付けない（笑） RT @junko_fujita: 先生、奈々は前歯が存在価値なのです！ RT @jai_an: 前歯がおかしい。
jai_an 2011/12/31 20:21:01

私の紅白批評は現象学的（フッサール）。
jai_an 2011/12/31 20:21:23

ポルノグラフィティ「ワンモアタイム」　やっぱり、『アポロ』を超えることができない。60点。
jai_an 2011/12/31 20:21:31

福山、顔が引き締まってる。うらやましい。
jai_an 2011/12/31 20:22:50

テレビ見ろよ。 RT @amka3280: 芦田先生の紅白採点が面白すぎるｗｗｗ　見てないけどツイッターだけで笑える
jai_an 2011/12/31 20:23:08

偉そうに言えるのは、消費者の権利。 RT @zephilis: こんな人いうほどこの人のこと知らないんでしょｗｗｗｗうぇｗｗｗ RT @hamurabi_subst 先生は今年も厳しいですね（ ﾟωﾟ) RT @jai_an: 水樹奈々「POP MASTER」　なんで…
jai_an 2011/12/31 20:23:40

猪苗代湖ズ「I love you & I need you ふくしま」　猪苗代湖が泣いてる。福島も泣いてる。10点。
jai_an 2011/12/31 20:24:39

フ・ク・シ・マって、何を拭いてるんだろう。
jai_an 2011/12/31 20:25:31

背景のある歌は嫌いだ。社会主義リアリズムを思い出す。自分の歌を歌ってこそ、サポートだろ。
jai_an 2011/12/31 20:26:49

マイクを私に向けるな。
jai_an 2011/12/31 20:27:29

伍代夏子「金木犀」　どうでもいい。それに太ってる。38点。
jai_an 2011/12/31 20:30:10

ラルク。みんな風呂入ってないのか。汚い。
jai_an 2011/12/31 20:30:51

リプライ返信、反対！ RT @dct_ku: @jai_an こんな人がっていうけど、それがいいって人もいるってことですよ。そんなことも分からないんですか？
jai_an 2011/12/31 20:31:45

腰の動きがへん。
jai_an 2011/12/31 20:32:18

横揺れの腰。
jai_an 2011/12/31 20:32:31

毎年のこと。アニメオタクとはいつも喧嘩。 RT @micky__s: 水樹奈々ファンが芦田先生にキレてる。
jai_an 2011/12/31 20:32:59

L' Arc～en～Ciel 「CHASE」　横揺れラルク。40点。
jai_an 2011/12/31 20:34:00

鈴木選手、氷上のときよりきれい。
jai_an 2011/12/31 20:34:58

アホか。褒めるには1000倍のパワーが要る。 RT @geru_takuan: 芦田先生とかいう批判しかできない人間
jai_an 2011/12/31 20:36:04

水森かおり「庄内平野　風の中」　いい年してなぜ前髪を垂らす？　32点。
jai_an 2011/12/31 20:36:58

これ、背景と歌とが合っていない。後ろでくるくる回ってどうする？
jai_an 2011/12/31 20:37:44

そうそう。 RT @negi317: シャレの通じない人が増えてますね RT @jai_an: 毎年のこと。アニメオタクとはいつも喧嘩。 RT @micky__s: 水樹奈々ファンが芦田先生にキレてる。
jai_an 2011/12/31 20:38:09

水森さんの背景は手抜きが目立った。
jai_an 2011/12/31 20:38:39

港町ブルースは絶対いいよ。
jai_an 2011/12/31 20:38:54

イントロだけで泣けてくる。
jai_an 2011/12/31 20:39:11

気仙沼、と歌えば涙が出るよ。
jai_an 2011/12/31 20:39:55

泣いた－。
jai_an 2011/12/31 20:40:25

森進一「港町ブルース」　気仙沼で100点。
jai_an 2011/12/31 20:41:04

うまいねぇ。でも昔のパワーがない。
jai_an 2011/12/31 20:41:52

椎名林檎。袖の膨らみが大きすぎる。もう一回り小さくすればスタイルがよく見えたのに。
jai_an 2011/12/31 20:42:55

今度はウエストのラインが低すぎる。
jai_an 2011/12/31 20:46:01

なんか二曲とも椎名林檎の歌風じゃないよ。
jai_an 2011/12/31 20:46:45

後半の方が顔がきれいに見える。肩と首筋がきれいだから。
jai_an 2011/12/31 20:47:44

椎名林檎「カーネーション　―紅組なら誰でも」　椎名林檎は声が汚い。伴奏が貧弱なのが余計につらい。55点。
jai_an 2011/12/31 20:48:24

誰か、私の採点、集計してください。
jai_an 2011/12/31 20:49:00

ビデオ放映は、紅白が死滅することを意味する。
jai_an 2011/12/31 20:49:53

サンキュー。 RT @m_riwo: @jai_an 芦田せんせー、採点の中間まとめできましたー。 http://t.co/RNVsymGn

jai_an 2011/12/31 20:50:11

現在、私の集計、赤537点。白、484点。
jai_an 2011/12/31 20:51:27

夏川りみがマツコに近づいている。
jai_an 2011/12/31 20:52:10

夏川りみ・秋川雅史「あすという日が」　こういう社会主義みたいな歌は嫌いだ。気仙沼を自然に歌い上げる森進一『港町ブルース』の方が遙かに優れている。50点。
jai_an 2011/12/31 20:54:51

そうだと思う。普通です。ファンだけが怒っているのです（笑）　しようがないけど。 RT @hotarubiz: 芦田先生は実に素直だよ。これに腹を立てる奴らはどこまで幼稚なんだ。もちろんそれぞれのファンに配慮しない言葉だったとしても、これくらい言っても当然の事しか言ってない
jai_an 2011/12/31 21:00:17

なんか、この三人のお尻、気持ち悪い。
jai_an 2011/12/31 21:01:39

KARAは、なんか年齢をごまかしている人がいるような気がする。
jai_an 2011/12/31 21:02:31

口パクだ。
jai_an 2011/12/31 21:03:03

KARA「KARA2011スペシャルメドレー」　なんか少女時代と較べると、化粧が不潔なのだ。60点。
jai_an 2011/12/31 21:04:20

徳永は微音が伸びない。
jai_an 2011/12/31 21:06:11

徳永英明「時代」　こんなにひどい『時代』はない。帰れ。20点。
jai_an 2011/12/31 21:07:06

違います。本人が伸ばそうとしているところでも伸びていません。 RT @1yuta0: 仕様です。。。 RT @jai_an: 徳永は微音が伸びない。
jai_an 2011/12/31 21:08:12

パフュームは、少女時代に破壊された。
jai_an 2011/12/31 21:09:16

さすがに太もものラインが崩れてきた。悲しい。
jai_an 2011/12/31 21:10:06

Perfume「レーザービーム」　年を取ると顔が大きく見えるのは、私だけの錯覚か。60点。
jai_an 2011/12/31 21:11:57

だって、足を見ろ、という演出なのだから。 RT @etoile6_6: 先生、脚フェチなんですね。 RT @jai_an: さすがに太もものラインが崩れてきた。悲しい。
jai_an 2011/12/31 21:12:23

腐ってもパフューム。 RT @uwakahito: 高得点ですね RT @jai_an: Perfume「レーザービーム」　年を取ると顔が大きく見えるのは、私だけの錯覚か。60点。 #nhk #kouhaku
jai_an 2011/12/31 21:13:08

TOKIO「見上げた流星」　歌手は余芸にしておいた方がいい。54点。
jai_an 2011/12/31 21:14:03

鈴木明子は、正面から以外ダメ。
jai_an 2011/12/31 21:16:09

ユナ、いたー。
jai_an 2011/12/31 21:16:24

最近は、少女時代、メイクが濃い。
jai_an 2011/12/31 21:16:42

ユナが正面だった。
jai_an 2011/12/31 21:16:59

ユナ、元気がない。
jai_an 2011/12/31 21:17:21

ユナは、いつも足が細い。
jai_an 2011/12/31 21:17:49

踊りを見せるときには衣装を統一した方がいいのに。
jai_an 2011/12/31 21:18:14

ユナ、笑顔も元気がない。
jai_an 2011/12/31 21:18:47

大写し過ぎて、少女時代の迫力なし。
jai_an 2011/12/31 21:19:38

少女時代「GENIE」　全然良くなかった。カメラも衣装も良くない。ユナの体調も悪そう。65点。
jai_an 2011/12/31 21:20:53

郷ひろみも禿げてる。
jai_an 2011/12/31 21:21:25

腐っても少女時代。 RT @flipflop_jp: えっ、全然良くないのに高得点…RT @jai_an: 少女時代「GENIE」　全然良くなかった。カメラも衣装も良くない。ユナの体調も悪そう。65点。
jai_an 2011/12/31 21:21:52

「よろしく哀愁」でしょう。
jai_an 2011/12/31 21:23:43

郷ひろみ「Go Smile Japan!!」　年齢を感じさせないことに命をかけてるくせに、その割に年を取っていることを感じさせたので、40点。息も切れていた。
jai_an 2011/12/31 21:24:12

公平を心がけています。たとえユナファンでも。 RT @moshiya314: 芦田先生すごい公平なジャッジだw ていうかユナ想いw
jai_an 2011/12/31 21:24:51

aikoもなぜ紅白に毎年出るのかわからない歌手の一人。嫌いじゃないけど。
jai_an 2011/12/31 21:25:48

今年は衣装がいくらなんでも地味すぎる。
jai_an 2011/12/31 21:26:26

aiko「恋のスーパーボール」　体調悪そう。60点。
jai_an 2011/12/31 21:27:03

60点。体調管理できない歌手はダメ。もう一週間以上治せていない。 RT @meetie_s: aikoは去年の評価がよかっただけ芦田先生の評価はいかに！？ #kouhaku
jai_an 2011/12/31 21:27:52

ゆずは両方とも結婚したけど、絶対わかれる。
jai_an 2011/12/31 21:29:32

ゆず「Hey和」　最近、悠仁が宗教じみてきて面白くない。岩沢がバランスを保っているのがせめてもの慰め。普通の歌を作れ。バックコーラスはいいが不自然な笑い声が邪魔。50点
jai_an 2011/12/31 21:32:29

知ってどうする？　 RT @hideking0314: @jai_an ？？？KARAの何を、ユナの何を知ってるのだろう？
jai_an 2011/12/31 21:33:15

「知る」って何？　 RT @hideking0314: @jai_an ？？？KARAの何を、ユナの何を知ってるのだろう？
jai_an 2011/12/31 21:33:30

UPがつらい鈴木京香。
jai_an 2011/12/31 21:34:15

首のほくろが気になる、倖田來未。
jai_an 2011/12/31 21:35:05

中居君への当てつけで結婚した倖田來未。
jai_an 2011/12/31 21:35:38

お腹がふくらんでる。地球儀のよう。
jai_an 2011/12/31 21:36:27

三ヶ月くらいで地球儀か。
jai_an 2011/12/31 21:36:57

倖田來未「愛を止めないで」　もはや普通の歌手。55点。
jai_an 2011/12/31 21:37:40

東方神起、二人ではね。
jai_an 2011/12/31 21:38:04

きれいな着地だった。
jai_an 2011/12/31 21:38:34

東方神起「Why？（Keep Your Head Down）」　二人なんだから、もっとバラード調の歌でいいんではないかい？　55点。
jai_an 2011/12/31 21:39:39

いまはポスト制限が気になって、バカどもをいちいち相手にできない（笑）　 RT @ukey_: 芦田先生に絡んだって蹴散らされるだけなのに。
jai_an 2011/12/31 21:40:18

2年前の（たしか）紅白の倖田來未はサイコーだった。 RT @sabu_mikawaya: かつては「もはや」の歌手ではなかったのですか？ RT @jai_an: 倖田來未「愛を止めないで」　もはや普通の歌手。55点。
jai_an 2011/12/31 21:41:24

たとえば、こんなツイートが続々と来ております。 RT @eichan1919: @jai_an おめーが馬鹿だよ顔面男性器
jai_an 2011/12/31 21:42:31

こんなどうでもいいことを紅白の今、ツイートできるのもTwitterです。 RT @yuz_yomogi: 今朝改めて思ったけど、混んでる電車大嫌い。
jai_an 2011/12/31 21:43:24

そう思います。 RT @ushiryu: 早く5人に戻れ。。。RT @jai_an: 東方神起、二人ではね。
jai_an 2011/12/31 21:43:55

歌手は、何かに従属しながら歌ってはいけない。歌は歌そのものであるべき。
jai_an 2011/12/31 21:45:14

ふるさとは歌うものではなくて、「遠きにありて思うもの」。
jai_an 2011/12/31 21:46:14

一応、Twitter社長、近藤さんに頼んであります。 RT @masataka2600: 年末は芦田さんのポスト規制をはずすべき。 @jai_an: いまはポスト制限が気になって、バカどもをいちいち相手にできない（笑）　 RT @Ukey_: 芦田先生に絡んだって蹴散らされる…
jai_an 2011/12/31 21:46:55

はい。 RT @fukumotoatsushi: 震災を背景にして歌っているか。RT @jai_an:歌手は、何かに従属しながら歌ってはいけない。歌は歌そのものであるべき。
jai_an 2011/12/31 21:47:29

そう思います。しかも「オンライン自己」のアニメ派は特に。 RT @10wings: 芦田先生にムカつく奴は楽しみ方が分かってない奴。
jai_an 2011/12/31 21:47:57

機動隊と戦っていた頃を思えば。 RT @ukey_: 罵詈雑言が飛んで来ても紅白の厳しい審査をやめない芦田先生に脱帽。
jai_an 2011/12/31 21:48:49

平原綾香、この歌手だけはヒット曲がなくても紅白に向いてる。
jai_an 2011/12/31 21:49:25

服装が悪くても格好が悪くても顔が悪くても、どうでもいいくらい平原綾香は紅白に欠かせない人。
jai_an 2011/12/31 21:50:39

平原綾香「おひさま～大切なあなたへ」　名誉紅白歌手。80点。
jai_an 2011/12/31 21:52:38

リプライ返信反対！　 RT @fanfanmac: @jai_an なんでアニメ派とかでアニメとしてくくるの？
jai_an 2011/12/31 21:53:47

衣装が歌と違う、千昌夫。
jai_an 2011/12/31 21:54:36

髪の毛がない、千昌夫。
jai_an 2011/12/31 21:55:00

お金に苦労していそうな表情を浮かべる、千昌夫。
jai_an 2011/12/31 21:55:47

でも、比較的ちゃんと歌ってる、千昌夫。
jai_an 2011/12/31 21:56:24

千昌夫「北国の春」　髪の毛がなくなっていたけど、衣装と歌とが合っていなかったけど、歌は悪くなかった。75点。
jai_an 2011/12/31 21:57:15

ここで紅白を離れると、来年いい年を迎えられない。全部見てこそ紅白。 RT @chiezoyo: 芦田先生のツイートは楽しみだが、紅白に飽きてきた
jai_an 2011/12/31 21:58:12

録画で出すなよ、NHK。年開けてないだろ。
jai_an 2011/12/31 21:59:58

これはビリージョエルか。
jai_an 2011/12/31 22:00:53

ガガ、この歌、いいねぇ。
jai_an 2011/12/31 22:01:45

代表作より、一曲目の方がいいよ。
jai_an 2011/12/31 22:02:58

だな。 RT @rinye1: 私もそう思う！RT @jai_an: 代表作より、一曲目の方がいいよ。
jai_an 2011/12/31 22:03:35

こんなおっさんみたいな顔の人でも人気が出るんだ、不思議だね。
jai_an 2011/12/31 22:04:21

「港町ブルース」だけが対抗できる。 RT @aoinatsunosora: ガガと比べると日本勢うすっぺらいな。
jai_an 2011/12/31 22:05:18

小林幸子は『思い出酒』しかないし、それだけで充分素晴らしい。
jai_an 2011/12/31 22:06:06

この衣装、どこかで見たぞ。
jai_an 2011/12/31 22:06:36

ガガの一曲目に完全に負けている小林幸子。
jai_an 2011/12/31 22:07:07

吾郎ちゃんがかくれんぼしていた。
jai_an 2011/12/31 22:07:50

小林幸子「おんなの酒場」　もはやどうでもよくなった小林幸子。45点。千昌夫の勝ち。
jai_an 2011/12/31 22:10:22

西田は『もしもピアノ…』でしょ。
jai_an 2011/12/31 22:10:39

そうか、すみません。 RT @aoinatsunosora: 小林幸子の相手はこれから歌う西田です。 #ashida1231 #kouhaku RT @jai_an: 小林幸子「おんなの酒場」　もはやどうでもよくなった小林幸子。45点。千昌夫の勝ち。
jai_an 2011/12/31 22:11:33

『もしもピアノ…』を歌わないのなら、西田はただのカラオケおじさん。
jai_an 2011/12/31 22:12:40

NHKは、選曲がいつもおかしい。
jai_an 2011/12/31 22:12:56

西田敏行「あの街に生まれて」　『もしもピアノ…』を歌わないのなら、西田はただのカラオケおじさん。　40点。
jai_an 2011/12/31 22:13:28

紅白、どちらにも属していないから。それに録画登場だし。 RT @frozen_meat_pie: そういえば、ガガの採点はしないんですか？　@jai_an
jai_an 2011/12/31 22:14:07

不良の綾香。
jai_an 2011/12/31 22:14:41

綾香→絢香　 RT @jai_an: 不良の綾香。
jai_an 2011/12/31 22:15:33

絢香「みんな空の下」　この自分だけがいいと思ってるクセのある歌い方は、普通の人には飽きる歌い方。カラオケで学校も行かずに歌いすぎたのだと思う。声量をわざと見せつけるために嫌らしい歌い方をする。その割に裏声が汚い、伸びない。声量は自然に感じさせるときこそ効果的。70点。　
jai_an 2011/12/31 22:18:40

（笑）　 RT @ukey_: @NHK_PR 芦田先生が会場で審査員やりたいそうです
jai_an 2011/12/31 22:19:08

格好悪い長渕が、格好良く見える。
jai_an 2011/12/31 22:19:49

漆黒、長渕には似合わない言葉。
jai_an 2011/12/31 22:20:08

『乾杯』は、素直に歌って欲しい。音程をいじくりまわさずに。
jai_an 2011/12/31 22:21:00

高度なワザです（笑）。 RT @euroseller: コメントと点数は比例しない。絢香のベースラインはうまいから。RT @jai_an: 絢香「みんな空の下」　この自分だけがいいと思ってるクセのある歌い方は、普通の人には飽きる歌い方…嫌らしい歌い方をする。その割に裏声が汚い…
jai_an 2011/12/31 22:21:45

長渕、尺使いすぎ（芦田太郎）
jai_an 2011/12/31 22:22:17

乾杯や順子を歌わない長渕なんて。もしもピアノを歌わない西田と一緒。
jai_an 2011/12/31 22:22:58

なんかどうでもよくなってきた長渕剛。最初の一分だけで良かった。
jai_an 2011/12/31 22:24:01

「歌なんか歌ってる場合じゃないと思った」（長渕剛）。こんな程度の歌手だったんだ、長渕は。
jai_an 2011/12/31 22:25:36

こんな歌のために、尺取りすぎ。
jai_an 2011/12/31 22:26:26

森進一の港町ブルースの気仙沼。 RT @tak125: @jai_an ちなみに１００点は誰ですか？浜崎とかいわないですよねｗｗｗ #NHK紅白
jai_an 2011/12/31 22:26:53

このライトのサークルを先に映せよ。
jai_an 2011/12/31 22:27:56

長渕剛「ひとつ」　『乾杯』や『順子』を歌わない長渕なんて。『もしもピアノ…』を歌わない西田と一緒。45点。
jai_an 2011/12/31 22:28:12

でーたー。紅白一、歌の下手な和田アキ子。
jai_an 2011/12/31 22:28:33

わらってしまう、和田アキ子のあがり症。
jai_an 2011/12/31 22:28:55

喉がくすぐったい。
jai_an 2011/12/31 22:29:10

聞く方が苦しい。
jai_an 2011/12/31 22:29:30

和田アキ子「あの鐘を鳴らすのはあなた」　聞いてる方がつらいほど声が出ない、伸びない。たばこを止めたらしいが、時すでに遅し。50点。
jai_an 2011/12/31 22:31:05

二宮君、大好き。
jai_an 2011/12/31 22:33:11

二宮君だけが踊りが外れてる。ダメだよ。
jai_an 2011/12/31 22:34:22

これは金かかってるよ。
jai_an 2011/12/31 22:35:16

嵐「2011紅白スペシャルメドレー」　ジャニーズ系の歌は、全部、草食系。毒がない。楽しくないよ。悪くないけど。60点。
jai_an 2011/12/31 22:36:42

コシノジュンコのデザインは大好きです。顔は良くないけど。
jai_an 2011/12/31 22:38:22

いけないのですか。 RT @shawa_shawa: @jai_an なぜ採点しながら見ていらっしゃるのですか？
jai_an 2011/12/31 22:38:41

きよえちゃんの膝の内向き具合に注目しましょう。
jai_an 2011/12/31 22:39:20

いきものがかり「歩いていこう」　一橋大学の人がグループを組んでるだけでおもろいし、きよえちゃんの普通の歌い方がaikoとは別の意味でまた魅力的。78点。
jai_an 2011/12/31 22:41:27

「ひと」って誰？　 RT @miminagakanon: @jai_an 芦田さんのつぶやきはひとを不快にしますね。ツイッターは不特定多数の方が見るツールです。そういうつぶやきは一人寂しく口ずさんでください。ﾌﾟｰｸｸ
jai_an 2011/12/31 22:42:08

この二人、かみ合ってない。キムタクとマー君。
jai_an 2011/12/31 22:42:34

五木ひろし「ふるさと」　地震があっても原発が爆発しても、平常心の五木ひろしの歌唱。こういうのがホントの支援歌になるのよ、長渕、わかるか。まるで35GTRのようなオンザレール歌唱。80点。
jai_an 2011/12/31 22:45:32

はい。男の子ですから。 RT @apo_dishi: @jai_an 芦田先生って女の子に甘いですか？
jai_an 2011/12/31 22:46:00

五木ひろしや森進一は、aikoみたいに風邪を理由に歌唱を落とすことはしない。
jai_an 2011/12/31 22:47:16

御意。 関係ないものこそが関係を勝ち取る。RT @kamu_ro: 有事こそオリジナル曲。RT @jai_an: 五木ひろし「ふるさと」　地震があっても原発が爆発しても、平常心の五木ひろしの歌唱。こういうのがホントの支援歌になるのよ、長渕、わかるか。まるで35…
jai_an 2011/12/31 22:48:04

紗弥加、もう少し顔が小さければ。
jai_an 2011/12/31 22:48:48

年を取ると歌を丁寧に歌おうとする傾向。それがダメ。松田聖子。
jai_an 2011/12/31 22:49:27

娘の方がうまい！
jai_an 2011/12/31 22:49:40

リプライ返信、反対！　 RT @dl_rt2: @jai_an おまえそれはないやろ
jai_an 2011/12/31 22:49:57

年を取ると聖子の顔も大きくなった。
jai_an 2011/12/31 22:50:22

生きてることそのものが不快です。 RT @luuuciel: @jai_an 不快です＼(^o^)／
jai_an 2011/12/31 22:50:51

今後ともよろしく。 RT @___cause18: この芦田先生って人面白いからもっと早く知っておきたかった
jai_an 2011/12/31 22:51:08

松田聖子・神田沙也加「上を向いて歩こう」　紗弥加の、聖子と並ぶ歌唱に70点。
jai_an 2011/12/31 22:51:44

氷川きよし「情熱のマリアッチ」　この人、ニヒリストだと思う。おばさんを相手にし続けるとそうなる。バックダンサーの身体の切れの良さを加点して68点。歌は以前ほどよくない。はねるような元気さもない。
jai_an 2011/12/31 22:54:25

坂本冬美。肌に（いつもの）つやがない。
jai_an 2011/12/31 22:57:46

坂本冬美、声にも（いつもの）つやがない。細くなってる。
jai_an 2011/12/31 22:58:34

坂本冬美「夜桜お七」　歌が二回りほど細くなっていた。65点。
jai_an 2011/12/31 22:59:16

ご苦労様です（笑） RT @aiaikashi: 家族に芦田先生のtweet を伝える係になりつつあります。
jai_an 2011/12/31 22:59:53

REGZA　X_1 です。 RT @sariizumi: 芦田先生の視聴環境に興味ある。
jai_an 2011/12/31 23:00:32

だよな。 RT @1yuta0: 同意RT @jai_an 坂本冬美「夜桜お七」　歌が二回りほど細くなっていた。65点。
jai_an 2011/12/31 23:01:04

勝手なことを言うのを消費者という。勝手なことを言われることに慣れてるのをスターと言う。 RT @104piano: @jai_an じゃあ自分は１００％に歌えるんですね？勝手なことばっかり言わないでください。
jai_an 2011/12/31 23:01:52

人前に出るのが商売の人なんだから、しようがない。 RT @arimoto_kaori: 先生きびしすぎ。女はいろんなときがあるのです。 RT @jai_an: 坂本冬美。肌に（いつもの）つやがない。
jai_an 2011/12/31 23:02:59

こんなひとに4時間ほど前から包囲されています。 RT @dl_rt3: なにもっともらしいこといってんのRT @jai_an: 勝手なことを言うのを消費者という。勝手なことを言われることに慣れてるのをスターと言う。 RT @104piano: @jai_an じゃあ自分は１００％
jai_an 2011/12/31 23:03:46

個人の自由を訴える人に、個人の自由を保障されたことがない。 RT @yoichi_rashomon: そんな事は個人の自由だろ。敢えて反対する意味がわからん。リプライ返信をしなければいいだけではないか。RT @jai_an: リプライ返信、反対！　
jai_an 2011/12/31 23:04:33

福山雅治よりもREGZAの方がいいなぁ。
jai_an 2011/12/31 23:05:16

このホールの方が紅白のホールよりいいじゃん。
jai_an 2011/12/31 23:05:39

これもTwitter。 RT @sekinerei: お察しします。RT @jai_an: こんなひとに4時間ほど前から包囲されています。 RT @dl_rt3: なにもっともらしいこといってんのRT @jai_an: 勝手なことを言うのを消費者という。… @104piano
jai_an 2011/12/31 23:06:24

（笑） RT @sekinerei: 噴いた（笑）RT @jai_an: 福山雅治よりもREGZAの方がいいなぁ。
jai_an 2011/12/31 23:06:32

福山雅治「家族になろうよ」　福山的世界というのがあるのはたしかにわかる。愛機REGZA_X1に免じて70点。
jai_an 2011/12/31 23:08:06

なんでユーミンがここまで歌えて、和田アキ子があの程度なのよ。
jai_an 2011/12/31 23:08:56

ユーミン、気持ちを込めてちゃんと歌えている。聞いてるのつらいけど。
jai_an 2011/12/31 23:10:06

（笑） RT @meetie_s: 甘い！RT @jai_an: 福山雅治「家族になろうよ」　福山的世界というのがあるのはたしかにわかる。愛機REGZA_X1に免じて70点。
jai_an 2011/12/31 23:10:23

ユーミン、帯がすごい。高いよ、これは。
jai_an 2011/12/31 23:10:53

そんなことはない。 RT @daihiko: ユーミンはCDじゃないと聞くに堪えない。
jai_an 2011/12/31 23:11:17

これはいいよ、この今日の生歌のユーミンは。
jai_an 2011/12/31 23:11:42

松任谷由実「（みんなの）春よ、来い」　今日のこのユーミンはいい。感動した。95点。
jai_an 2011/12/31 23:12:55

EXILEは、Choo Choo TRAIN。
jai_an 2011/12/31 23:14:19

この踊りは腕の振りに注目。
jai_an 2011/12/31 23:14:41

ステップ中心の踊りから、腕の振りに重点化した新しい踊り。
jai_an 2011/12/31 23:15:28

だよね。 RT @fmama: グッと来ました…今日の一番！ RT @jai_an: 松任谷由実「（みんなの）春よ、来い」　今日のこのユーミンはいい。感動した。95点。
jai_an 2011/12/31 23:16:24

腕がいい。すばらしい。
jai_an 2011/12/31 23:16:37

不良嫌いなんだけど（笑）
jai_an 2011/12/31 23:17:08

良かった。
jai_an 2011/12/31 23:17:38

EXILE「Rising Sun」　腕いっぱいに身体を大きく見せる新しいタイプの踊りが素晴らしかった。88点。
jai_an 2011/12/31 23:18:46

私は10年前から（笑） RT @meetie_s: 芦田先生以外にも居るんですねー！RT @kentarotakahash: 今年は @jai_an @jojo_hiroshige @Mihoko_Nojiri の紅白実況ツイート三本立てか。
jai_an 2011/12/31 23:19:24

天童よしみを見ていると笑ってしまうほどに、美空ひばりを思い出してしまう。美空ひばりの歌を安心して聞いてられる。うまい。
jai_an 2011/12/31 23:20:36
Content from Twitter

これはよほど美空ひばりをよほど心酔していないと歌えない歌唱だ。
jai_an 2011/12/31 23:21:24

泣けてきた。
jai_an 2011/12/31 23:21:37

和田アキ子に天童よしみの爪の垢を飲ませたい。
jai_an 2011/12/31 23:22:27

天童よしみ「愛燦燦」　笑ってしまうほどに美空ひばりの歌を安心して聞いてられる。単に物まねに留まっているわけでもなく素晴らしい。88点。
jai_an 2011/12/31 23:23:53

北島三郎。花吹雪が鼻に入らないか、心配だ。
jai_an 2011/12/31 23:24:20

違うよ、踊りが新しいんだよ。 RT @kinopioman: EXILEの踊りがアホっぽい。
jai_an 2011/12/31 23:25:02

花吹雪のないサブちゃんなんて。
jai_an 2011/12/31 23:25:44

北島三郎「帰ろかな」　花吹雪＝鼻吹雪のないサブちゃんなんて。62点。
jai_an 2011/12/31 23:27:07

津軽海峡冬景色。勝負だな。紅組。
jai_an 2011/12/31 23:27:54

弱い。
jai_an 2011/12/31 23:28:12

微音が伸びない。
jai_an 2011/12/31 23:28:29

風邪じゃないか…
jai_an 2011/12/31 23:28:49

低い音も出てない。
jai_an 2011/12/31 23:29:45

この紙吹雪、北島三郎の鼻で掃除したい。
jai_an 2011/12/31 23:30:32

石川さゆり「津軽海峡・冬景色」　ベストの歌唱時より、二回り声が出てなかった。残念。70点。
jai_an 2011/12/31 23:31:21

まだ終わってないよ。 RT @yuki_kasai: 今年の紅白はわりと面白かったな。
jai_an 2011/12/31 23:32:02

小さな聞こえないほどの音。 RT @nakamuyuki: 微音？ RT @jai_an: 微音が伸びない。
jai_an 2011/12/31 23:32:28

SMAPは生で歌わない方がいい。
jai_an 2011/12/31 23:33:07

中居くーん。
jai_an 2011/12/31 23:33:41

どういたしまして。好き勝って言って申し訳ありませんでした。 RT @autismbwy: @jai_an 芦田先生の実況付きで、楽し過ぎる紅白でした。感謝申し上げます。
jai_an 2011/12/31 23:34:20

仲悪いのに、チームワークが保てているところがさすがにプロ。
jai_an 2011/12/31 23:34:51

なんで、こんなSMAP、SMAPした演出なのよ。
jai_an 2011/12/31 23:35:59

だと、思います。 RT @sanoso1: 紅白はネット上のオーディエンスと共に！正にライヴ！録画はダメですね、先生！@jai_an
jai_an 2011/12/31 23:36:29

歌手の生命線の一つ。 RT @nakamuyuki: 聞こえないほどの音が伸びるとはこれいかに RT @jai_an: 小さな聞こえないほどの音。 RT @nakamuyuki: 微音？ RT @jai_an: 微音が伸びない。
jai_an 2011/12/31 23:37:07

勝手に寝るな。 RT @meetie_s: みなさま今年もお世話になりました。とっても良い年になりました。皆様のおかげです。来年も何卒よろしくお願い致します。良いお年をお迎え下さい。
jai_an 2011/12/31 23:37:23

勝手に寝るな。 RT @yuz_yomogi: 今年お会いできた（お話できた）方、どうもありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いします。良いお年をお迎えください（まだ寝ませんけど）
jai_an 2011/12/31 23:37:40

SMAP「SMAP　AID 紅白SP」　もうでもでもいい。65点。
jai_an 2011/12/31 23:38:21

今年のトップは、森進一の『港町ブルース』の気仙沼。100点。
jai_an 2011/12/31 23:39:34

私の採点できました。紅組1548点、平均点61．9、標準偏差14．6。白組1356点、平均点54．2点、標準偏差21．2点。紅組の圧倒的勝利。
jai_an 2011/12/31 23:41:59

サンキュー。先ほど公表させていただきました。ありがとうございます。 RT @m_riwo: @jai_an せんせー最終結果できましたー。お疲れ様でした。 http://t.co/Pg6GBgpF

jai_an 2011/12/31 23:42:35

予想が当たった。実際紅組の勝利。
jai_an 2011/12/31 23:42:53

だよね。 RT @sho36ban: 森進一は今回よかったと思う。芦田先生じゃないが。
jai_an 2011/12/31 23:43:10

ありがとうございます。良いお年を。 RT @hatchtiti: @jai_an 今年も芦田先生の的確な審査が際立った年末TLでした。
jai_an 2011/12/31 23:43:29

私も笑いました。 RT @kono_hiroyuki: @jai_an あたってる笑。さすがです。
返信する RTする ふぁぼる jai_an 2011/12/31 23:43:42

良いお年を。 RT @genkimorimorin: @jai_an 芦田センセイ、今年も紅白採点ありがとうございました！ほぼ共感いてしまいました。よいお年を！
jai_an 2011/12/31 23:44:02

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    <title>追再試と落伍者をどう考えるか ― 追試の慢性化は、いかに教員と授業を腐敗させるのか</title>
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    <published>2011-12-08T09:12:37Z</published>
    <updated>2011-12-08T10:11:03Z</updated>
    
    <summary>●追再試と落伍者をどう考えるか ...</summary>
    <author>
        <name>芦田 宏直</name>
        <uri>http://www.ashida.info/</uri>
    </author>
            <category term="これからの専門学校" />
            <category term="教育" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.ashida.info/blog/">
        ●追再試と落伍者をどう考えるか

        <![CDATA[------------------ 
 
スライド１：追再試とは何か
  
追試（追試験）
本試験（期末履修判定試験）で落第点（60点未満）を取り、何らかの仕方で再履修判定を必要とされる場合に行われる試験（一回目の本試験とは異なるが同じレベルの難易度かそれ以上の難易度を保持する試験）
 
再試（再試験）
 本試験（期末履修判定試験）の受験を、本人の意志に関係のないアクシンデントなどが生じて、受験不能になった学生に、本試験受験のチャンスを再度与えられた試験（一回目の本試験とは異なるが同じレベルの難易度を持つ試験）
※英語では、make up examination とか supplemental examination とか言われている。 
 
----------------------
 
スライド２：専門士とは何か
 
「専門士」のタイトル付与（1994年）
1.　修業年限が2年以上
2.　卒業に必要な総授業時間数が1,700単位時間以上
3.　試験等により成績評価を、その評価に基づいて卒業認定を行っている
  
※高度専門士（2005年）については、
修業年限4年以上、総授業時間3,400単位時間以上、体系的に教育課程が編成されていること、試験による卒業認定など一定の要件を満たす条件で、付与される。
 
-----------------
 
スライド３：専門学校が試験を重視しない理由（1）

1.　教務的には、設置基準における1600時間（専門士は1700時間）という履修時間しばりだけが前面化していた（専門士＝1994年以前）

2.　厚労省系、国土交通省系資格学校が多いため、資格主義的な客観性にしか興味をもたない教員が多いため、学内試験の意味を理解する風土に乏しい。学内試験を全部100点とっても、資格で落第したら意味がないという結果主義にとらわれている教員が多い。試験対策授業だけに燃える教員ばかりになっている。

3.　自分で目標を形成し、自分で目標達成評価を行うという風土に乏しい。資格主義は人材形成とは対極にある。

4.　試験を厳格に行うということは、自分の専門性、教育力、教材開発力が直に表面に現れるために、なかなか自己管理意識が涵養されない。自己管理意識が涵養されないばかりか、「学生にバカが多い」から、と学生の所為にしてしまいがち。試験重視は、自己の教育評価の第一関門であるため、ここをくぐりたがらない教員が多い。人の（学生の）評価ばかりをして自分が評価されることを嫌う教員体質の問題。
 
------------- 

スライド４：専門学校が試験を重視しない理由（2）

1.専門学校は必修授業中心で時間割りに余裕はない。一科目でも落とすと即留年。真剣な試験をやって、落伍者がたくさん出てしまったら、退学をしてしまう。

2. 上記1）の理由は半分正しいが、そのことと試験を安易にやっていいという理由とは何の関係もない。だからこそ、日々の授業をきちんとやって落伍者が出ないようにしなくてはならないという認識にならないのが専門学校の問題。

3. 日々の授業が大切にされないのは、資格主義と人間主義。外部目標重視（資格主義）と日々の学びが就職の質と繋がっていない人間主義のため。

4. 〈良い就職〉というのが、〈良い学び〉＝学内成績と結びつかず、結局、「性格の良い」学生が良い就職に繋がっているという認識が前面化しているため。

5. 〈良い就職〉というのが、〈良い学び〉＝学内成績と結びついていないのは、カリキュラムが高度実務を意識したものになっていないため。〈性格〉を超えるだけのパワーを教育（カリキュラム＋教員の専門性）を持っていない。

6.学びの先に就職が見えないために（学びと就職とが〈性格〉によって寸断されているために）、留年してまで在学する理由はないことになる。
 
------------------
 
スライド５：専門学校が試験を重視しない理由（3）

1. 就職→カリキュラム→科目目標→授業という連関が見えないから形式主義的な補習や追試で事が済むと思っている教員が多い

2. 秋田国際教養大学は、科目の落第者がきわめてたくさん存在しているが（留年者が同学年で数10%いるが）、退学者は年間１ケタ（実数）に留まっている。これは卒業すること＝質の高い就職に意味がある、つまり在学生としての将来に意味があると在学者が思っていることのあらわれ。

3. 学生の〈性格〉を超えることのない授業（教育）、先の見えない、予復習も必要のないその日暮らしのような授業を続けている学校だけが追試を慢性化させている
 
---------------------
 
スライド６：専門学校が試験を重視しない理由（4）

1. 学生を選抜せずに入学させておいて、試験だけはきちんとしろというのは、おかしな話と思っている教員が多い

2. しかし、実績のない学校に、優秀な学生が来るはずがない

3. 「優秀な学生」とは、実績を見る学生なのだから。

4. 学生を選ぶためには、学生に選ばれる実績を作ることが先になければならない

5. 実績とは、1)カリキュラム目標にそった質の高い資格取得実績（全国で一二位を争う）2)カリキュラム目標にそった質の高い就職（ライン上昇のある）のこと　3)少なくともクラス在籍者数の半分以上の学生が中堅・難関就職を実現していなければならない（1、2割の優秀就職実績では、学生の「性格が良かった」と言われるだけ）

6. この三つの実績なしには、学生を選べる学校にはならない

7. つまり、どこかでだれかが学生を選ばないでも優秀な就職実績を作ることをしなければならない

8. その努力と工夫なしに、学生の基礎学力を長く教員は、自分の怠惰を棚に上げているだけ。つまり優秀な学校では採用基準にはるかに及ばない教員にすぎない。つまり、この教員にしてこの学生あり、この学生にしてこの教員あり、という関係。
  
---------------------
 
スライド７：試験とは何か

●試験は、教員の教育成果を問うもの
 
試験は学生の能力を問うものではなく、教員の能力を問うもの。というのも、授業計画、授業運営などの授業デザインは、すべて教員の権限に属しており、学生はそれに対しては全く受動的。学生能力の成長はもちろん、そのやる気も含めて、すべては教員の授業デザインに関わっている。
 
●授業デザインとは
与えられた目標、与えられた時間、与えられた学生を前提にして、どのように教えれば、落伍者なしに科目履修を完遂するか（落伍者なしの試験修了）のデザイン ― 主には教材デザイン、教材活用デザイン ― を意味する。
 
------------------
 
スライド８：授業デザイン
 
●授業デザインの実践
 
本試験までに落伍者（落伍可能性のある学生）を発見し、毎時間の授業（教材計画＋教材運用）において、彼を履修可能な状態に持っていくこと
 
●落伍者の意味
落伍者の存在は、授業運営も含めた授業デザインの失敗を意味する。教員業績評価としては最低の評価を意味する。
 
-------------------
 
スライド９：落伍者とは何か
 
●落伍者の多義性

1. 試験難易度（教育目標）を下げれば、落伍者は減る

2. 試験難易度が高くても、模擬試験的な授業や補習をやれば落伍者は減る

3. 落伍者の多少はそれだけでは、教員＝授業評価に繋がらないが、少なからず落伍者が存在する(※)ことは問題。落伍者がないことはそれだけでその授業が良い授業だったとは言えないが、落伍者が存在する授業はそれだけで問題のある授業とは言える。※5％～10％以上落伍者の存在する授業。

4. 落伍者のある授業＝事前に履修不良を発見できていないか、発見しても放置したかのどちらか。

5. 落伍者が存在する可能性を察知し、日々の授業の中で運営改善するのが、授業を担当する、という意味。日々の授業こそが補習を組み込んでいなければならない。終わった後に補習（まともな補習）ができるくらいなら、終わる前の補習ができないはずがない。
 
--------------------
 
スライド１０：試験点数とは何か
 
●試験点数分布の意味

1. 82～85点を頂点に90点台と60点台に向かって正規分布に近い形をとる場合がとりあえず良い試験＝良い授業。

2.上位に点数が固まる場合→教員が自分の授業（履修評価）に不安があり、落伍者を出すのを避けるため、試験難易度を故意に下げた場合。あるいは授業が試験主義的になっている場合。

4.中位に点数が固まる場合→配点に問題があるか、難易度にメリハリのない試験になっている場合。

6.二極化する場合（点数分布に山がふたつできる状態）→教員が下位学生の指導をあきらめている場合。

8.下位に点数が固まる場合→潜在的な落伍者が存在するか（落伍者放置）、授業と試験との間にずれがあるか、試験問題の内容（主に設問）に問題がある場合
 
---------------------  

スライド１１：追試の問題(1)
 
●慢性化する追試の問題

1. 専門学校の慢性化する追試体質は、教員の授業準備不備（授業補習）を棚上げにする諸悪の根源

2. 慢性化する追試は、授業内で落伍者を見つけても（早々と追試対象者として）放置する癖を教員につけてしまう

3. 本試にしても追試にしても、全員合格にしないと退学してしまう（＝経営者に怒られる）という理由で難易度をどんどん下げてしまう。

4. つまり落伍者ゼロ目標というものを、良い授業を行うという本来の動機に結びつけようとしない。

5. 落伍者ゼロ目標というのは、本試験までに落伍者を発見、履修目標復帰させるという授業本来の目標に戻ればいいだけのこと。
  
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スライド１２：追試の問題(2)
 
●ダメ学生に追試認定するのは学生サービスの一環という間違った考え方について 

1. 実績のない学校が学生を入り口のところで選べないのは当たり前。実績を目指すのが元々優秀な学生なのだから、優秀な学生を集めようと思ったら、実績を出すしかない

2. 〈実績〉とは、ダメな学生に優れた能力を身につけさせること

3. もともと優秀な学生は、どんなにカリキュラムと教員がひどい学校でも2割くらいはいるため、2割の優秀学生では〈実績校〉＝生徒に選ばれる学校、学生を選ぶ学校にはなれない

4. 結局、追試を学生サービスとして続ける限りは― つまり、教育改善、授業改善を棚上げにすることを続ける限りは、いつまでたっても、学生を選ぶ学校にはなれない。

5. どこかで、授業時間を延長してでも（補習しながらでも）、本試験を適性に合格させる目標に本気で取り組むことが必要になる。

6. それをやらない限り、〈学生を選べる〉学校にはならない。
  
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スライド１３：追試の問題(3)
 
●全員合格授業の諸問題

1. 授業目標が低すぎる

2.試験問題が易しすぎる

3. 配点が不適切

4. 記述式などが多く採点の内容が不明瞭

5. 全員合格授業を続けると、上位学生の不振を招き、教育（授業）の質を上げることができなくなる

6. 授業中、専門的で迫力ある授業を行っても、試験が甘いと、本来の内容が身につかない

7. 試験でリスク※を背負わない教員（学生への期待値が低い教員）は、学生から尊敬されない

※慢性化する補習（＝本試験より難易度の低い追試のための補習）はリスクではない
  
------------------ 

スライド１４：追試の問題(4)
 
●本来の全員合格授業

1. 科目全体の授業目標（シラバス）が専門的に妥当な水準を保っていること

2. 科目全体の授業目標を日々学生共々自他に明確化（公開化）すること

3. 日々の授業目標を学生共々自他に明確化（公開化）すること

4. 日々の授業で何がわかり、何が分からなかったのかを学生共々自他に明確化（公開化）すること

5. 日々の授業の落伍者を日々救うこと（次週コマの始まる前までに補習を完了すること）

6. 試験の水準（高水準）が日々分かるような授業を行うこと。

7. つまり教員の学生への高い履修期待が日々分かるような授業を行うこと（教員の期待値が上がれば学生の履修水準は必ず上がる）

8. 上記7項目が遵守できれば、落伍者は多くても10%未満に留まる
 
-------------------
 
スライド１５：追試の問題(5)
 
●追試が可能な条件

1. 落伍者が、原則的に10%未満に抑えられている試験判定であること

2. 「忙しい」教員なら、落伍者が10%を超えると、念入りな教材や時間を確保しなければならないまともな補習はできないし、学生サービスのための補習にしかならない。補習がまともにできなければ、必ず退学予備軍になる。

3. 落伍者の落伍理由（特に授業デザイン、シラバスとの関係における）がはっきりしていること

4. それに対する対策課題がスケジュールと共に教職員に明示されていること。

5. 追試のための補習スケジュール、補習開講教室（＋使用時間）、補習担当者、追試試験作成者、採点担当者が教職員に明示されていること。

6. 本試験に突入したのと同じ密度の補習授業が追試者全体に徹底して行えること。

7. 本試験と同じかそれ以上の水準の難易度を持つ全く別の設問の試験を準備できること。

8. できれば追試試験作成は担当教員以外がシラバスに基づいて行い、採点は必ず担当教員以外の第三者が行うこと

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スライド１６：追試の問題(6-1)
 
●それでも、教員が追試をやりたがる理由(1)

1 .日ごろの授業で、「試験に出るぞ」「大切なところだから覚えておけ」「覚えるしかない」「テキストに下線（赤線）を引け」という言葉を連発する教員に限って、追試をやりたがる

2. 実習作業依存、実習機材依存、既成教科書依存、板書依存の授業をやる教員に限って、追試をやりたがる

3. 自主教材のない授業をやる教員に限って、追試をやりたがる

4. ノートを取る学生がほとんどいない授業をやる教員に限って、追試をやりたがる

5. 講義授業では、寝ている学生の多い授業、私語の多い授業をやる教員に限って、追試をやりたがる　―　授業参加していない学生が多い授業をやる教員に限って、追試をやりたがる

6. 要するに、〈理解〉中心ではなく〈記憶〉中心の授業をやる教員に限って、追試をやりたがる
 
-------------------
 
スライド１７：追試の問題(6-2)
 
●それでも、教員が追試をやりたがる理由(2)

1. 〈理解〉中心ではなく、〈記憶〉中心の授業をやる教員に限って、追試をやりたがる

2. 要するに、長い時間を経ることによって、初めて身につく〈理解〉を中心とした授業になっていない

3. ぶつ切りの作業主題的な授業が多い

4. わざわざ専門教員が教えなくてはいけないような内容の授業になっていない

5. 教員ではなくて、インストラクターかトレーナーで充分なような授業にしかなっていない

6.  つまり記憶短期的に処理できるような内容に満ちている授業になっているため短期的な追試で補えるという錯覚が生じやすい

7. それは、日ごろの授業が予習や復習によって構成されていない作業主義のため。作業主義的な授業は、授業時間の中の教育が全てで、時間の外では、学生はみんな授業のことを忘れているし、その外では遊んでいる

8. だから、遊ばせない授業の延長に、追試が存在している。拘束時間を延長するようないじめの授業形態が慢性化しているのが追試の実態。
 
--------------------
 
スライド１８：追試の問題(6-3)
 
●それでも、教員が追試をやりたがる理由(3)

1. 本来の授業では、前の授業（前の授業の履修達成地点）を受けて次の授業が進むため、補習はその時点（前コマと次コマとの間、前週と次週との間）でしか意味がない 

2. 補習とは授業の順次性を補完するためのもの。つまり、順次的、組織的に計画された授業の高度目標を達成するためにはなくてはならないもの。

3. 一通り、浅く広く教えておけばいいというある種の資格主義的な授業（あるいは教員に専門性のない授業）では、補習の必要性を感じる教員が少ない。授業のコマ間自体に、順次性のない授業も多い。

4. カリキュラムとは、1年次の最初のコマから、卒業年次の最後のコマまで、順次的で組織的でなければならない。カリキュラムの存在する学校、カリキュラムを意識した授業の存在する学校では、1コマ2コマ、あるいは一週間の履修不良は、致命的と感じる教員がいるのが普通。取り返しが大変なため（後の授業が全く分からない）。

5. ほとんどまともな補習のない追試が横行するのは、順次性がまともに存在しない授業が多いため。高度な人材は、順次性（ながーい時間の堆積）なしには作れないということを理解しない教員が多い。順次性と追試主義（軽薄な知識主義、軽薄な実習操作主義）とは真っ向から対立する。
 
------------------------- 

スライド１９：再試
 
●再試が可能な条件

1. 再試は形を変えた追試である場合が多い。従って、原則禁止。大学受験に準じる水準のルールが望ましい。

2. 病欠の場合も、ほとんどの場合、試験を嫌う、試験に自信がない場合の形を変えた追試と同じになる場合が多い。従って原則禁止。

3. 純粋にアクシデントとしての体調の問題であったり、交通事故などの場合、あるいは忌引きの場合などは、診断書や家族の再試願い書などの文書処理が必要。

4. 試験は、学校・授業の生命線であり、学生と教員との最も重要なコミュニケーション。 試験を安易に考える風潮をなくしたい。試験をおろそかにする教員と学校（学生ではなく）は教育目標のない教員・学校でしかない。
 
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    <title>「ある」と「べき」について　―　1988年法政大学「哲学」講義</title>
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    <published>2011-11-30T04:29:59Z</published>
    <updated>2011-11-30T05:04:13Z</updated>
    
    <summary>この講義は１９８８年度法政大学通信教育スクーリング講座（於：市ヶ谷校舎）の、1年間通年で行われたものの録音テープを編集したものです（第二回目と第三回目の講義）。当時、熱心な学生がいて、私の講義を文字興ししてくれました。私が、教壇に立った最初の講義です。400名の履修登録学生のいる大きな階段教室での講義でした。Twitterで、「ある」と「べき」との関係について悩んでいる人がいたので、この講義を思い出した次第です。ここに再録します。懐かしい。私が34歳の時のものです。 ...</summary>
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        <name>芦田 宏直</name>
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            <category term="講演関連" />
    
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        この講義は１９８８年度法政大学通信教育スクーリング講座（於：市ヶ谷校舎）の、1年間通年で行われたものの録音テープを編集したものです（第二回目と第三回目の講義）。当時、熱心な学生がいて、私の講義を文字興ししてくれました。私が、教壇に立った最初の講義です。400名の履修登録学生のいる大きな階段教室での講義でした。Twitterで、「ある」と「べき」との関係について悩んでいる人がいたので、この講義を思い出した次第です。ここに再録します。懐かしい。私が34歳の時のものです。

        <![CDATA[－－－－－－－－－－－－－－－－－

哲学講義 （１）　１９８９．４．２４

　えーと先週はですね、皆さんに突然、哲学とは何かということを書いていただいたんですが、まだ二回ひととおり、ひととおり二回読ませていただきましたが、まだデータの集積ができておりません。で、やっと百人分くらいは、こういうふうに一行ずつまとめさせていただいて、書かせてもらっているんですが、年齢の分布では、百人の範囲内ではだいたい百人中六十人くらいが二十歳代の人です。あと十代と三十代と四十代が十五人くらいずつ、あと五十代以上のかたが三、四名くらいの割合いです、百人に対してね。ここの教室は三百五十人ですか。だからだいたい三・五倍してもらえば、だいたいこの授業の年齢層というのが見えてくるわけですが、そんな話は哲学の話とは何の関係もないんで、ただ私の年齢について「先生、何歳なんですか。哲学者ってもっと年齢の高い方だと思っていたので」と質問された方もおられるんですが、私は三十四歳で（えっー、という声）、私より年上のかたもかなりおられます。

　したがって、僕なんかも、哲学の本を読むときに、自分より年齢が若い研究者が本を出したりしてくるわけですね。そうすると、とても読む気になりません、ばかくさくてですね（笑）。自分より年齢が若いやつがまともなことを書くわけがない、というふうに思いまして、読む気がおこりません。そういうところで考えてみますと、私より年齢の上のかたが、私の授業を聞いてくださるという話は、たいへんありがたいとともに、気はずかしい気持ちがしまして、そういう意味でも年齢を書いていただいたんですが、若い人間が、一体何を考えているのかということを理解していただくつもりで聞いていただけたらありがたいと思います。

　で、書いてもらったので、一応まとめた範囲では、四百人近い方に哲学とは何かというのを書いてもらいますと、だいたいほとんどのことは出尽くしてしまうわけで、これはおそらく哲学が、だいたい二千五百年くらいの歴史が　―　さしあたってギリシアから始まって二千五百年くらいの歴史が　―　あって、その歴史の累積のなかでみなさんが突然、哲学とは何か、というふうに聞かれても書けることの累積というのは必ずあるわけですね。それは、われわれが何を言ったかとか、何年ごろどんなことが起こったかということではなくて、歴史の累積というのは、そんなことあたりまえでしょみたいな形で受入れられていること自体が、実は長い歴史のなかで始めてあたりまえになった、そういったことがらとして存在しているわけで、そういう意味では、書いてもらったことの全ては、約二千五百年間歴史の成果なわけですね。いい意味でも悪い意味でも成果なわけで、それは無視するこはできないわけです。

　それで今日から授業をやっていくわけですが、その前に非常に事務的なことで　―　書いていただいたことで　―　気になることが二、三ありましたので、そのことについて先に触れます。ひとつは、この教室は、教員免許をとるかたがある程度おられまして、あるかたなどは、教員免許取得のため法学と哲学はとったほうが良いからとった、と書いておられるかたがありまして、この傾向はけっこうあったわけですね。つまり、この教室のなかには、将来先生になられるかたがいる。つまり僕のように、こういうふうに前に立って、授業をされるかたがいる。そのことは、ちょっと押えてきたいというふうに思います。

　もうひとつ。仕事上、全回分出席できないかたがおられる。つまり仕事上夜勤の関係とか、あるいは出張も含めていろんな仕事で、ここに来られないかたがいる。そうすると前回お話した、出席を重視しますという話との関連で、気にしておられるかたがおられる。これは全然予想していなかったことでありまして、どうしようかと思ったんですが、こういうふうにしましょう。一週間前にですね、来週の月曜日来れないと、それこそ会社の仕事の関係で一週間後の月曜日は夜勤があるとか、あるいは出張があるとかということが計画として分っている場合は、今日の段階、つまり一週間前の月曜日の授業の最後に私に申し出てください。そうすると私が代わりに、出席調査票を書かせていただきます（笑）。それは、だから、仕事の関係できちんとスケジュールが組まれていて、それが分っている場合だけです。したがって、そういうかたは、申告してください。出席扱いにさせていただきます。その二点です。

　〔今の〕二点目の方は事務的なことなんですが、〔前の〕先生になられるかたがおられるということを押さえておきたたいというのは、私、教師という職業をたいへん嫌悪しておりまして、ひとにものを教えるというのは、どうしようもないことだというふうに思っております。だいたい教えるということをやっている人間は、その分野の最前線で働いている人間ではないわけです。たとえば、僕はゴルフはやりませんが、ゴルフのレッスン・プロといいますと、これはゴルフのできない連中なわけです。つまりゴルフを教えるやつというのは、競技の最前線で自分の能力を最大限に発揮して仕事している連中じゃないんです。

　僕も今、こうやって教えるというところにいるわけですが、しかしやっぱり最前線に立っていない。つまり哲学というのは、先程もお話しましたように、ギリシアに始まってだいたい二千五百年くらいの歴史を持っているわけでずが　―　さっき「累積」と言いましたが　―　、二千五百年かけて人類というのは一体どこまでものを考えられるところまで来ているかということが、やっぱり前提としてあるわけです。で、いま僕が　―　今平成何年かしりませんが　―　、ここに立ってお話していることは、この二千五百年の最も最先端の場面の思考というものをみなさんにご紹介したい、そのことをお話ししたいということなわけです。

　したがって教えるという段の話になりますと、だいたいわれわれは、たとえば高校で倫理社会を習ったり、あるいは哲学の大教室で哲学史みたいなものを習う場合は、だいたいおおざっぱに言って、五十年から百年遅れたところでまとまっている哲学史であったり、哲学的思考の現在であるわけで、ほとんど最前線で活躍している思想家たちの業績というものは、なかに入ってこないわけです。で、それはその、教壇に立つ人間が怠けているということではなくて、教えるという段になると、知識（知られたもの）というものをみなさんに与えていくというふうになっていきますから、それは、教えるということ自体が持っている問題なんだと思うんです。

　そういう意味では、私は、いわゆる教師のようにしてみなさんの前に立って教えるという気は、ある意味では、ないんであって、先週書いていただいた話のなかに、やはりそういうことを感じられているかたがおられまして、たとえば、哲学史は知識をつめこむだけだ、そんなことをやるんであれば、一、二の哲学者をとりあげて深くやっていただきたい、というふうに書いているかたがありましたし、哲学史のつめこみではない授業をやりたい、というふうに書いておられるかたもある。これはもちろん、哲学史をやっていただきたいというふうに言われている方もおられるわけであって、その場合は、歴史というものそのものに自分は関心がある、したがって哲学史の授業をやっていただきたい、ということで言われているんであって、主旨としてはぜんぜんはずれてない。

　つまり哲学とは何かということを答えるときに、ソクラテスはどういうことを言ったとか、プラトンはどういうことを言ったとかなんて話してもぜんぜん意味がないのであって、むしろ、もちろんそういう話をしなくてはいけないわけだけれど、そのー、言ったということは一体どういうことなのかということを話していかないかぎり、話にならないわけですね。それはやはり、現代というものが、ずっと何千年も続いてきた思考の歴史に対してどんなところにいるのかみたいなことと無視しきれない関係にあるわけで、そのお話をしたいというふうに思っています。

　したがって私は、教えるというよりは、自分がいま何に関心をもっていて、どういうことを哲学をやっている者として考えているのか、で、そういうことを考えているやつがここにいるということだけを中心に授業をやっていきたいと思うわけです。したがって、この、私とみなさんとの関係は、教師と生徒の関係というよりは、みなさんも先週いろんなことを考えてもらって書いていただいた、その話と私の考えをなんとか交換させたいというふうに思っています。ところが問題がありまして、交換させたいと言いましてもですね、三百人以上、四百人近い生徒さんがおられるわけで、一人一人のゼミのようにして、ひとつのテキストを丹念に読んでいったりすることはできないわけですね。もしよければ、私が一時間話したなかで、何かご意見とかご質問があれば、授業が終わった後で、いつまででもつきあいますので、何がご意見がれば来ていただければけっこうです。

　私は学生時代に、哲学の教師に何度も裏切られまして、授業の後いつも質問にいくんてすが、立ち止まってくれませんね（笑）。研究室まで帰るまでですね、質問して答えてくれない。あるいは来週までに考えてきますと言って、一週間待っても何も言ってくれない。そういう先生ばかりに裏切られてきましたから、私だけはそういうことをやりたくない、そういうふうに思っています。だからもし何かあれば、全部に答えられるかどうか分りませんが、その場で答えられない場合は、あの一週間勉強させてもらって、必ずご報告したいと思いますので、よろしくお願いします。

　だから、ちょっと話がずれてますが、教職の免許をとられているかたは　―　私も教職の免許をっておりますが　―　、先生になられるかたも、必ず授業のなかで教えるとはどういうことか、あるいは影響って一体何なのか、影響という概念はですね、今もドイツに生きていますが、ガダマーという思想家がおりまして、この人は、ハイデガーという実存主義の思想家の高弟、非常に身近にいる弟子ですが　―　ハイデガーはもう十年以上前に死にましたが　―　、この人が影響ということを非常に真剣に考えている。影響ということを真剣に考えた人です。で、哲学的には影響という問題は、カントという思想家が、これもドイツの思想家ですが、カントは触発という　―　これは別に書いてもらわなくて結構ですが　―　概念、アフェクツィオンというのですが　―　、アフェクツィオンという概念を、哲学のなかで初めてとりだしたのはカントなんですね。

　つまりある一人の人間が、一人の人間と出会って触発する。もちろんカント自身は、そこまで問題を広げて考えてなくて、感性と悟性との関係、あるいはそういった人間の認識と物そのものとの関係　―　話がちょっと急に専門的な話になますが、ごく簡単に考えているわけですが、まあそれはおいておいて　―　、少なくともあるものとあるものが触れあうときに生じる出来事といいますか、そういったものを触発という概念でとらえたわけです。これはたいへん難しい問題で、ガダマーはそのことを意識してですね、影響ということを言うんですね。つまり歴史というのは、現在と過去が何らかのしかたで影響しあう出来事だというふうに考えています。つまり影響というのはたいへん難しいんですね。

　われわれは通常、ある人間がある人間に影響を与えたと言いますが、分っているようで分っていない話ですね。つまり、A という人間が B という人間に影響を与えた。そうしたらこの人〔B〕はやっぱりA なんですね。つまりこの B という人は、A の 範囲内で　―　いってみればまあこれは小文字のa で、小文字の b だとしますと　―　、大文字のA というものがやはりそこに存在しているわけで、すると影響を与えたということのなかには、A と B が同じたという問題と、でも依然としてこれは違うからこそ、この人〔B〕は、この人〔A〕から影響を受けたということが言えるわけですね。そうするとこれは、差異がそこに存在する。そうすると、その同じ、つまり A という人が B という人に影響を受けた。そうするとそれは同じでありながら、なおかつ違う人格において同じということが起こっているという問題がでてきます。で、これは、哲学のなかではですね、カントという人間がですね、いちばん最初に、触発っていう概念のなかで考えはじめたことですね。

　それをもっと一般化させていけば、影響って言葉になっていくわけでが、哲学の場面ではですね、影響という問題はいまだに解決してないわけです。つまりある人間がある人間から影響をうけて偉大な人間になったとかですね、ある人間がある人間から影響をうけてだめな人間になってしまった。それはどちらでもいいわけですが、それは、あることが同じであるとはどういうことか、あるいはあることが違うということはどういうことかという話をですね、前もって解決しないかぎり、決して問題にならないんですね。問題にならない、わけで、これは教育という場面で問題にした場合、もっと深刻な問題になってきます。もっと深刻な問題になってくる。

　つまりある教師がですね、ある生徒を教えていて、その生徒が自分の影響を受ける、そして自分と同じような考えかたをしていくっていうのは、一応、影響なわけですね。そしてもし、その教師が偉大な教師だ、偉大な影響を与えた人間だという話になっていった場合ですね、その教育者っていうふうになった場合は、教育者というのは非常に悲しいものでですね、その、自分が教えようとしていることを生徒がそのまま理解して、なるほど先生そうですねって言ってもらっていたら、喜べるかというと、喜べないということがあるわけですね。つまり自分を蹴落としてですね、自分より立派な仕事をしていってもらいたいという気持ちが、一方でまたあるわけです。それはまさにここの問題なわけです。

　つまり生徒というのは自分と同じことを考えていてほしいという局面と、やっぱり自分を蹴落として、自分より違う人間になっていってほしいという気持ちが、真理のうえでは同在しているわけです。そうしたら、そのもし、自分がですね、自分以上のものを与える影響力というのは、どこに根拠があるのかという話を考えていったときに、それは少なくとも、真理的にはありえないわけです。ありえない。つまり同じでありながら、かつ違う生徒を育てあげなければいけないという場面に、教育者が面するとき、これは解決できないわけですね。みんなそれは偶然に任せちゃってるわけです。あるいはある場面では、おまえよく頑張ったなあと言ってほめておいてですね、そしてそいつがある場面で自分を蹴落としていって、離れていったら、なんてやつだあいつは、恩知らずだみたいな話になっていって、それの繰返しをですね、学校の教師ってやっているわけですね。

　これはたいへん難しい問題で、僕も他人ごとじゃないわけで、僕にも、あのー、その、哲学上の師匠というのはいるわけだし、影響を与えてもらった先生もいるわけですね。そしてその先生のもとにいろいろなことを書いていく。そうすると一応こちらは勉強しているわけですから、少しずつは先生に近付いていくし、ある局面ではですね、もうこの先生はいらないよ、と思う場面も出てくるわけですね。でも、もう先生はいりませんなんてことを書いてしまったらたいへんなことが起こりますから、そのあたりは、その、哲学上、同じと差異は何かみたいな話とはべつの段階でですね、教育するものと教育されるものとの関係で様々な葛藤が生じてきますね。それはあのー、みなさんの職場でですね、上司のかたと自分自身の立場を考えてみたときに、いろんな問題が生じてくる。それは、哲学の場面で考えると、やはりここの問題なわけです。

　で、これはギリシア以来、ずっと問われてきている問題ですが、同じものであると同時に違いがあるもの、という場面なわけですね。で、これは難しいわけです。で、もちろんこの問題を、この授業でやっていくわけですが、ひとつ教えるということをとってもですね、たいへん難しい問題がそこに潜んでいるということですね。で、そういう意味で言うとですね、先生になられるかたがたいへん多いということは、影響の問題とか触発の問題っていうのがですね、必ず教育の現場で問題になってくる。切実な問題になってくる場面が、必ずあると思うんですね。どういうふうに処理すればいいかみたいなものも、少しそういうかたがおられるということを念頭に置きながらですね、授業をやっていきたいと思います。

　で、あとですね、先週授業が終わった段階で問われたかたがいたんですが、テキストの資料候補についてですが、いちおう、あのー、講義要項ではですね、ヘーゲルの『哲学史序論』というのを買っておいてただきたい、というふうに書いていたんですが、もうひとつ『歴史哲学』というのはですね、私ちょっと不注意で、岩波文庫で出ていることは出ている、私も持っているわけですが、もう絶版になっているらしくてですね、古本屋さんに行かないとなということで、そんなテキストを使うわけにはいかないので、さしあたり岩波文庫のですね、この『哲学史序論』というものだけを買ってください。でこれは、あのー、この人数ですので、みなさんと一緒に読んでいくというわけにはいきません。ただしあのー、授業のところどころで参照したりするというかたちで使いたいと思いますので、よろしくお願いします。えー、まだ買われてないかたおられますか。あ、かなりいますね。

　えーとこれはなんか、生協で取り寄せられるという話をきいたんですが、生協にまだ来てませんか。来てる？ あ、来てるらしいんで、えーとこれは星は幾つ？ 三つ星、おいくらでした、今ひとつ星いくらかな？ 四百五十円らしいですので、買ってください。これは、あのー、ヘーゲルの講義録みたいなものです。理論的な著作というよりは、ドイツの、これはどこでやったのかな、大学の講義としてしゃべり言葉で、弟子がですね、講義を記録したものがここに載っているわけです。確か、買って読んだけれどもさっぱりわからないから、やっぱり哲学は難しい、と書かれていたかたがおられたと思うのですが、なんとかこれをですね、すらすら読めるようなところまでもっていきたいと思っております。

　それで、えー、それで一応、先週のですね、百枚ぐらいをまとめてみた段階での話は、そういうことですね。あとまあ、個々のことでいろいろいろまあ例えば、哲学と心理学との区別がなかなかつかないと言われているかたもおられましたし、いろいろあるんですが、授業をやっていくなかでですね、答えていきたいと思います。まあ一応、これまでは前置きなんですが。

　それで一応、哲学とは何かということを言って、先週私はなんか不用意に、答えはあるんだみたいなことを言ったみたいなんで、そういうふうに書いておられるかたがいたんですが、哲学とは何かというとですね、これはおそらく単純な答えだと思います。いろいろな問題があるにしてもですね、それはその、始まりとは何かということが　―　ノートを持っておられるかたは、このあたりから書いてください（笑）　―　、始まりの開示性というふうに、さしあたり答えればいいんだというふうに思います。もちろんそういうふうに本に書いておられるかたもいますから。で、始まり、これはギリシアの哲学が始まった段階ですでに言われていたわけですね。

　アナクシマンドロスというギリシアの思想家がいまして　―　ギリシアのソクラテスの以前の思想家ですが　―　、この人が最初に始まりということばを使ったというふうに言われています。どこまで本当か知りませんが。というのは、その、前ソクラテス期の人間というのは、まだ紀元前五百年ぐらいのところの人間達なわけですが、直接に書いた人っていうのはいませんから、伝聞とか歴史家の叙述に従うしかないわけですね。だからあのー、このあたりの話は、一種の物語だと思ってもらって聞いてもらったほうがいいわけですが、その物語のなかでもアナクシマンドロスという人間が、始まりという言葉を使った。つまり哲学というのは、始まりを探究する、つまり始まりとは何かということを問い尋ねる学問だというふうに言ったといわれています。で、その言葉だけでもせめて、ギリシア語の原語で覚えておいてください。アルケー(arche)、ギリシア語でアルケーといいます。アルケーを問うということです。

　アルケーを問うことの意味は何なのかということですが、このアルケーはですね、次にラテン語の中世の世界になるとプリンキピウム（principium)という言葉に変わっていきます。プリンキピウムで、英語でプリンシプル（principle）なんですね。この関係を見てもらうと、ここ、原理ということですね。通常、原理あるいは規則というふうになっていきます。（板書が）ちょっと見にくいかな。

　始まりというのはですね、中世になるとこれは原理、 あるいは規則、でこれが英語でそのまま同じ意味になって使われてきます。で、すでに中世にですね、たいへんな変容が起こっている。つまり始まりという概念と、原理とか規則というふうな概念とはですね、これは少し違う。ここですでに、ギリシア的な精神というのはですね、失われてしまって、それで近代になっていくわけですが、ここでもう変質が起こっているわけですね。変質、まあ、いい意味でも悪い意味でも変質が起こっているわけです。

　ま、それは置いておきますが、一応こういう形でですね、哲学というものの規定が生じてきているわけです。で、いまここの歴史的な変質の問題は置いておきます。もともとギリシア的な精神としての、つまりソクラテス以前の段階で出て来た　―　ソクラテスにおいて、あるいはプラトンにおいてもですね　―　、このアルケーという概念はすでに変質しています。つまり、前ソクラテス期のですね、人間達が、哲学というのは始まりの学だと、学とまではいかないにしても、始まりを探究するものだというふうに言ったときに、その始まりって一体何なのか、つまりそこにこめる意味は何だったのかという問題がですね、すでにソクラテス・プラトンのところで、ここ〔中世〕から大きな変動が起こるのと同じようにして、変質してきているわけです。

　で、始まりっていうことの意味は何なのかといいますと、たとえばみなさんは、哲学っていうのは、いろんなことを書いてもらっているわけですが、たとえば人生観の問題なんだ、どうやって生ていくかっていう問題、どうやってよりよく生きるかという問題なんだとかあるいは、その、世界とは何かとか自己とは何かとか社会とは何かということを根本的に問い尋ねる学なんだとか、いろんな言い方されてます。

　こういった問題を考えていくと、必ず、始まりの問題になっていきます。たとえば、非常に分りやすい例で言いますが、物理学でですね、素粒子の世界ってありますね。で素粒子の世界っていうのは、その何て言うんですか、僕は理系の人間じゃないから分りませんが、遠心分離器みたいなでかいやつでですね、物質を　―　非常に簡単に（粗雑に）言いますよ　―　、物質をぶち当ててですね、どれだけ力強い力で、物をぶち当てるかという問題なわけですね、極端に言うとですよ。そうすると、力強い力でぶち当てればですね、力強いほどですね、物質っていうのは細かくなっていきますね。細かくなっていく。まあこれくらいの物というのはかなり大きいわけですが、素粒子的に言うとですね、もっと考えられないくらいの力で、さらにこの小さなたとえばチョーク片をですね、ぶち当てます。そうするとこのチョーク片、もっと細かくなっていきます。でその極限までやっていくとですね、物質の元のアルケー、始まりって何なのかという問題になっていきます。

　でこれはただ単にですね、微分化して細かくするということが問題じゃないんです。つまり細分化していって、物質の極限の要素　―　要素って言い方おかしいですが　―　物質の究極っていうことを考えます。そうすると物質の究極っていうのはですね、いかにも小さいことを問題にしているようですが、物を細かくしていくとですね、何と言いますかね、たとえばわれわれを、いま二メートルとか一・五メートルという視野で見ていると、それぞれの人間は顔も違うし、形も違うわけですね。で、これを生物学的な言いかたで言ったらいいと思うんですが、心臓というところで見ちゃう、あるいは、心臓というところをもっと細かくしていって、何て言うんですかね、細胞というところまで見ていく。で細胞というところまで見ていくと、一・五メートルとか二メートルの身長の高さで見ている世界というのは、おそらくその世界で見えてくる違いというのは、なくなっていくだろう。つまり細胞まで見ていってしまえば、私とあなたという人間関係はですね、おそらく同一のものとして見えてくる。さっきの同一という問題を狙ってるんですが（笑）、同一のものに見えてくる、

　そうすると、さらに細胞というところで見ている限りはまだですね、有機体と物質との区別っていうのは依然として存在しているわけですね。だから細胞っていうのをもっともっと極限までやっていくとですね、たとえばそこらへんにある石ころと成分の同じところまで、届くことができますね。そうすると、私がここに存在しているということと、石ころが存在していることとは、手をつなぐことができるわけです。つまり、細胞というレベルをさらに超えていってですね、有機体というレベルを超えてしまう。つまり、無機物と有機物が同一になるようなところまで細分化しいく。

　で、素粒子という世界はですね、もっと細かいところまでいっているわけですね。そうするとこれ、細分化していくってどういうことかというと、われわれの眼とか触角とか味覚とかというレベルで考えている違い、差異の問題はですね、細分化していけば細分化していくほど同一の方向へ転換していきます。そうすると、物質を究極のところで細分化していくということはどういうことかというと、これは、宇宙の果て、宇宙の果てまでですね、おそらくたどることができるだろう。つまり、これはおそらく、この〔物理学に携わる〕世界のかたがおられれば、当り前のことを言っていると思われると思いますが、物質をとにかく、どんどんどんどん究極のところまでもっていく、どこまで細かくできるか分からないけれども、どんどんどんどん細かいところまでもっていけば、われわれ人間だって有機体ですから、死んでしまうし、土に戻っていくし、だからさらにその土は、いろんな物に細分化されたものを、要素にしてもっているわけですから、それをもっと細かくしていくと、地球の外のもの、あるいは、宇宙の極限のところというところまで、おそらくこの同一のもので出来ているだろう。

　つまり細かくすればするほど、それは小さな世界を問題にしているようですが、その小さくするというのを、中途半端なところで収めずにですね、どんどん細かくしていくと、あのわれわれが今日誰々とけんかして来たとかですね、今日誰々と仲良くなったとか、そういうとこ　―　それをくだらないと言っちゃまずいんでしょうが　―　、そういった場面というのを全くとっぱらっちゃって、みんな同じなんだよ、というところまで行ける。

　でこれは、場合によっては、宇宙の果てにまで行くことができる、ということです。つまりあのー、究極の微分化というのはですね、無限の空間を内包することができる、っていうことが、おそらく物理学者がですね、素粒子の世界、あるいはそれよりもっと細かいとこみたいな話をやっているときに、想定していることですね。つまり、彼らはただ単に、玉葱を細かくするとかっていうような話をやっているのではなくて、おそらくそのー、極限にまで細分化していけば、突然反転してですね、宇宙の果て、というもの、宇宙の限界みたいなものが見えてくる場面があるんじゃないか、っていう話です。

　で、哲学の原理が始まりだということの問題はですね、まさに物質の究極という意味の始まり、まさにアルケーですね、その、今の例　―　まあ、例だけで話をすのはまずいんですが、まあ今日は導入の話ですから例だけに止どめまずが　―　、つまりどんどんどんどん小さくしていって始まりは何かと問うことはですね、ただ単に何年に始まったっていう意味の始まりではなくて　―　つまり、そこが歴史学的な始まりと違うんですが　―　、この始まりとしての究極っていうことを問題にするということは、同時にそれがどこで終わるか、どこで終わっているかという無限の全体、無限としての全体ですね　―　無限としての全体っていう言い方はまずいかもわかりませんが、まあ同じことですが　―　、無限としての全体ということをそこに内包しちゃうっていうことです。

　つまりギリシアの起源に遡って、あるいは思想達が問い尋ねていた始まりを問うという思考はですね、実はその、ただ単に何年に始るという問題ではなくて、その始まりを押えてしまえば、首ねっこをつかんでしまえば、われわれが死のうと生きようと宇宙が爆発しようと無くなろうとですね、絶えずそこを参照しながら全ての存在が存在しているような始まりというのをつかむわけですから、もうこれで死んでもいいやみたいな始まり、つまりみんな分かっちゃった、もう分かった、つまり宇宙は何でできていて、それより宇宙は大でも小でもないんだみたいな、そういった始まりをつかむ、それが、まあ言ってみれば哲学のですね、野望なわけです。つまり、これをはずしてしまうと、石も人間も、もちろん有機体も、あらゆるものがですね、存在としては存在しないだよみたいなものを捕まえるということですね。それは、アルケーを問うという意味での哲学の、やろうとすることなんです。

　これは明らかに、諸科学　―　たとえば物理学とか経済学とか生物学とか、何でもいいんですが　―　、そういった、たとえば生物学であれば、有機体としての存在というのは、もうそこで認めちゃうわけです。つまり前提に入っている。ここから先はもう知らないという前提を、必ず諸学は持っているわけです。社会科学でもそうです。社会科学というのはですね、社会というのがないと存在しない学問ですね。そうするとそれは、始まりじゃないわけです。始まりから何歩か先に進んだところから始まっている学問ですね。そうすると社会というのは何のことなんだみたいな話をやっていったとき、もちろん社会というのを社会学は定義はしますよ、定義はするけれども、定義しなきゃならないような社会というのは存在しているのかというふうに問い始めるとですね、そんな話は知らないという話しに必ずなるわけです。

　それは、始まりから、いわゆる物理学が極限の要素と言いますか、極限の物質までたどるという意味で言うとですね、始まりから何歩か進んだ段階での始まりなんですね。これはだから、数学でいう公式とかですね、公理とかですね、あるいはその学がもっている前提ですね。たとえば生物学というのは、有機体が生命を持つという前提がなければですね、始まらない。生命とは何かという問題は、生命というものを前提したうえで問われていきますから、それは生命の定義になっていきます。

　で、こういうもの、こういう「定義」で話をしていくこと、あるいは「定義」という仕方で獲得された「真理」、つまり無数の真理を哲学は全く信じませんね。なぜかっていうと、世の中に生物学とか経済学とか物理学というのが“在る”というのはどういうことなんだろう、あるいは、諸学というのが、ばらばらに、てんでばらばらに存在するってどういうことなんだろうということ、そのこと自体を問うていくわけですから、この始まりをここのレベルから始めるんじゃなくて、それを全部一まとめにして、つまり、ある場面で見ると物理学と経済学は別だと、で、これをどこまで下ろしていけば物理学と経済学は同じだというところが見えてくるだろうという問いをやっていくわけです。

　で、それは、ちょうど先ほども言いましたように、有機体でも、細胞というレベルで有機体は存在しているわけですが、それは、細胞を構成している、まあ物質的なものといっておきましょうか、物質的なものまで、どんどんどんどん降りていくと、ある場面でさっきも言いましたように、有機物と無機物の区別はなくなっていきますね。そういった、ある場面で別々になっているものと思われてるものが、実は同じ基盤を持っているんだ、みたいなところを、どんどんどんどん問題にしていく。でだから、そうしない限りはですね、たとえば経済学というのがなくても人間生きられるじゃないかとか、あるいは、生物学というのがなくったって生物は存在しているじゃないか、みたいなことが絶対でてきますね。絶対でてくる。

　哲学が問う意味でのアルケーというのは、それがなければどんな存在者も存在しないようなアルケーというのが問題なわけです。でそれをまさに、まさに新鮮な言葉なんですが、始まりというふうに、ギリシアのですね、前ソクラテス期の思想家が名付けたわけですね。でこのとき、その、つまり哲学はアルケーを問うんだというふうにアナクシマンドロスが言ったとされているわけですが、そのときの始まりというのは、まさに、先なるもの、それよりも先は絶対ないような先なるもの　―　これはア・プリオリということですね　―　先なるものとしての始まりが、哲学にとって最も重要な問題だということですね。

　えー、まあ、経済学とか物理学をされているかたは怒られているかもわかりませんが（笑）、えー哲学がですね、もし自分のプライオリティを　―　というか優先性ですね　―　持っているとすれば、どんな始まりも、それが実は、本当の始まりから二、三歩進んだところで始まっているということを指摘することが重要なわけですね。つまり、人々が、これこそ人間の前提（先なる第一歩）だろうと思っているようなものも、実はそれは、少し遅れていてですね、二、三歩われわれがつかんでいる始まりのほうが先なんだ　―　まあ、そういう相対的な言い方をしたらおかしいですが（笑）　―　、絶対的に先なるもの、というものをわれわれは問題にしているんだ、という意味での先なるものとしての始まりが、哲学という、何というんですかね、学問というわけじゃないんですが、哲学というものが、もっている使命というふうに言いましょうか、そういったものなんだ、というふうに思います。

　で、もし“定義”をするとするならですね、まあ、通常定義といわれているものを信じる必要はまったくないんですが、アルケーを問う、アルケーを探究するというのが、哲学の最も基本的な意識だ、ということですね。そういうふうに考えればいいと思うわけです。いい意味でも、悪い意味でも。で、この問題を巡ってですね、二千五百年間、およそ二千五百年ほどですね、われわれの先輩は考え続けてきている、ということです。これは、そう単純な問題ではない問題が、たいへん含まれているわけです。つまり、ただ単に物理学のようにでね、ぶつけて小さくなって、小さくなればなるほど、いろんな違いが同じに見えてくる、というようなやりかたをすればですね、そういった世界の始まりと終わりが見えてくるかというと、そうではないわけですね。そうではない。そうじゃないからこそ、たいへん諸々の意見が哲学史のなかで出てきているわけだし、諸々の困難がこの絶対的に先なるものを問う思考のなかでですね、出てくるというふうに考えてもらえばいいと思います。

　これは、そうするとですね、一体何の役に立つのかという問題が出てきます。それは、もうかなり先週みなさんが書いてもらったなかでも出てきているわけですが、ひとつ例を出したいと思います。急に具体的な話をします。具体的というか、歴史的に具体的な話をします。戦後ですね、ちょっとここ、ちょうどここの段階で、これ〔絶対的に先なるものを問うことが一体何の役に立つのかという問題〕は言いっぱなしの状態にしておきます。でこれはあのー、ギリシアの思想家を取上げたときとかにも話をさせていただきますし、このことを中心に私は話していくつもりですから、決して逃げるつもりでも何でもないんで、少し話を置いといてください。

　で、今日後半はですね、戦後の日本の思想というのが、どういう仕方で動いてきたかということを少しお話したいと思います。でちょうどいい材料がありまして、一九四八年二月にですね、雑誌、岩波の『世界』という教養雑誌がありますが、そのなかで「唯物論と主体性」という座談会があったわけですね。で当時ですね、出席者は、錚々たるメンバーが出席しておりまして、まず東大の丸山真男です。この人は今も現役で活動してて、五、六年まえは『戦中と戦後のあいだ』という本が、あれはみすずでしたっけ、出まして、ベストセラーになっていますね。この人は一応、政治思想の専門家なんですが、政治思想専門の論考を書いた事は一度もないわけですね。でも、たいへん影響力の強い思想家になってます。この人は当時、三十四歳でした。

　で、次は、これは、この人は死んだのかな、清水幾太郎という人がいます。娘さんは、確か学習院か何かでスピノザを研究していますが、この人も戦後のリベラル左派といいますか、六十年安保のときに指導的な役割を果たした知識人ですね。このひとは当時は　―　今あげる人は、だいたいですね、ひとつくらいは論文を読んでおいて決して後悔しない人たちです　―　、この人は当時、四十一歳ですね。もう活動がいちばん（・・・）。あと、松村一人という、当時、四十三歳ですね。えー、この人は、もう生粋の、ばりばりのマルクス主義者で、毛沢東、特に中国共産党系の左派の論客ですね。この人も、左派の人にはたいへんなじみ深い人のひとりです。ヘーゲル論理学の注釈なんかを書いています。

　あとは真下信一。真下信一は当時四十二歳。えーこれは、日本共産党系の哲学者で、当時からわりと、実存哲学に関心を持っている共産党の思想家のなかでもわりと良心的に実存哲学を解釈する思想家のひとりですね。この方もまさに有名なかたです。出身は私と同じ京都なんですが。えー次は、林健太郎。林健太郎はご存じのように参議院議員か何かになっちゃってますが、当時三十五歳ですね。この人は東大の総長もされて、当時、東大の西洋史学の代表的な先生のひとりですね。林健太郎さん、今は自民党で参議院議員されていますね。

　あと宮城音弥さん、宮城音弥というのは、この人もわりと哲学には造詣深いんですが、当時は社会学と、フロイト、フロイトの研究家、心理学の研究家として有名なかたで、その社会的な革命運動みたいなものをですね、フロイトの分析装置を使って議論していこうという立場をとられています。このかたも日本のですね、精神医学あるいは心理学の草分け的な存在です。あと最後は、古在由重といいまして、これはもう代表的な日本共産党の哲学者ですね。日本共産党の、いわゆるまあ公認マルクス主義を代表的する思想家ですね。日本共産党には、共産党の思想を代表する哲学者というのは何人もいますが、　―　古在由重さんはもう死なれたのか、ちょっとその辺りは分りませんが　―　、最近私マルクス主義と疎遠な関係になってまして（笑）、その辺りの人たちの動向は、ちょっと丸山真男くらいしか分りませんが、その総元締みたいな存在ですね、古在由重さんは。したがって、古在さんが言うことはですね、だいたい日本共産党の哲学思想がですね、どの辺りのレベルにあるかということのある種の基準になるわけですが。

　えー、こうやって名前をあげたのはなぜかといいますと、この人たちというのはですね、丸山真男とか林健太郎はこの当時三十四、五ですが、戦後三年たった段階で、だいたい七十年代前半ぐらいまでの思想をですね、決定的に影響づけた、まあ七十年までですね、七十年までの戦後思想を代表する日本の思想家なんです。誰一人ですね、ローカルな思想家になった人はいないわけで、えー、みんなそれぞれ、清水幾太郎なんていうのは、かなりいろんな連中に影響を与えてきた、左派の論客で、途中でこの人は転向してしまって、保守イデオローグになりますが、まあそういう意味では東大の西部邁っていう、歴史学者っていうか社会学者がいまして、最近は「朝まで生テレビ」とかに出ていますが、最近東大辞めましたね。東京外大の中沢新一という、私はどう考えても大したことはないと思うんですが、中沢新一という若い研究者を東大の教員スタッフにしようとして問題を起こした人なんですが。元は学生運動やっていてですね、左派の代表的な論客だったんですけれども、途中で保守イデオローグに転向していきますね。で、そういったことを、日本でいちはやく、根底的なところでやっちゃったのが、この人〔清水幾太郎〕ですね。清水幾太郎さんは、そういう意味では、西部さんなんかの先どり的な動き、つまり市民社会の思想的な習熟ということですが、そういうことを、すでにこの人はやっていたわけです。

　で、この連中というのは、ちょうど僕の世代と、僕がものを考え始めるちょうど中間、僕はだいたい、昔はこういう人たちにわりとなじんでいた世代なわけですが、ちょうどこう変わっていくところですね。だから、ここの世代で、二十歳代の人が一番やっぱり多いわけですが、その人たちはたぶん、みんな知らないと思うんですね、この思想家たちを。で、知らないと思うんですが、しかしあのー、決定的な影響を与えたという点ではですね、この人たちを無視して語れない。

　この「唯物論と主体性」という座談会、これ座談会なわけですが、座談会で一体何が話し合われたかといいますと、それはこの、アルケーを問うということは何の役にたつかという話と、私は結びつけたいわけですが、ここで問われているのはですね、要するに革命的な主体の形成の問題なんです。つまり、世の中というのが存在している　―　変な言い方ですが。でその存在している世の中を変えたい。そうするとその今ある世の中とか社会を変える、あるいは自分自身でもいいんですが、自分自身を変えてしまう、ということは、どうやって可能なのだろうという問いがですね、まあこの革命って何も、社会主義革命というふうに考えないでもらいたいわけです、まあ考えてもらっても結構なんですが、今、世の中を変える、あるいはこの嫌で嫌でしょうがない自分を変える、そういった変えるということは、一体何を根拠にして行いうるものかという問題があるわけです。

　で丸山真男というのはこの座談会で、まあ読んでもらえば分りますが、この座談会ではですね、絶えず中心になって、このマルクス主義者の松村一人とか、あるいは真下信一、古在由重らに食ってかかっていくわけですね。つまり、階級的意識というのが、社会がどんどんどんどん労働者階級が貧困化していって、革命が成就する、革命が間近になっていく。そうするとその革命を起こそうとする階級意識というのは、これは丸山が言うんですが、これはもともと在る意識なのか、それとも在るべき意識なのかというふうに、彼は問いを発するわけです。つまり、階級意識というのは、人々がどんどんどんどん貧乏になっていく、そして貧乏になっていくと、貧乏に耐えられなくなって、自然発生するのか、つまり貧乏で在るということが、自然発生的に革命を起こす主体を形成するのか、それとも貧乏というのは、ただ単に貧乏でしかないんであって、貧乏で在るということから、直接自然発生のようにして革命的な主体が生れるというのは、別の問題なのか。

　そこにはやはり、まあ当時の言葉で言うと、前衛党というのが存在して、無知蒙昧な大衆を指導すべき階級、いや、組織というのが存在しているんですね。この組織が、その貧乏な人たちを指導して、革命的な主体を形成しなければ、革命的な主体はですね、自然発生のようにして存在しないんだ。つまり階級意識というのは、在る意識ではなくて、在るべき意識なんだ。この問題は対立するわけですね。対立するわけです。

　で、このことを巡ってですね、この非常に、日本を当時代表した思想家たちがですね、非常に混乱する意見を、それぞれ勝手に吐いていきます。つまりこの問題はたいへん難しいんです。どういうことかと言うと、少しその議論を...。まず宮城音弥というのは、これは心理学としての、科学者としての立場からですね、発言していきます。少し読ませてもらいますと、「イデオロギーそのものを我々は客観的に科学的に処理することができる。革命を成就していくようなイデオロギー自身　―　これを主体性という言葉で呼んでおけば、その主体性そのものを我々はやはり客観的に分析し、科学的に処理していかなければならない。つまり主体的なものはある。しかし、どうしても客観的に処理できない主体性というものはない」、というふうに、宮城音弥は科学者としての立場から発言します。

　つまり、宮城音弥はですね、階級意識というのは「在る」意識なんだ。つまりこれは分析できる。つまり、たとえばロシア革命ならロシア革命というのを例にとって、その当時の、貧民層と下層労働者が立ち上がっていく経過というものを、科学的に分析できるんだ。そしたら同じような状況が与えられれば、必ず労働者階級はですね、同じような行動に出る。つまりそういう意味で、階級意識というのはもともと「在る」意識であって、それは「在る」から科学的に分析するということは十分に可能なんだというのが宮城音弥の立場です。これは科学者の立場ですね。

　同じようなことは宮城音弥は他でもいくらでも言っています。「科学が世界観を生むかどうかは分らない」。つまり、宮城音弥は、科学というのは世界観を生みようがないというふうに考えています。「実践の方法として科学があると言えるのですから、世界観もどうしても科学に規定されてこなければならない」。さらに、「科学の方法と言うのは道具のようなものです。道具は使い誤るということもありましょう。だが使い方の如何にかかわらず、道具はやはり道具です」というふうに言っています。つまり宮城音弥はですね、科学っていうものをいくら科学的にある事柄を分析してもですね、同時にそれが主体の形成っていうふうに繋がるかどうかは、科学っていうのは判断できないというふうに考えるわけですね。そう考える。むろん、宮城は、主体という概念を放棄しているのではなくて、逆に言うと、宮城は、科学的対象にならないような主体は考えるべきではないと考えているわけです。

　これはもっと簡単に言うと、革命の問題でもなんでもなくて、たとえば煙草を吸う人がいる。煙草を吸うってことが科学的に大変悪いことだ。で科学者が分析していって、煙草を吸うということは体にどんなに悪いことかということを、とんどんどんどん科学的なデータを累積していって、煙草が悪い、こんなふうに悪いんだということを、もうスライドを見せていろんなことをやって、ゲロが出るほどいろんな嫌がらせをやって、科学的データをその煙草を吸っている奴の眼の前で見せつける。そしたら、それはイコール煙草を吸わない主体を形成することになるのかという問題です。いいですか。世の中にはですね、たとえば煙草を吸うということが大変悪いということを知っていても煙草を吸い続ける人はいるわけですね。いるわけです。

　でそれを、そういうことを解釈するときに、二つのやりかたがあります。ひとつは、こういうことです。それは科学主義の立場の人ですが、その人は本当に煙草が体に悪いということを、まあ、本当のところは知らないんだ。つまり、不徹底にしか知らないから、煙草を止めようとしないんだ、という言い方です。結局のところともかく知らないんだということですね。ところがこちらのほうに立つ人は、極限までそういった煙草を吸ってはいけないという知識を自分のなかに詰め込んでもらっても、そのことと、煙草を止めるということとは、全く別の問題だ。つまりどうしても、まあ言ってみれば、科学的に処理できない自分というものが存在する。まあ、変な言い方をすると、非合理なものが残る。非合理な自分。つまり自分っていうのは、自分が自分を考えるということは、科学的な成分だけ自分というのがここに、自分というのがあるんじゃなくて、それはどんなに科学的なデータを重ねていっても、そこに解消できない自分というものが残るんだ、という問題がもう一方の問題ですね。もう一方の問題です。

　でこれは『唯物論と主体性』とはたいへん物騒な題がついていますが、ここで、えーどこですかね、何ページくらいの論文だったか忘れましたが、まあとにかく議論されていることはですね、この科学っていう問題と、主体っていう問題が、どう絡み合っているのか。つまり一方で科学的な分析っていうのが必要だ。そのなかで科学的社会主義、つまりマルクス・エンゲルスが創始した科学的社会主義っていうのが存在していて、それはあくまでも科学、科学的なものをなかに内包した革命理論なわけですね。ところがそれじゃ、科学、それは科学に過ぎないのかというと、一方で階級的な主体が形成されていくと、そしてある資本主義の内的な必然性によって、必ず階級的な主体というのが形成されていって、社会主義革命が起こる、という問題が一方である。そうするとそれは単に科学の分析の問題ではなくて、主体の形成という問題にマルクス主義は関わっているわけですね。

　そうすると、マルクス主義が答えなくてはいけないのは、そういうふうに、まあたとえば煙草の例で出しますと、煙草を吸うのは体に悪いというひとつの科学的なデータと、そのデータを眼の前に見せつけられて、その見せつけられた人間が、その吸おうとしている煙草をやめるかやめないかという、非常に微妙な問題　―　それは「主体の問題」ということなんですが　―　、その問題なわけです。それは革命理論を例に出すと、いま資本家階級はこんな悪いことをやっている。で、こんなふうにして労働者を搾取している。この労働者を搾取しているこんな悪い資本家を前にして、君は立ち上がらないのか、というふうにしてわれわれは学生のとき何度も言われたわけですが、それは立ち上がれない。で、立ち上がりたいけれど立ち上がれない自分がいるみたいなところで、主体の問題というのは出てきたわけです。

　だからこれはもっと下世話に言うと、理屈というものと実践というものになってきます。あいつは理屈ばっかり言って何にもやれない男だ。あるいは哲学っていうのは理屈の学だというふうに書かれたかたがいましたが（笑）、理屈と行動と言いましょうか、あいつは言葉はいっぱいいろんなことを言うけれども、何にもやらない奴だ。何にもやんない奴だ。で、これは、実はここの問題なわけです。つまり、或る、或る理屈がある、でそれはそのとおりだ。そのとおりだけれども、何にもできない、っていうふうなところに、われわれはいくらでもぶち当たるわけですね。ぶち当たる。で、そういった問題をですね、当時の優秀な理論家たちが集まってすったもんだやっているわけですね。だから、宮城音弥っていうのは、科学っていうのをいくらひねくりまわしても、主体っていうのはまた別の問題なんだ。つまり科学は単に道具に過ぎないんであって、その道具をどう利用するかなんてことは、科学をひねくりまわしても出てこないんだ、という立場を宮城音弥はとるわけです。

　そうすると真下信一　―　これはマルクス主義者ですね　―　、真下信一はですね、次のように言います。「宮城さんは、唯物史観はマルクスの方法論だと言う。マルクス主義は科学だと言われる。つまり、世界観ではない。宮城さんと僕との違いはそこなんだ。弁証法的唯物論は、すぐれた方法論でもある。しかし、本来、一つの世界観だと僕は思う。そうでないと実践という問題が出てこない。せいぜい、行為、技術、産業、それで事がすむ。そういうこと一切は、何のために、どういう目的でできたか。それの意味は何か。この問題に答えるのがマルキシズムだと思います」というふうに言っています。つまり、この科学っていうのは確かに、原子爆弾というものを作る。で、原子爆弾を作るということ自体は、善でも悪でもない。つまりそれをどういう目的で使うかということが重要だ。そうすると、われわれがやるべきことは　―　われわれって真下なんですよ　―　われわれがやるべきことは、ただ単に原子爆弾をどういうふうに作るかということをやるんじゃなくて、それは作った原子爆弾をどう利用するか、何のためにそれを存在させるかということまで絡めて考えなければ、思想の問題は出てこない。で、それを真下信一は世界観という言い方をしたんですね、いまね。

　つまり、世界観というのは難しい言葉ですが、これはまあ生き様と思ってもらっていいんです。つまり、どう生きるかという生き様を含めて、科学の問題を考えないと、宮城さんのように　―　宮城さんのようにというのは真下信一のセリフですよ（笑）　―　宮城さんのように科学なんていくらやったって、その、原子爆弾そのものを善でも悪でもないものとして創出することができる。で、それは主体の問題としては絶対に生じない、というふうに言うわけですね。で、真下は、真下信一はそうではなくて、やはりわれわれが考えるべきことなのは、そういった科学的にできあがったものを、何の目的で存在させるか、どういうふうに利用すべきかということまで含めて考えなければ、思想の問題に答えられない、というふうに真下は考えるわけですね。真下は考える。

　で、これはなかなか解決しない問題、たいへんむつかしい問題で、もうちょっと話をしますとですね、古在由重はそのとき何と言うかといいますと、「科学的社会主義の特質は、人間の全面的解放の決定的条件が物質的条件だという点にある。解放の決定的条件も物質的なものだと認めるところに科学的社会主義の特徴がある」というふうに言います。で、これは公認マルクス主義の基本的な見解ですね。で、これは何を古在由重は言っているのかというと、やはり、マルクス主義が科学的だと言われるゆえんはね、この主体というものの形成こそを科学的に考える、というふうに考えます。主体の形成という場面こそを、科学として考える。つまり、これは宮城音弥の科学主義とはちょっと違っているわけですね。

　つまり宮城音弥は、主体と科学なんてもともと別のものだ。つまり科学というのをいくらいじったって、煙草を吸うのが体に悪いということがいくら真理であったって、そのことを教えるということと、教えてもらった人が煙草を吸うのをやめるということは全然別の問題だというふうに宮城は言います。ところが公認マルクス主義の立場ではですね、そうではなくて、煙草をやめさせるところまでを、科学の問題として考えるわけです。つまり、どうして煙草をやめさせるかということは、科学的に、あるいはいまの古在の言い方でいうと物質的なもの　―　物質的なものということは科学ということです、科学の対象、自然の対象ということです　―　自然の感覚の対象物のようにしてですね、その、主体の形成というところまで科学で考えなきゃいけないんだ、というふうに考えるのが、古在の、あるいは当時の、いまでもそうですが、マルクス主義の主体性論ですね。主体性論なわけです。

　で、逆に科学と切離して主体というものを考えるということは、ある意味で神秘的なものとして主体を考えていくことになりますから、つまり科学的な分析の対象にのぼらないものを主体として考えていくわけですから、それはまずいと。つまり、ここ、ここともし完全に切れてしまったら、つまりマルクス主義は何を心配しているかというと、社会を分析するということと、その社会を分析して、この社会を変えなきゃいけないんだという気持ちになって、前衛党に集結していく人々の動きというものを、同時に科学の分析の対象にならなければ、社会が悪いといったからといって、その社会が、変革されるということには何もつながらない。必要条件にはなるにしたって、必要十分条件として主体というのがそこから必ず出てくるというわけではない、というのがマルクス主義の立場なわけですね。

　これに対して、丸山真男さんは批判するわけです。たとえばですね、彼はこういうふうに言ってます。現にある人間というのが革命的な態度を持つという場合ですね、必ずある階級が貧乏になれば、その貧乏な階級はですね、金持ちの階級の連中に戦いを挑むはずだというのは、松村一人もそういうふうに言っているわけですけど、丸山真男はオプティミズムだと言っています。「そういうオプティミズムに立てれば話は別です。不満そのものから自然発生的に、松村さんのいうように動いていくかどうか。ナチスも大衆の不満を足場にして権力をとったのです。不満をいだいている大衆があるからとっいって、そう楽天的に考えられないのです」というふうに、当時丸山は言っています。

　で、これはたいへん重要な問題なんですね。で、これは民主主義の問題にもなってきます。ちょっと時間がないので、来週の話のつながりとして言っておきますが、民主主義ってわれわれはあたりまえのようにして享受していますが、これはたいへん問題の多いシステムですね。で、丸山はそのときすでにそう指摘しているわけですが、これはほとんど気づかれないと思うんですね。どういうことかといいますと、「アメリカ的な考えでは、現に人民が経験的に表明している意思が人民の意思だと解する。国会議員の選挙なら、選挙に表れた現実の結果が人民の意思だとされます。ところがこれは正確に人民の意思を表していないと批評する立場があります。これは、あらゆる逆条件が排除せられた場合に人民が到達するであろうようなそういう意思を想定しているものです」。

　これはどういうことかというと、たとえばいま、日本の野党は、リクルート問題とかで騒いでいますが、仮にこの情報化社会でですね、各家にイエス・ノーの反対を表明するスイッチがあるとします。でそれが国会のデジタル表示か何かの表示板か何かに出てきてですね、まあルソーが考えているような直接民主主義というのは、いまのメディア、メディア化された社会であれば、完全に実現されうるわけですね。何も、後楽園のようなところに集まってですね、みんなが手をあげて誰か数えるということをしなくても、電話回線か何か使ってですね、あるいはもっといろんな衛星放送がいま打ちあがっているわけですから、いろんなしかたで、一億の人間の直接意思を問うことはできるわけ。そうするとこの直接意思を問うていった場合にですね、たとえば安保条約にあなたは賛成しますか、あるいは竹下内閣をあなたは支持しますか、あるいはその、自民党内閣をあなたは支持しますか、みたいな非常に微妙な問題をですね、どんどんどんどんそのつど国民全員に聞いてですね、二十歳以上なら二十歳以上の人全員に聞いて、その全部どんなしかたであれ、国会のどこかに表示されていくことになるとします。つまり、代議員制度をなくしてしまう。いわゆる直接民主主義ですね。

　でやった場合に、それじゃ野党が、国民がいま反対しているとか、もう国民はすでに分っているんだみたいな言いかたでいつもアジをやるわけですが、現在の状態でですね、たとえば安保条約を賛成するか反対するかってやった場合にですね、それは新聞の世論調査でも分っているように、五十パーセント以下の人が賛成してない　―　賛成してないじゃない　―　反対だと、五十パーセント以上の人が反対かというと、そうじゃないですね。そうすると、その野党がいまの民主主義はよくないとかいっていた問題はですね、いろんな場面で崩れてくる可能性がある。つまり、単純にですね、国民の民意を問うということが、野党が考えているような民主主義を実現するということと、実は同じ問題じゃないんじゃないかという問題が、その民主主義の問題として絶対に含まれてくるわけですね。

　で、これは、それじゃ民主主義という場合の国民て何なんだという問題になってきます。あるいは国民の民意っていうのは何なんだという問題になってきます。その時にですね、民意というのは、もともと直接民主主義というしかたで、「在る」民意なのか、それとも、ひとつの理想として、「在るべき」民意、つまり、いま現在は国民はそうは思ってないんだけれども、本当だったらそう思う「べき」だ、というそういう民意、そういった民意を、たとえば野党の議員たちは言っているのか。それとも、直接にあるというものとしての民意をいっているのか。これはたいへんな問題なんです。これを、野党の人たちは、ある場合にはこちらに依存している。つまり、たとえばリクルートのように、もう九十パーセント以上が反対している。つまり、経験的な意味で、まさに経験的、直接的な意味で、九十パーセント以上の人が反対しているときには、これは直接的に決めてみよう、というふうにやるわけです。で、そうではないけども、理念として、たとえば安保条約は解消すべきだとか、そういったように考えている場合は、国民に教育運動をしてですね、やっぱりみんな無知盲昧だ、みんな勉強してないんだ。だから、「在るべき」民意というのを想定して、そこにむかって世論を誘導していく、というふうなものとしての野党勢力というのはあるわけですね。

　そうすると、ある問題については「ある」民意を問題にして、あるときには「在るべき」民意を問題にしているという仕方で民主主義という問題はですね、非常にややこしい、あいまいな問題です。つまり民主主義というのは、実はここで民が主だという問題はですね、やはりここでも、「在る」国民、「在る」民というのと、「在るべき」民という二つの状態が必ず分裂してしまうわけです。分裂してしまう。で、これはルソー以来の問題なんですが－ルソーが「一般意志」と「普遍意志」とを分けざるを得なかった問題なんですが、直接民主主義という問題を考えたときにはですね、この問題が必ず浮上してくるわけですね。これは、来週、再来週にお話ししますギリシアの直接民主制というのが滅びていく中心的な問題なわけですね。

　このあるということと、その場合あるというのは単に「在る」という問題ではなくて、「在るべき」問題なんだ、という問題との関わりあいです。でそれはいま主体性論争で問題にしているその、科学、科学的なもの、つまりあるものをこれは「在る」ことですね、在るものを分析する科学の方法論ということと、在るべき、在るべきである、在るべきであるものを問題にする主体、一人の人間が、ただ単に知識を与えたからといってそのとおりにできない、どうしてもそこで躊躇してしまう自分がそこに存在している、というそういう問題、まあこれは現在の哲学では実存、実存の問題として浮かびあがってくるわけですが、そういう問題として、その対比として問題になっているということです。

　んー、中途半端になってしまいましたが（笑）、えー来週、あ、ええとちょっとお聞きしたいんですが、来週ですね、休講にされる先生というのはおられますか。あのー、ゴールデンウィークでですね、来週の授業は中途半端な日になるんですが、この僕の授業時間の前の授業、休講だといまの段階でわかっておられるかた、お手をお挙げください。あ、少ないですね、それじゃ来週はやります。（「えー」という落胆の声）。ちゃんと休まないで来てください（笑）。（了）


●哲学講義 （２）　１９８９．５．１

　さて、先週の続きからです。

（…）究極を追うということが「無限の全体性」なんだ。つまり、あのときは物理学を援用させていただきまして、物理学がやっていることというのは、物質というものの究極の問題についてだ　―　これは哲学でもギリシアではですね、原子論というのが出てきます。

万物のアルケーにはアトムというものがある。つまり原子から世界は成立っているんだという考えかたです。もちろん、それとある場面では共通する場面なわけですが、しかし本質的には全然別なんですけども、哲学のなかでの原子論というのはまたお話ししていきます。

　で、先週話してた物質の究極ということをつきつめていくんだと、これは実は、物をどんどんどんどん極限にまで微分化していくと、たとえば地球と月というような違いというものはなくなっていく。もともと地球と月というものが、地球と月というふうに分節されているのはなぜかというと、やっぱりこれが分節されるレベルでその物を見ているからですね。見ているからです。まあ、先週の話でいいますと、たとえば地上から高さ一・五メートルあるいは二メートルという範囲で物を見ていると、人間というのは違ったように見える。でもそれをもっともっと別な遠近法で見ていくと、私とあなたというのは全然違うにもかかわらず全く同じだというレベルが必ず出てくる。で、それはパースペクティブの問題であって、どのレベルで見ていくかということによって、物が、違って見えている物が、同じに見えてくる場面がある。

　そうすると、どんな物も同じに見えるようなところまで微分化していこう、というのが素粒子をやっている連中の考えていることですね。そうするとそのぉ、究極のところまで行けば、おそらく、たとえば一・五とか二メートルというレベルの問題ではなくて、地球と月というレベルもですね、全く同じものに見えてくる。あるいは太陽系と、他の系との違いというものも、全く同じものに見えてくる。そうするとそれは、逆にいうと、宇宙の広さそのものが問題になるようなところまで来るんだというお話をしたんです。

　そのときに私は、まぁ、自分でも注意しながら喋ったわけですが、つまり物質の究極というのを問いたずねるということは、思わず無限の全体性だというふうに言ってしまったんですが、無限の全体性って一体何だっていって言われた方がありまして、そのとおりですね。それは非常にいい質問であってですね、こんないい加減な言葉はありません（笑い）。

　で、私が無限の全体性と言ったのは、つまり物理学がやっていることというのは結構まともなことをやっているというふうに思っているのはですね、どういうことかというと、通常われわれはですね、微分した世界が、微分されたひとつの原子っていいますか、哲学でいうと原子ですね、原子というものがある。そして、それをこうやって超えてどんどん大きくしていくと、核みたいなものがあって、そのまわりに宇宙というものがある。もちろんこの、こういうふうに線を引けるものかどうかは分りませんよ。つまり、宇宙がたとえば有限か無限かみたいな議論はしょっちゅうなされているわけです。だからそういった意味では、もう線を引けるようなものではないかも分らない。あるいは、もっといろんな（…）言い方があって、絶えず膨脹し続けている。

　膨脹し続けているということを言うためには、でも、膨脹という概念がおかしいんであって、膨脹ということが起こる場所がまた必要になってきますね。つまり哲学で言えばですね、膨脹なんて言葉はぜんぜん満足しない言葉なわけです。つまりものが膨脹するためには、たとえば風船が膨脹するというふうに考えた場合ですね、風船が膨脹する空間がまた必要になってきますね。たとえばここで風船をふくらましていく。で、そういうふうに宇宙がもし、どんどんどんどん膨脹し続けているとした場合、その風船が膨脹していく空間というものをですね、それとして与えている空間というのがさらに必要になりますね。たとえば、ここで風船をふくらます場合はここの教室という空間であったりですね、あるいはもっと、もっと大きく広げる場合は市ヶ谷という場所であったりですね、つまり、その膨脹という概念にもさらにそれを支えているメタの空間というのが必要になってくるわけです。

　で、まあだから、これさしあたり、便宜的にこう書いたとした場合ですね、あのぉ、素粒子論をやっている連中はこういった仕方で宇宙の全体ということを考えているわけじゃないわけですね。つまり全体という　―　ここが大事なところですが　―　全体というのは、実は内部にあるんだ、ということです。

　いいですか。まだ「全体」という言葉にこだわりますが、要するに、全体というのは、この原子の、まあなんて言うんですか、こう外側に広がるっていうんじゃなくて、全体は内部なんだ、ということです、つまり、仮に僕なら僕をどんどんどんどん微分化していきます。そうするとそれは、おそらく宇宙の起源であるような、究極の微分化された、まあ原子といっておきましょうか、原子というものに出会う。しかしそれは、出会うとか出会わないという問題ではなくて、私がここにこういった形状でもって存在しているということ自体がですね、その内部、究極の微分化された原子によって成り立っているということそのものなんですね。

　つまり私はいちいちそのぉ、宇宙船に乗ってですね、宇宙の極限まで行かないとそれが見えないというんじゃなくて、おそらく宇宙の極限を、そこまで微分化していけば、私自身の体内、あるいは、まあ体内という言い方はおかしいですが、まあ体内に宿っている原子と、同じものでできているからこそ微分化してるわけですから、つまり、宇宙というのは別に、このチョークのなかにでも宿っているわけですね。つまり、このチョークというものそのものがですね、チョークそのものを構成している原子そのものが、宇宙なみの大きさを持っているということなわけですね。

　つまりそのぉ、先週も少しは話したんですが、どんどんどんどん微分化していくということは同時に、それは極限が広がっていくということだ。この広がっていくということは、ただそのぉ、宇宙船でもってどんどんどんどん果てのほうまで走っていくということじゃなくて、それはすでにここにある。つまり全体というのは、ここにあるということが重要なんです。　―　ここにあるという言い方は…。このチョークのここにですね、これ自身を構成しているものが、その、素粒子、あるいはもっと小さいいろんな単位のもの　―　いちおう哲学的にいって原子としておきましょう　―　、原子というものによってこれが成り立っているということは、で、その原子というのが原子である限りは、宇宙の果てのある物質そのものも構成しているものでもあるとすれば、実はこのチョークの、これは物理空間的に大変小さなものですが、これ自身が、これ自身に宇宙を内包しているんだということが、重要なことなんです。

　で、だからそれは、いちいち行ってみなきゃ分らないんじゃないかという話じゃなくて、原子そのものが、実はその、広大な宇宙　―　まあ、広大なという言い方もおかしいですが　―　、ひとつの広がりを内包したものとして存在している、ということが重要だ。つまりわれわれは、宇宙の果てというのを、たとえば UFO を見たとか見てないとか訳のわからない話しをしてますが、そういう問題じゃなくて、そういう意味で言うんだったらわれわれ自身がひとりの UFO であってですね、それは、われわれ自身のなかに原子が存在しているからこそそれは原子なのですから、そうすると、そこに原子が存在しているということは、われわれの身体そのものがですね、無限の全体性というものそのものであるわけで、なにも宇宙船に乗っていってですね、宇宙のここら辺まで飛んでいこうとか、飛んでいかないと分らないということじゃなくて、その、あらゆる事物そのものが宇宙だ、それ自身宇宙なんだ、という議論につながらなきゃおかしいわけです。

　事実、哲学で原子論をとなえたデモクリトスという哲学者がいますが　―　まあまた触れますが　―　、デモクリトスは、宇宙というのは、複数存在している、という言い方をしてます。宇宙が複数存在しているとはどういうことかというと、こんなわっかがいっぱいあるというような言い方ではなくて、その、さっきもいったように、原子というものが物質の究極の根源だというふうにした場合ですね、私自身もそれをある意味で共有しているわけだし、チョーク片自体も、共有しているわけですね。その水準は様々であるにしても。そうすると、あのー、実は私自身が、無限の要素を持ったですね、宇宙そのものであって、それは、宇宙船で何万光年飛んでいったからやっと宇宙の縁が見えたというような話じゃないということです。だからその意味で、さしあたり、と私は言ったんですが、無限の全体性ということと、原子的な世界、つまり究極の、極小の世界というのは、イコールなんだ、という話しをさせていただいたんです。

　ただあのー、まだこれはですね、さしあたりアルケーということはこういうことなんだという話をしただけであって、そういった問題が、どういうふうに哲学者たちが具体的に言っていったのかというのは、あるいは問いたずねていったのかということはまた別の問題ですので、さしあたり先週ですね、無限の全体性って何だっていうふうに言われたんですが、だから、無限の全体性っていうのはなにも限り、まあ無限って限り無いと書きますから、そういう誤解が出てもしょうがないんですが、どんどんどんどん限りなく突き進んで広いという意味じゃなくて、私自身が、現にここにあるもの自身が無限だ、という意味で理解してもらえばですね、それほどまあ無限の全体性という言い方もおかしくはないというふうにいえると思います。

　で、これはもちろん、前期の授業のなかでアルケーって一体何なんだ、つまり始まりっていうのは何なんだという話はさせていただきますので、えー、いちおう始まりの話しはですね、そこで止どめておきたいと思うのですが、先週話が尻切れとんぼになりまして、私はまだ座談会の、『唯物論と主体性』という座談会の内容にこだわっているんですが、これはあのー、先週授業が終わった後、これどこに載っているんだという質問がありまして、書くの忘れたんですが、図書館に行けば『世界』っていう岩波の雑誌のバックナンバー揃っていると思います。一九〔四八年〕…、先週も書きましたが、ぜひ眼を通してみてください。変な本よりはよっぽど面白いです。

　えー、で、僕自身は、この論文というか座談会を読んだのは、筑摩のですね、『近代日本思想体系』の三十四巻、筑摩ですね。筑摩書房のですね『近代日本思想体系』って四六版の本で、日高六郎という元東大の社会学の教授が編集した、『近代日本思想体系』三十四巻に出ています。

　で、先週ちょっと尻切れとんぼになりましたが、この『唯物論と主体性』ということで問題になっているのは、もちろんマルクス主義の問題でもあるわけですが、そればかりではないんですね。で、ちょっとマルクス主義の話を非常に簡単にしますが、えー、有名な説明の仕方で、マルクス主義というのは、社会とか世界をですね、上部構造と下部構造に分けます。これは特に、マルクス主義というかエンゲルスが特に好きだった定式化ですが、で、下部構造はもちろん、その名のとおり下部構造であるわけで、基盤になるものです。で、これが社会なわけです。そうすると、それじゃあこの下部構造って何かというと、経済的な構造です。社会の経済的な基盤ということです。上部構造は何かというと、それは文化とか、あるいは、要するに人間が持っている観念が作る領域の全てなわけです。ものを思ったり、思想であったりですね、あるいは思想であったり、もちろん哲学も入るわけです。

　で、こういった思想とか文化とか観念というのはですね、経済的な下部構造の、たとえばマニファクチュア時代とか、あるいは産業社会とか、あるいは後期資本主義社会とか、そういったものによって、経済的な体制を反映する　―　ここの線を引いているのは何かというと、反映という概念になるわけです。有名な、まあ悪名高いといえば悪名高いわけですが　―　、反映という概念で、経済的な体制が、諸々の人の考えとか、人格とか、文化みたいなものをですね、経済構造の反映として成立する。したがって、ここ〔下部構造〕がひっくり返ってしまえば、ここ〔上部構造〕は同じように滅びていく、という考え方になっていきます。

　戦後文学論争のなかでもですね、まあこのなかで文学科の人もおられるみたいですが、これで問題が起こったことがあります。えー、特にこの学校の、今おられませんかね、あ、死なれたのかな、ちょっと忘れましたが、えー生きておられたら失礼ですが、小田切秀雄という教授がいまして、彼なんかも積極的に参加した論争でですね、そのー、クラッシック、古典文学というのが成立するのはなぜか〔という論争です〕。

　そうすると、マルクス主義の議論だと、古典というのが、なぜいまだなお存在しているのかという理由が説明ができない。つまり、もし経済的な下部構造が変化するにしたがって、これ〔上部構造〕も下部構造に乗っかっているものですから、これが変わっていけば、文化とか思想とか観念というものそのものも変わっていくのであればですね、たとえば源氏物語というのが、いまだなお読まれている。ところが源氏物語が生れた社会とですね、現在のまあ後期資本主義社会、あるいはまあ高度資本主義社会というものを想定した場合ですね、全く経済体制が違う。全く経済体制が違うのにですね、そういったものを、まあある意味で超越して、様々な古典が、なお人々に愛好され、読まれ、研究され続けている。たとえばその週刊誌なんかはたいへんな人に読まれますが、あのー、源氏物語に比べれば、おそらくそのー、たいへんな人に読まれている漫画にしても、何にしてもですね、やっぱり劣っちゃう面があると思うんですね。あるいは聖書にしたってそうですね。そういうふうに考えてくるとですね、下部構造というものの前提に、はじめて文化や観念や思想が生れるんだという考えかたは、古典がなぜ生き残っているのかという問いをたずねたときにですね、たいへん説明しにくい問題になってくるんです。たいへん説明しにくい問題になる。

　それでもう、様々な論争があって、ここの大学の小田切さんは何といわれたかというと、ちょっといま、そのことを今日お話しするつもりはないんですが、たしか「人類学的等価」ということを言われたと思うんですね。小田切さんっていうのは、ある意味でいうと、左派の論客ですから、共産党の活動にも関わっていた人ですから、人類学的等価というのはですね、わけのわからない概念を出されてきたわけです。わけのわからないと言ってはまずいですが。えー、まずいですね、本当にまずいですが（笑）、ここだけの話にしてください。人類学的等価っていうんです。

　つまり、そういう下部構造とか上部構造ということにかかわりなくね、あるいはそのー、労働者階級とかブルジョアジーとか、ブルジョア階級とかっていうことにかかわりなく、あるいは、ユダヤ人だとか、何ていうんです、えー、何ていいますかね、まあ様々な民族がいますね、そういった民族にかかわりなく、人間が人間であれば、必ず共有するものであるようなある種の感受性といますか、ある種の本質みたいなものがあるんだ、と。で、この人類学的等価としてのある人類学的な感受性みたいなものに触れたものが、古典として残るんだ。だからそれは、世界が変わろうと、国が変わろうと、民族が変わろうとどこまでも貫きとおすことができるような　―　だからまさに「等価」ということですが　―　人類学的等価性みたいなものがあるんだ。だから古典はいまでも読まれている。これは解答にも何にもなってないわけですが、なってないという理由は後から分らせますが、そういう言い方で、古典が生き残こるみたいな話しをされたわけですね。

　これは何も小田切さんだけの問題じゃなくて、当時ですね、文学は上部構造かっていうような論文もあったわけですが、そういった議論に参加した人みんながですね、何ひとつまともな解答を出せずにですね、今に繋がっているわけですね。で、こういった混乱は、いろんなところで起こってきてたわけです。それで今日、というか先週から取り上げている、この『唯物論と主体性』という問題も、その問題のひとつなわけです。

　で、それはやはり、当時ですね、知識人というのは、日本では不思議なことに知識人というのはみんな左派を前提にしているわけですね。左派を前提にしている。で右翼って言っちゃうとすぐ何ていうんですか、暴力団だとかですね、スピーカーの音が大きいとかですね、そういうふうにわれわれは何か、変にイメージするところがありまして、知識人イコール左派知識人、つまり革新的、あるいは反体制的知識人というのが蔓延してて、いまでも基本的には変わらないと思うんですが、こういうマルクス主義というものの洗礼は、みんな、右翼のイデオローグであっても受けてきてたわけですね。で、この議論の枠組みのなかで話しし始めると、たいへん難しいことがいろいろ起こってくるわけです。

　そのなかで、先週お話しした、えー、七人のですね、当時あるいは今でも活躍している人もいますが、代表的な人たちが、議論し始めている。

　で、ここで、先週お話ししたように問題になっているのは何かというと、ひとつは、科学　―　今日は科学と哲学の違いをお話ししたいと思うのですが　―　、ひとつは科学と世界観という対立系があったわけですね。これは科学ということを宮城音弥という心理学者がいいまして、つまり主体性を扱うのはあくまでも科学でなくてはいけない。それに対して真下信一という、共産党系の、まあ実存主義の影響を少しは受けた思想家が、いやそれは世界観というものなしに主体というのは扱うことはできない。世界観というのは別のいいかたで言うとイデオロギーでもあったわけです。イデオロギーと科学との対立ということですね。イデオロギーということはさらに拡大して別のの言い方をすれば思想と言ってもいいんですね。科学と思想は違う、ということです。

　で、次の対立系は、科学と主体が対立する。つまりこれは宮城音弥が言ってたように、科学というのは道具だ。だからそれは、どう使うかという問題は主体の問題だ。だから、先週お話したように、原子爆弾の作り方を科学は教えるけども、それをどう使ったらいいかという問題は、ここからはいくらやってみたところで出てくる問題ではない。それは、科学はやはり道具であるからだ、という議論があったわけです。そうするとそれは、そうすると科学を何の目的のために、どんな意味で扱うかという、そこに科学を支配する主体としての人間がいるという対立系なわけですね。

　でさらに、この座談会では、同じひとつの問題がいろんな言葉で対立してきます。科学と価値の問題です。あるいは意味の問題ですね。まあこの場合、これ〔価値・意味〕に対立するものとして科学って考えるときは事実ということですね。事実があるということと、その事実に価値があるかないかということは別の問題になってくる。それは事実というのはいくら積み重ねていったところで、価値とか意味の問題には転化しない、ということです。

　これはもう少し考えるとここの問題とも絡んできますね。つまり、原子爆弾を作る作り方を科学が教える。しかしその原子爆弾が、人間にとってどんな価値があったり意味があったりするのかという問題は、いくら科学、あるいは科学的な事実を積み重ねていったところで別の問題だ、ということです。たとえばいま原子力発電の問題がありますが、原子力発電で、いろんな原子力発電には問題がある、ということを科学的に明らかにしていく。で、科学的に明らかにして、仮に欠陥があったとします。でも欠陥があるという事実自体はですね、それ自体を取り出してみても、だから原子力を止めようとか、だから原子力はやろうという話しには絶対になりません。たとえば、反対派の人にとっては、だから止めようという話しになり、推進派の人からいうと、いや、だからそれを直そう、何ていうんですか、きちんと処理していく技術こそがまた求めなきゃいけないから、それを科学的に解明していかなきゃいけないんだみたいな話しになっていきますから、その、欠陥があるということだけで、だめだとかいいという話しにはなかなかならない。

　つまりそれは、科学的な事実を積み重ねていくということのなかにはですね、それをいくら重ねたところで、その集積の結果自体が、ふたたび、一つの事実でしかない、つまり、それは、意味でも価値でもないということが出てきて、なかなかここの部分の折り合いがうまくいきませんよ。あることを見てですね、その事実だけでもってだめだ、或いはよいことだというふうにはならないわけです。つまり、事実そのものが、価値とか意味を含むというふうにはなかなかならない問題がある、というふうなことがひとつあるわけです。

　さらに、出ていた問題は、理論と実践の問題があります。これは先週煙草を吸うという話しでお話ししたんですが、理論と実践の問題。つまり理論というものをいくら積み重ねていって、その理論が真理性を持っている、つまり正しいというふうになったからといって、じゃその理論に基づいて人が行動し始めるかという話しになると、それは全く別の問題だ、という問題がでてくる。

　さらに、最後は、存在と当為の問題がある。ドイツ語でいうと Sein と Sollen ですね。当為という言葉にあまりなじみのないかたは、これは「べき」ということです。「～すべし」ということで、これは「在る」、つまり、ある科学的な事実が「在る」、まあ、全部これは同じ、ずーっとこの全部、この対立というのは、全部同じなんですが、上と下、全部同じ問題としてこの『唯物論と主体性』のなかで扱われているわけですが、そのー、「在る」、「在る」もの、「在る」っていうことと、「あるべき」だという問題とは全然別の問題だという問題です。

　それは、この座談会のなかでは、経済的、資本主義っていうのがどんどんどんどん進展していくと、労働者階級とブルジョア階級の乖離っていうのがもっとどんどんどんどん広がっていって、金持ちはどんどん金持ちになっていくし、貧乏な人はどんどん貧乏になっていく、それを窮乏化というんですが、どんどんどんどん労働者階級は窮乏化していく。そうすると、その止むに止まれぬ窮乏感から、労働者階級は立ち上がるんだ、という話が、ひとつの話としてあるわけですね。でその場合、資本主義がどんどんどんどん成熟していくと、労働者階級とブルジョア階級がどんどんどんどん乖離していくという問題はですね、それは Sein の問題　―　それが正しいとしてですね。正しいとして。それ・・にけちつけるけちつけかたは幾らでもあるんですが、それはいいんです。別に正しかったっていいわけです、それは話としてね。で、正しいとします。

　（…）ている人が、これぐらいの数字、出てくるわけですね。出てくる。そうすると、もし民主主義という問題を考えた場合に、たとえば小選挙区制に反対しているスタンスで、民主主義ということを考えた場合、民意っていうのができるだけ直接に反映する仕方で選挙が行われるべきだというふうに言っているわけですから、そうしたら、この数字の前で倒れざるをえないですね。安保条約破棄っていう理念は。倒れざるをえない。で、それを丸山さんはですね、「経験的な人民の意思というものを問題にするかぎり、今日マルクス主義は形式的民主主義の前に頭が上がらないわけです。かりに何らかのテクニックによって現在の人民の意思をそのまま模範的に反映するような機構を作っても、そこに反映したものはあるべき人民の意思とはやはりくい違ったもので、マルクス主義の人々はそれをそのまま人民の意思とはしないと思う」というふうに、丸山さんはすでに言っているわけです。

　つまり、私が言った、何らかの仕方で二十歳以上の人が、イエスかノーを言う、たとえば安保条約に対してあなたはイエスかノーかという装置をですね、全部集計するところに持っていってやった場合、これを丸山さんは形式的民主主義という言い方をしたわけですが　―　、この形式的民主主義の前に、おそらく崩れていく　―　もちろん自民党にもそういうとこありますよ。もちろん社共がどうだという話ではなくて　―　、形式的民主主義というものを持っていったときにですね、いま、たとえばわれわれは民主主義政党だとか、民主主義を守ろうと言っている連中はですね、じゃあ自分達の要求がことごとく民主主義的ものかというと、そうではないという問題にぶち当たらざるをえないわけです。

　そうすると、この場合、民意って何なのかという問題になってきます。そうすると、この社会党や共産党が言う安保条約廃棄っていう問題は、「在る」　―　先週も書きましたが　―　、「在る」民意、つまり丸山真男の言葉でいうと、経験的な人民の意思、現に、経験的っていうのはこの場合は、現にある　―　まあ人民っていう言葉を使っているのは 1948 年らしいことですが　―　、経験的な人民の意思っていうことです。これは、要するに、「ある」　―　「在る」ってこっちですよ　―　、「在る」民意ですね。

　ところが、安保条約廃棄という要求に関しては、そうではなくて、きちんと事情を話せば、国民は分かってくれるはずだという、そういう民意なんですね。つまり、いわば自民党が支配している政権のなかで、アメリカ的なイデオロギーが輸入されて、あるいはテレビとか大量のマスメディアによって、様々な仕方で、民衆はブルジョア・イデオロギーに染まっている。だから、それをわれわれは取り除いて、きちんとした事実を、まさにきちんとした事実を露呈させて、きちんとやっていけば、絶対に民意は、安保条約廃棄という方向に向かうはずだ。「はず」というのもドイツ語では sollen というのですが、これは英語で言うと should ですね。「あるべき」ということは「はず」だということですから、そうするとこれは、「あるべき」民意に寄りかかった要求だということになってきます。つまり、たとえば安保条約という問題について言うと、それは、「在る」民意としては、つまり形式的民主主義の前では挫折するかも分からないけれども、形式的ということに対していえば、内容的な、あるいは実質的な民主主義の前では、かならず勝利するはずだというふうに思っているわけです。

　そうするとここでですね、たいへん問題があるのは、この野党にしても与党にしてもですね、彼らが民主主義ということを口にするときには、都合のいいときは、国民というのは頭がいい人達で、都合の悪いときは、国民というのは教育されるべき対象だというふうになってきます。つまり、民意っていうのは、一方ではそれ自体尊敬されるべきもので、一方ではそれ自体教育されるべきものだという両方の意義を持ってきます。そうすると、あるときは教育されるべきであって、あるときは先導的な役割をはたすべきだというときの、その判断の基準はどこにあるのかということが最大の問題になります。

　つまり、別にいいんですよ、安保条約反対というのは「あるべき」民意の姿なんだといったっていいけれども、問題なのは、ここに区別が生じているわけですが、そうすると区別の基準は一体何に置かれるのかというと、これは絶対、これ自体客観性はないんですよ。これは論理的に明らかだ。どういうときに「在る」民意はそれ自体、直接的に従うべきであって、どういうときに「在る」民意が教育されるべきかという問題はですね、そのどういう場合っていう区別の基準というのは、論理的な整合性を絶対に持たないということははっきりしているんじゃないか、ということです。というより、そういった区別の基準こそ、「在る」民意におくというのが民主主義なのであって、その意味では民主主義とは「形式的」にしかありえないわけです。

　だから、たとえばいまみたいな政治情況の実際は、要するにもっとひどい言葉でいうとそれは、御都合主義ですよね。御都合主義でしか絶対に動かないわけです。それはなぜかというと、結局民主主義という問題も、ここの問題になってくるわけですね。結局ここは、僕は存在と当為の問題だというふうに思うわけですが、当為と存在との関係がぜんぜんはっきりしないわけです。

　たとえば、『朝まで生テレビ』の話ばっかりして悪いですが、アメリカのテレビディレクターで、訳の分らない駄洒落を言い続ける男がいますが、誰だっけ、デイブ・スペクターとかってやつがですね、西部さん、西部さんもこういうことを考えているわけですが、西部さんが言ったことに対して、いやまだ日本国民は、まだ民主主義というのが何かっていうことを分っていない。リクルートの問題にしても何にしても全然いい加減なまま済ましている。アメリカではこんなことがあったらすぐ大統領だって首になる。だから、アメリカの民主主義というのは成熟しているけれども、日本の民主主義というのは一人一人がまだ自立していなくて、村の寄合いみたいな仕方でしか、つまり個人が埋没している仕方でしか民主主義というのは成熟していない。だからまだまだ日本は駄目なんだみたいな言い方をするわけです。

　そうすると、それは割とアメリカかぶれしたですね、連中はみんなそういうことを言うわけです。でもそれは全くおかしい。たとえばですね、そういった議論をした場合、すぐはっきりしていることは、仮りに従属的な日本の国民っていうことを、つまり何かに従属して、けっして自分自体は人格を自立的な人格として見做さないというをですね、仮に従属するということ自体をそれとして意思しているとしたらどうなるという問題があるわけです。

　つまり私がたとえば、あるものに従属して生きるといことが私にとってはひとつの選択なんだ。意思っていうことは選択ということです。選択ということです。そうすると、これ民主主義の立場に立てばこれを認めなきゃいけないわけですね。認めなくてはいけない。つまり民主主義というのは、単に自立するっていうことがどうだという話ではなくて、自立するにしても従属するにしても、そのことを自分で選択したということが、もしそれとしてあるならば、それを文句言ってはいけない問題になってきます。だから、たとえば、日本人的な村社会の寄り合い的な相互依存的社会というのを、たとえば日本の国民の国民性として日本人がもし選択しているというところで起こっている事態であるとすればですね、それは、それ自体民主主義的なことだという問題になってきます。

　そうすると、民主主義の問題というのは民主主義の内部で処理できないという問題になってきますね。つまり、民主主義というのは、非常にいいかげんな原理だ。つまり、さっきも言ったように、非常に都合がいいようにしか動いていかない。つまり、自分達がやろうと思っていることで世論調査で、たいへん高い数字が出たら、われわれは国民を代表してやっているんだみたいな話しになる。で、都合が悪い数字が出る、あるいはたとえば選挙で負ける。そうすると、われわれの言っていることが御理解いただけなかったみたいな話になってしまう。御理解いただけなかったというのは、早く言えば、国民は馬鹿だったから俺等が正しいことを分かってくれなかったんだという話しですよね。分かってくれなかったんだという・・・。

　たとえば共産党なんかは、今回は自民党の非常に強烈な包囲網に包囲されて、駄目だったとか、あるいは、社公民が共産党攻撃をし始めて駄目だったとか、まあそれは社公民も同じことを言ったりしますが、それでわれわれは勝てなかったみたいな言い方をします。それは、たいへん訳の分らない言い方ですよね。つまり、負けたっていう場合に、負けたことをそれ自体で答えたっていうふうに受けとめないで、その場面では、国民に対しての働きかけなり、働きかけた結果、国民の反応が鈍かったという話をしていくわけですから、それは、民主主義ということで言うと、ここの使い分けが、そのつど勝手になされていくという・・・勝ったときは、「在る」民意に対してわれわれは勝利したという話になります。

　(…)この区別の基準ということが、それ自体としては絶対に客観性を持たないからであって、これは Sein と Sollen の問題がその根底にあるということですね。解決できていない。だから、いま、民主主義というのを哲学的に考える話をしているわけでも何でもないんであって、民主主義というのは、そこまで考えないと、何も哲学的に考えるとこうなりますよという話をしているのではなくて、まさにそれは、民主主義の問題なんです。われわれは、特に私以降の世代は、というかもっと前からですが、民主主義という教育を受けてきて、大変すばらしい制度だという話で、ずっとそういう教育を受けてきたわけですが、しかし民主主義の問題はですね、大変いいかげんなところがある。まあ、いいかげんなところがあるのがいいんだというふうに言われては、元も子もないんですが、そう手放しで任すことができるシステムでは決してないわけで、問題は、こことここに分れること自体は別にいいんですが、ここの区別の基準というところで、非常に曖昧なところがあるということです。

　それで何が問題なのかというと、結局のところ、こういった問題は、 Sein と Sollen の問題になります。つまり、「在る」ということが、そのままなかなか「あるべきだ」というところへ繋がらないという問題ですね。「あるべきだ」というところへ繋がらない。たとえば、一人の人間が、先週も話しましたが、たいへん困窮している。困窮しているというところから、その困窮を打ち返して、革命運動に立ち上がるか立ち上がらないかという問題をいくら Sein のレベルで議論していって、だからお前は立ち上がるんだとか、だからお前は立ち上がらないんだという話しをしてもですね、その立ち上がらないという話をしたからといって、その人が立ち上がらないとは限らないし、立ちあがるんだだからお前はという話をしたって、その人が立ち上がるとは限らないわけです。そうするとやはりここには、さっきから話しているように、断絶があるわけですね。断絶がある、という問題があります。

　それじゃあ、「あるべき」だという問題は、何なのかということです。哲学というのは、科学　―　いちばん最初のときに哲学とは何かというのを書いてもらったときに、いろいろ書かれている方があったのですが、科学、サイエンスですね、科学と哲学との違いについて書かれている方もあったし、ただ単にものを深く考えるという点であれば、科学と哲学とは別に変わらないだろうしなんていうふうにして自問されている方もおりましたし、そのとおりなんで、ただ単にものを根源的に深く考えるという意味であれば、科学者も深く根源的に考えているわけですから、哲学者とその点でそんなに変わらないわけですね。

　そのことに今日は、少しは役立つ答えをしたいと思うのですが、科学というのは Sein にだけ関わるわけです。それは科学がどんなに発展しようとそうだと思います。おそらく解答としては決定版だろう・・・つまり、「在る」もの、「在る」ものに対して関わるわけです。したがって科学はいつでも過去にしか関わらない。つまり、「在る」ものというのはいつでも「在った」ものでしかないわけですね。で、在ったものだとしてもそれは反復可能なものとして現にあるものでもあるわけですが。で、ここの話しからするとお分りいただけると思うのですが、事実、存在しているもの、たとえばこのチョークの成分がどんな成分なのかみたいなものが、科学が明らかにすることができるわけです。で、それは、この存在というのがすでにあって、この存在の組成が問題になるわけです。あるいは社会学でも、社会学が科学だという場合も、社会という存在がすでにあって、その社会の組成がどうなっているのかみたいなことを問題にしていけばいいわけです。それは、広い意味で、Sein を対象にするということです。Sein 、つまり存在ですね。存在しているものを対象にする学問というか、思考が科学だというふうに考えてもらえばいい。

　それじゃあ哲学はどこで区別されるのかというと、哲学は Sein と Sollen の問題を問題にするわけです。これ自体を問題にする。Sein と Sollen の問題が、それじゃあ関係する場所って何かというと、それはアルケーなんです。そういうふうに話は繋がっているわけですが、つまり、ここで私が Sein と Sollen との間に境界線を引いた場面というのは、始まるということです。まあ、名詞で言うと始まりですね。始まりが問題になるわけです。なぜかというと、始まりというのは、無から始まらなきゃおかしいんですね。というのは、あることが始まるというときに、その始まるということが、もう少し前からあったのであれば、その始まりと言ったときの始まりは始まりじゃなくて、もうちょっと前の始まりなわけですね。つまり、たとえばゼロから何かが始まるというときに、じゃあこのゼロの手前は何かといえば、これは無じゃないとおかしいですね。まあ、ゼロの問題というのもまたあるのですが。

　仮に、ここよりももう少し手前に、何かここから始まるものの徴候があったとしたら、それは、その徴候自身が始まりなのであって、始まるっていう概念はですね、存在、つまり「在る」ものであってはいけないわけです。「在る」ものであってはいけない。そうすると何かというと、それは「あるべき」ものなわけですね。あるいは、「あるはずの」ものなのです。もうずっとドイツ語で書いていきますが。単にずっとあるものであれば、「在る」ものっていうのは無いものなわけではないのですから　―　というふうに言ったのがパルメニデスというギリシアの哲学者ですが、あるものはあるし、あらぬものはあらぬ、と　―　そうすると、あるものはあって、あらぬものはあらぬものであるならば、パルメニデスにとっては、始まりという概念は不可思議なものだったわけですね。

　始まりということは、全く始まって在るものが無いときというのを前提にしない限りは、始まるということは言えないわけですから、そうすると、始まるというのはどういう存在かというと、無からの存在なのですね。無からの存在なのです。これはキリスト教の神学につながっていくわけですね。つまり、神が無から世界を創造したという議論があります。で、キリスト教の議論とギリシアの議論がつながっていくのは、まさにこのアルケーという概念、始まりという概念に関わってですね、特に中世の哲学で問題になっていくわけですが、無から神が世界を創造したってどういうことかという問題になっていきます。

　それは、純粋に哲学、つまりキリスト教の教義学の問題ではなくて、純粋に哲学的な議論として考えた場合は、無と存在との関係です。無と存在との関係というのは、さっきも言いましたように、「あるべき」存在の問題になってきます。つまり、さらにまた『唯物論と主体性』の話になると、貧乏であるということから、階級闘争に立ち上がるという関係は、どう考えてもここをいくらいじくりまわしたって、階級闘争 (...) 自然法則のようにして人々が立ち上がるという契機はないわけですから、この貧乏な人はですね、あるところで自分を無にしなきゃいけない。つまり、人が変わるというときにはですね、自分のなかに自分でないものを持ってこなくてはいけないですね。

　それを哲学者は「超越」というのですが、越えるということですね、超越ということをいいます。で、あるものが別なものになるというときにはですね、自分自身を、もう少し近代的な言葉でいうと自己否定ということですね。それで『唯物論と主体性』という座談会のなかでは、この自己否定ということが一体どこで生じるのかということが問題になっていたわけです。それは一体、Sein として、もともと自己否定というものそのものが、経済構造の、労働者階級の存在構造のなかに含まれているのか、含まれてないのかという議論をしていたわけです。それは、もし自己否定を超越という話しでいうとですね、含まれていたらおかしいのですね。含まれていたらおかしい。

　たとえばマルクスという一人の神でも何でもない人間が、19世紀に生れて、資本主義の解明の書である『資本論』を書いた。そうすると、このマルクス自身は資本主義の社会を解明する『資本論』という書物を書いた場合、マルクス自身は一体資本主義的だったのか、それとも非資本主義的だったのかという問題があります。もし資本主義的にマルクスが、資本主義社会の書物を書いたのであればですね、彼は、資本主義の落とし子として存在しているわけですから、資本主義を全体として問題にできるわけないわけです。資本主義をそれ自体として問題にするには、この外に出なければいけません。外部を見なければいけないわけです。

　資本主義の外部というのは共産主義であるわけですが、この外部というものを、資本主義の外部　―　この外部、矢印（黒板を指示しつつ）はまさに超越ということなのですが　―　、超越する契機を持ってないといけない。そうするとですね、その超越するバネ、つまり資本主義のなかにいながら、資本主義社会を超越して、資本主義社会を全体として問題にすることのできる能力というのは、その能力自身はどこから出てきたかという問いが、丸山の問いなのです。丸山真男が必死になって話していくなかで、丸山真男はそのとき私と同い歳ですから、松村とか古在とかという頑固者のマルクス主義者を相手にですね、どうも僕の意図がはっきり伝わっていないとか言いながら議論しているわけですが、そのある社会が変わる、それはある社会が超越しなければいけないということですね。あるいはある人間が変わる、それは、自分自身が、自分自身でないものを、少なくとも一度は、あるいは一瞬は見なければいけないわけです。俺は変わったということを言うときには、少なくとも、自分自身が自分自身を変えていく能力を問題にしなきゃいけないわけで、そのときは、自分が自分の外部に一度出なきゃいけませんね。一度出なきゃいけない。そうすると問題は次の時点で問題になるわけで、その出るという力は、一体自分の外にあるのか内にあるのかという問題になってきます、論理的にはそうなる。

　それは超越の根拠ということですね。根拠ということです。で、これを完全に自分の外にあるものだというふうにやってしまった場合は、それは神秘主義とかロマン主義になってきますね。つまりそんなものは、あるとき偶然に訪れて、まあたとえば、何ていうんですかね、悟りのように、あるとき偶然、私は啓示を受けたとかって独言のようにしゃべる人がいますが、そういう人はですね、この超越の根拠というのを外に置くわけですね。つまり外へ出ることの根拠を、それ自体外に置くわけです。

　で、(...) 逆に、こういうふうにすれば人間というのは変われるんだよといって、ハウトゥもののように自己変革を説く人がいます。それは超越の根拠を内に置いているわけですね。つまり、いま私の言っている議論はたいへん、まあある意味で複雑なんですが、外へ、外へ出る根拠ということですね。この、つまり一回目の外が問題じゃないんです。二回目の外が問題なんだ。つまり外部に出るということが、Sein と Sollen の関わりの問題なわけですが、この外へ出る根拠自体が、一体外にあるのか、それとも内にあるのかという問題をめぐってキリスト教の教義学の無からの創造という問題もそうだし、ギリシアの万物のアルケー、万物の始まりという議論もですね、そこに端を発しているわけです。

　さっきもいいましたように、もし外に出る根拠それ自体を外に持ってくるのなら、これは座談会でも言われていますが、神秘主義とかロマン主義がここで出てくるわけです。つまり、もう外に出る根拠は外にあるものだから、そんなこと理論的に説く必要はないわけですね。話として美しければいいという話になったり、自分がそれで満足してればいいという話になります。

　だから、仏教で言うと禅宗がそうですね。こんなこと言ったらまた大変怒られるかもわかりませんが、禅宗と、浄土系の宗教　―　浄土宗と浄土真宗とか　―　っていうのの違いはですね、禅宗というのはもしこういう整理の仕方をしたらこっちに傾いていく。なぜかっていうと、彼らは修行っていうことを言うわけですね。座禅なんかする場合ですね、自己鍛練が問題になる。あれは生きながらにして死ぬということが問題なわけですね。だから、自分の身体性というのをある意味で無の状態に　―　箸の上げ下ろしといったことまで含めて　―　まで持ち込んでいくわけです。この持ち込んでいくという場面は、個人的な鍛練の問題にないきます。だから滝に打たれたり、よくある話として言えばですよ、滝に打たれたり、山へ登って修行したりして、座禅しているときに蚊が刺そうが、蛇が首締めて殺しに来ようがですね、動いちやいけない...そんなことで痛いとか痛くないなんてことが問題でないようなところまで自分を持っていきます。まさに無の問題に関わってきている。

　つまり彼らは Sollen という問題を、自己鍛練の問題として考えるわけです、「あるべき」自分の状態というのを。で、これは極端に言うと、朝早く起きてジョギングしているおじさんとかおばさんがいますが、あるいはエアロビクスとかやって体を良くしようとか、野菜を食べて健康になろうとかですね、ああいう系統の動きはみんな禅宗なんですね。そんなこと言ったら怒られますが（笑）。ああいう人を見ると私もう、非常に腹が立つんですが（笑）、長く生きて何が言いたいんだと思うんですが、それはなんでそんなことに、あれはですね、禅仏教です。そんなこと言ったら禅のあれやられている方はかんかんに怒ると思いますが、エアロビクスとか、ジョギングやっている「連中」と思わず言ってしまいそうになりますが、「方々」はですね、この Sollen の問題ですね、「あるべき」状態というのを、自分の努力というところで持ってくるんです。

　そうするとこれ、思想としてどうなるかといいますとですね、いい気なもんだということになります（笑）。ジョギングしてして気持ち良かった、それはいい話ですねって話になるし、禅で...私は非常に心がいま、ゆったりして、非常に、ギリシア語でアトラクシアといいますが、平穏な状態です。もう、何ていうんですかね、無の境地なんですね。それは、それは良かったですねという話で（笑）終わっちゃいます。絶対に終わります。もちろんそのことについて絶対終わってどこが悪いんだという話になれば、それはそこで議論になりますが、絶対終わっちゃうんです。

　...なぜ終わっちゃうか...。それは、非常に下世話な言い方でいうと、禅仏教というのは結局のところ個人主義だからです。それはさらに哲学的にどうなるかというと、それは超越する根拠という問題を、自分はもちろん禅...とか Sollen の問題にぶちあたっているわけですが、外へ出る根拠というのを、それ自体外に置くからです。だから、それはまあもう少しヨーロッパの言葉でいうとロマン主義ですね。ロマン主義なんです。ある人間が、どれだけ自分を、まあ極端にいうと、気持ち良くするかといいますか、自分自身の掲げている課題に対して満足を得るかという問題に必ずなってきます。必ずなっていく。そうすると、ジョギングして気持ち良くなるやつもいるだろうし、エアロビクスして気持ちよくなるやつもいるだろうし、あるいは、座禅をして気持ち良くなるやつもいるだろうという程度の話にしか絶対にならないわけですね。ならない。それはそれじゃあどうなるかというと、それは人それぞれだなという話になって終わってしまうわけです。終わってしまう。

　で、その問題またやっていきますが、今度、じゃあ外へ出る根拠を内側にしたらどうなるかというと、これはハウトゥものの世界になります。あなたもこうすれば美しくなるるとかっていうやつは、それはお前勝手にしろよなんて話じゃなくて、こうやってこうやってこうなっていけばこうなるよという話を、どんどんどんどん内部的に、まあ言ってみれば科学的にといいますか、...かなんか知りませんが、科学的にもっていくわけですから、これは実用主義、実用のレベルの話しになっていきますね。プラグマティックな話しになります。それは、こうすればあなたは変われますよということを誰の目にも明らかなように呈示していくわけですから、外へ出る根拠を、絶えず内へ内へと持ち込んでいくわけですね。だからそれは、技術主義といってもいいし、プラグマティックな思想なんです。技術主義になります。

　『唯物論と主体性』という座談会はですね、世の中で優秀と思われている　―　賢いといいますか　―　思想家が集まって、何を問題に、何が露呈されているかといいますと、実はこういった問題が、何ひとつ解決されていない。それは何も、当時 1948 年のレベルで非常に程度が低かったという問題ではなくて、基本的に...なところで問題が考えられてないからですね。たとえば、丸山が民主主義の問題を呈示した場合でもですね、彼自身は、何とかそれを Sein と Sollen の問題なんだというふうに考えようとしているわけですが、たとえばわれわれが民主主義を問題にするときでも、比例代表性は民意が全体的にかなえられるから比例代表性のほうがいいんじゃないかとか、小選挙区制は死票が多いからよくないとか、そういう話しをしるわけですが、そうしたら、民意がちゃんと反映されたらどうするんだみたいな問題が一方でまたあって、さっきも言いましたように、民意っていうのは何かということが、ぜんぜん何も考えられていない。

　これは、哲学的に考えられていないという話しじゃなくて、やっぱり民主主義という言葉そのものが、ぜんぜん検討されていないということですね。それは別に哲学だから検討しなきゃいけないんじゃなくて、政治学者、また「生テレビ」の話をしますが、あの「朝まで生テレビ」の升添要一という東大の政治学をやっている教授が出ているんですが、何の役にも立ちませんね（笑）。それは、...（笑）民主主義のみの字も真剣に考えたことが一度もないということですね。一度もない。

　それは、しかし、ちゃんとした根拠はある。つまり、なぜ考えられなかったのかという根拠はあるんであって、この問題をですね、全体として視野に収める方法というのを、まだ近代といいますか、ヨーロッパ...ちゃんと考えれてきてないわけですね。考えてきてない。で、考えたと思った人も、やっぱりどっちかに寄っちゃうんですね。どっちかに寄っちゃう。つまり、済し崩し的に、内部へ内部へ入っていくか、それとも、済し崩し的にひたすら外部へ外部へと逃げていくか、どっちかなんですね。どっちかです。で、これはたとえば、山国に入って仙人か何かになるしかないし、こちらは、テレビか何かに出て、カッパブックスか何か書いて、大金持ちになって、人生けっこういけるな（笑）みたいに思って死んでいくしかないわけで、その人自体の生き方の問題にもなっていきますが、ここの関係がですね、一体どうなっているのかという問題を考えなきゃいけない。で、哲学というのは、そういった意味では、まさに...である。

　(...) 科学にはですね、こういった問題は絶対に出てこない。つまり物理学やろうと、経済学やろうと、社会学やろうとですね、それらの学問の当事者たちが、俺達のやっているのは科学だといっている限りはですね、こういった問題は絶対出てこない。それは、まあ、彼等が Sein だけを問題にしているからです。

　「あり」と「あった」の問題は、これは後期に触れようと思っているのですが、それは時間の問題になりますね。それは置いておくにしても、Sein だけを問題にしている限りは、こういった深刻な問題は出てこない。しかし、私達にとってというか少なくとも哲学の講義を取ってもらっているみなさんも含めて、私も含めてもちろん、私達にとって重要なのは、まさに外へ出る根拠というのが問題なわけです。これは、『唯物論と主体性』では変革の根拠になりますが、これは自己変革であっても、ある社会が変わっていくことであってもいいわけですね。そのことの問題を、外の問題として考えるか、あるいは内の問題として考えるか、あるいはそういった選択そのものがすでに問題であって、実はもっと別の問題を考えなきゃいけないのかというふうになっていくか、ということになる。で、この問題をですね、さらに来週以降やっていきたいと思います。

　以上、本日は終わります。（了）<a href="http://www.blogmura.com/">→｢にほんブログ村｣</a></span>

（Version　2.0）

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    <title>今年もコカ・コーラソーシャルメディアサミット2011で講演します　―　津田大介さん、勝間和代さん、近藤正晃さんとパネルディスカッションもやります。</title>
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    <published>2011-11-17T11:29:09Z</published>
    <updated>2011-11-17T14:15:01Z</updated>
    
    <summary>今年も、12月26日、ベルサール渋谷ファーストで開催されるコカ・コーラソーシャルメディアサミット2011で講演します（http://c.cocacola.co.jp/smscp/index.html）。「Twitter頂上対談：Twitterのもたらす社会的変化と経済効果とは？」として、津田大介さん、勝間和代さん、近藤正晃さん（Twitter Japan社代表）とパネルディスカッションもやります。 津田さん（基調講演）と私の講演（特別講演）との後のパネルディスカッションになります。...</summary>
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        <![CDATA[今年も、12月26日、ベルサール渋谷ファーストで開催されるコカ・コーラソーシャルメディアサミット2011で講演します（<a href="http://c.cocacola.co.jp/smscp/index.html">http://c.cocacola.co.jp/smscp/index.html</a>）。「Twitter頂上対談：Twitterのもたらす社会的変化と経済効果とは？」として、津田大介さん、勝間和代さん、近藤正晃さん（Twitter Japan社代表）とパネルディスカッションもやります。

津田さん（基調講演）と私の講演（特別講演）との後のパネルディスカッションになります。]]>
        <![CDATA[昨年は（<a href="http://imarketer.jp/archives/51105771.html">http://imarketer.jp/archives/51105771.html</a>）、ITジャーナリストの湯川鶴章氏、グルーポンの野田臣吾氏（執行役員）、FACEBOOKの森岡康一氏（副代表）、「宣伝会議」編集室長田中里沙氏などと発表＋パネルディスカッションをやって結構楽しめました。それをまとめたのが、私のFacebook批判の年賀状になりました→<a href="http://www.ashida.info/blog/2011/01/post_399.html">http://www.ashida.info/blog/2011/01/post_399.html</a>。

今年は、TwitterJAPAN社の代表と一緒のパネルディスカッションになります。どうなることやら。乞うご期待！<a href="http://www.blogmura.com/">→｢にほんブログ村｣</a></span>

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    <title>10月以降の年内の講演会の予定 ― 長崎、福岡、京都（同志社大学）、神戸、東京（立教大学）で講演します</title>
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    <published>2011-09-27T05:41:18Z</published>
    <updated>2011-09-27T06:07:00Z</updated>
    
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        現在のところ、10月1日（長崎）、10月2日（福岡）、16日（京都）、11月6日（神戸）、12月17日（東京）の予定です。詳細は以下。※12月に東京で一回行う予定ですが、追って報告します。
        <![CDATA[●10月1日（長崎）、2日（福岡）
 ― 「現代若者論としてのキャリア教育とこれからの大学教育 ― ネット社会における若者現象と企業人材像を問う」
<a href="http://t.co/0fpAnJxH">http://t.co/0fpAnJxH</a>

●10月16日京都（同志社大学）講演
 ― 「Twitter微分論その後 － ソーシャルメディアとポスト近代社会
<a href="http://kokucheese.com/event/index/16857/">http://kokucheese.com/event/index/16857/</a>

●11月6日神戸講演会
 ― 「学校教育」の課題と「学び合い」教育の諸問題について　―　教育目標とは何か
<a href="http://kokucheese.com/event/index/17460/">http://kokucheese.com/event/index/17460/</a>

●12月17日東京講座（立教大学）
 ― キャリア教育講座（10:45 ～ 12:15　詳細は未定）<a href="http://www.blogmura.com/">→｢にほんブログ村｣</a></span>

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    <title>電気の時代としての近代主義、心理主義、Twitter　―　電気冷蔵庫からサーバーへ</title>
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    <published>2011-09-17T16:51:44Z</published>
    <updated>2012-02-05T18:13:36Z</updated>
    
    <summary>この内容は新宿シズラーで、2011/8/11（18：00～22：00）に行ったミニレクチャー「近代主義と心理主義と」（http://togetter.com/li/173368）の資料を更新したものです。 1.近代とは、電気の時代 2.電気の時代とは、フローの時代 3.フローの時代とは夜（影）と昼（光）、始まりと終わりとの区別を越える“永遠性”の時代 4.たぶん、デカルトの「我思う故に、我有り」は電気の時代の哲学への予兆...</summary>
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        <name>芦田 宏直</name>
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            <category term="IT社会論" />
            <category term="Twitter" />
            <category term="社会・思想" />
            <category term="自己ベスト" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.ashida.info/blog/">
        <![CDATA[この内容は新宿シズラーで、2011/8/11（18：00～22：00）に行ったミニレクチャー「近代主義と心理主義と」（<a href="http://togetter.com/li/173368">http://togetter.com/li/173368</a>）の資料を更新したものです。

1.近代とは、電気の時代

2.電気の時代とは、フローの時代

3.フローの時代とは夜（影）と昼（光）、始まりと終わりとの区別を越える“永遠性”の時代

4.たぶん、デカルトの「我思う故に、我有り」は電気の時代の哲学への予兆

]]>
        <![CDATA[5.つまり「主観Subject」＝近代的な自我とは、夜（影）と昼（光）、始まりと終わりとの区別を越える“永遠性”の時代の〈人間〉のこと

6.その“永遠性”の実質的な始まりは電気冷蔵庫

7.昼夜を問わず電源が切られなかった初めての家電が電気冷蔵庫

8.昔（1950年代中半まで）は、電気メーターが回っていないことを確認して、外出するのが常だったが、電気冷蔵庫以来それが無くなり、20年後のビデオデッキの予約録画（＝タイムシフト）はさらに電気の家庭内常住性を加速させた。それ以後、季節の風物詩「NHK紅白歌合戦」の視聴率も落ちていく。

9.そしてビデオデッキの20年後から現在においては、サーバーがその電気冷蔵庫に取って代わった

10.前者（電気冷蔵庫）は自然を、後者（サーバー）は人間を昼夜を問わず人工化した

11.眠らない自然、眠らない人間

12.自然は与えられるものではない、人間は与えられるものでもない、というのが覚醒した自然と覚醒した人間の格率

13.覚醒とは、〈意識〉のこと

14.両者（自然と人間）に共通するキーワードは〈意識〉と〈選択〉

15.〈いつでも何でも（選択できる）〉という意識の遍在（ユビキタス）が、近代の成熟の徴表

16.〈自由・平等〉は、意識と選択の時代の政治表現

17.〈いつでも何でも（選択できる）〉という自由と平等、つまり選択性が高まれば高まるほど、「私って何？」という内面を問う問いが先鋭化する。

18.技術の進歩は、内面の強化を不可避に強いて、宗教的内面にまで昇華する。技術は宗教と親和的。

19.〈私〉は選択するときにだけ私「である」→「我選択する故に我有り」

20.この「選択をするときにだけ」の「だけ」は何らかの不足や限定を意味するのではない。

21.不足や限定は存在しない。もはや経済学が生産（欠乏の充足）の経済学でなく、消費の経済学であるように不足や限定は存在しない。

22.電気の時代の眠らない永遠性が秒刻みで人々の行動に、選択、理由、意味を強いているからである

23.心理学の〈心〉も選択性（＝傾向性）を問う時代の人間を扱っているだけのこと。無意識さえも構造化されている、というように。意識も無意識も機能主義心理学では、何の違いもない。

24.〈私〉は眠らない

25.水さえも理由を付けてわざわざ購入し（水さえも内面化されている）、人間関係もまた、自動ドアのようにいつ来るかもしれない来訪者に向かって常時センサーを働かせるように機敏で繊細な関係に陥っている

26.携帯電話も携帯メールも自動ドアのセンサーのように、〈現在〉を先鋭化、内面化している。携帯ツールは心の機能主義の成熟したメディアなのである。

27.この着信履歴は何を意味するのか、このメールは何を意味するのか、そして着信がないことは何を意味するのか、メールが来ないことは何を意味するのか、そのように〈無〉もまた意味を持つかのように、それらは〈現在〉を先鋭化する

28.〈無〉もまた、電気の時代においては意味を持っている。

29.それが眠らない意識の意味

30.それが意識（Bewusstsein）が覚醒の別名である意味。意識とは電気の上皮。

31.世界は意識の対象になり、自己表現の対象となる

32.この〈表現〉は、（ロマン主義的な）表現主義ではない

33.表現することなしには、自己は存在しないというように、世界は自己表現の対象になる。つまりこの〈表現〉論はかぎりなく存在論的なのだ。ライプニッツのように。

34.表現なしに自己が存在しないのは、自己がそれなしには空虚（＝自由）であるから

35.〈いま・ここ〉を空虚なゼロ地点（何でもできるし、何ものでもないゼロ地点）とすることが近代的な自己が行動的である理由→behaviorism（機能主義的な行動主義）

36.この自己は、間断なく、反応体（他者）を求め続ける

37.肯定（御意）のみならず否定（アホか）も含めて反応体を求める

38.反応（＝表現）するときにだけ、私「がある」というように、自己-他者が組織されている→「我反応する故に我有り」

39.この肯定と否定を間断なく再現するメディアがTwitter

40.始まりと終わりを間断なく再現し続けるため、意識が終わりを忘れることができる

41.意識＝近代的心理はますます終わらない。ますます目覚める。

42.Twitterにおける永遠性は、現在という短い時間性（短い始まりと終わり）において人間を裁断するというところにある。そしてその間断無き終わりが、人を「退屈」（ハイデガー）させない。

43.「私は思う」ということが限りなくゼロ地点（＝自由）に近いところで生じる〈表現〉がTwitter

44.人間の心理は、現在において、全人間に平等に開かれている

45.これが近代主義が心理主義である理由。〈現在〉が電気において無限化された分、近代主義と心理主義は親和的になった

46.受験勉強の（長い時間の）成果がたった1日の短い時間＝受験日で決着が付くように、Twitterの現在（短い時間）は、平均化された（＝長い時間において評価された）専門性や平均化された（＝長い時間において評価された）社会性を相対化する

47.この相対化は、心理主義におけるモデル論、タイプ論に類比的

48.「人間ちょぼちょぼ、みな同じ」というのが心理主義。どんなものでもタイプやモデルで串刺しする。「心なんて存在しない」というのはまさに心理主義そのもの。

49.わかってもわからなくても、わかった（合意）、わからない（反発）を繰り返すTwitterのやりとりの短文主義は心理主義

50.人の「心」はわかっていても「わからない」と言えるし、わからなくても「わかった」と言える。それを他人が“否定”することなどできない。

51.それはどんなエライ人でも、おしっこもするし、ウンコもするし、セックスもするという身体主義の裏返し

52.Twitterの〈現在〉というのは、心理の現在と身体の現在が交差している

53.心理の現在とは、心理のINPUTが同時に心理のOUTPUTでもあるというように現在であること

54.Twitterでは、OUTPUT（表現）がいつも身体を同伴している。そこがFacebookやmixiと本質的に異なるところ。

55.Twitterはメディア史上最初の身体表現メディア

56.これまでは、物理スイッチのon,offが身体表現だったが、心理on,offがTwitterにおいて可能になっており、Twitterのあらゆるツイートは身体の〈現在〉を表現している

57.つまり、Twitterは〈いま・ここ〉を心理の現在で微分し続けている

58.そういった微分性が自他の〈いま・ここ〉を間断なく相対化し続けている

59.終わりを忘れるために、終わり続ける近代人の〈終わり〉。Twitterは死の予行演習のようだ。

60.（続きは日経BPnet最終回<a href="http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20100524/227559/">http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20100524/227559/</a> において）<a href="http://www.blogmura.com/">→｢にほんブログ村｣</a></span>

（Version　3.0.）

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    <title>【会場が変更になりました】講演：現代若者論と高等教育・キャリア教育における大学改革　―　「オンライン自己」論＋「Twitter微分論」のその後</title>
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    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://www.ashida.info/blog/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=1/entry_id=1523" title="【会場が変更になりました】講演：現代若者論と高等教育・キャリア教育における大学改革　―　「オンライン自己」論＋「Twitter微分論」のその後" />
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    <published>2011-07-22T07:58:34Z</published>
    <updated>2011-07-22T17:05:10Z</updated>
    
    <summary>７月２４日、東京で講演を行います。2月の帯広講演＋5月の広島修道大学FD研修講演＋日経BPnet連載最終回＋Twitter微分論の最新バージョンでお話しする予定です。ふるってご参加下さい。 日時　７月２４日（日曜）１３時から１７時（受付は１２時４０分～） 場所　日本青年館ホテル　JR山手線、総武線千駄ヶ谷駅・信濃町駅より徒歩９分。地下鉄銀座線　外苑前駅より徒歩7分（渋谷寄り改札口を出て、3出口）、地下鉄大江戸線　国立競技場駅より徒歩7分（A2出口（http://www.nippon-seinenkan.or.jp/hotel/access/access.htm）...</summary>
    <author>
        <name>芦田 宏直</name>
        <uri>http://www.ashida.info/</uri>
    </author>
            <category term="講演関連" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.ashida.info/blog/">
        <![CDATA[７月２４日、東京で講演を行います。2月の帯広講演＋5月の広島修道大学FD研修講演＋日経BPnet連載最終回＋Twitter微分論の最新バージョンでお話しする予定です。ふるってご参加下さい。

日時　７月２４日（日曜）１３時から１７時（受付は１２時４０分～）

場所　日本青年館ホテル　JR山手線、総武線千駄ヶ谷駅・信濃町駅より徒歩９分。地下鉄銀座線　外苑前駅より徒歩7分（渋谷寄り改札口を出て、3出口）、地下鉄大江戸線　国立競技場駅より徒歩7分（A2出口（<a href="http://www.nippon-seinenkan.or.jp/hotel/access/access.htm">http://www.nippon-seinenkan.or.jp/hotel/access/access.htm</a>）]]>
        <![CDATA[参加申し込み方法、 staff@rosetta.jp あてに
「芦田宏直先生講演会参加希望」とタイトルをつけてメールください。

１）お名前
２）参加人数
３）ご職業
４）懇親会のご希望の有無

をお忘れなく。

その後、参加費を事前にお支払いいただいたき、その時点で、参加申し込み完了といたします。7月2４日AM１１：００までお申し込みを受け付けております。なお入金確認が間に合わない場合は、当日のお支払いでも結構です。

参加費のお支払いは、上記同様に出版社：ロゼッタストーン staff@rosetta.jp までメールをお送りください。
折り返し振り込み方法などを指示させていただきます。お手数ですがよろしくお願いします。
　
定員１３５名になり次第しめきります。よろしくお願いいたします。<a href="http://www.blogmura.com/">→｢にほんブログ村｣</a></span>

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    <title>学校教育と生涯学習と家族と　―　中曽根臨教審の呪縛（学ぶことの主体とは何か）</title>
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    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://www.ashida.info/blog/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=1/entry_id=1522" title="学校教育と生涯学習と家族と　―　中曽根臨教審の呪縛（学ぶことの主体とは何か）" />
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    <published>2011-06-28T04:30:40Z</published>
    <updated>2012-02-23T15:57:13Z</updated>
    
    <summary>フィッシュキンは、「メリット」（メリトクラシーのmerit）と「生活機会の均等」と「家族の自律性」とは三つ同時には実現できないと言っている。...</summary>
    <author>
        <name>芦田 宏直</name>
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            <category term="これからの専門学校" />
            <category term="教育" />
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            <category term="講演関連" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.ashida.info/blog/">
        フィッシュキンは、「メリット」（メリトクラシーのmerit）と「生活機会の均等」と「家族の自律性」とは三つ同時には実現できないと言っている。
        <![CDATA[厳密に言うと、これらの内の二つを実現すると残りの一つは実現できない「トリレンマ」に陥る。
 
「実力」と言っても、最初から恵まれた立場に置かれてしまえば、その本人の「実力」とは言い難い。実力主義は、家族主義的な階級制と反するように見えるが、結果的には家族主義的，地域主義的な“格差”を温存する場合も多い。純粋な「機会均等」は、存在しない。機会を与える前に決着が付いてることの方がはるかに多いのかも知れない。
 
「メリット」と「生活機会の均等」とは「子供は社会の子供」という立場にほぼ立っている。後者の「家族の自律性」は子育ての権利は（社会ではなくて）親に属しているというものだ。
 
学歴社会における〈学校教育〉の意義は、子供を教育することを、親の影響や地域の影響、あるいは世代の影響から隔離することにある。１＋１＝２を教えることに、あるいは学ぶことに親も地域も世代も（場合によっては社会も）必要ないからだ。
 
つまり〈身分〉や〈格差〉と関係なく、１＋１＝２ということを教えるという場所が〈学校〉。
 
その分、〈学校教育〉にはその〈教員〉資格が国家的に条件付けられている。どんな僻地の学校にも大学を卒業して教員国家資格を持った〈教員〉が「先生」と言われながら存在している。
 
この意味は、〈学ぶ主体〉を〈学校教育〉以前には認めないということだ。学ぶ主体を〈生涯学習〉的な視点から認めてしまうと、結局のところ、自動詞的な〈学び〉が前面化する。学ぶ「意欲」や学びの「個性」が前面化する。
 
言い換えれば、何か〈を〉学ぶという対象への集中（漱石的な〈則天虚私〉）よりは、それ以前に存在する抽象的な〈私〉の〈学び〉が存在することになる。世界は、客観ではなくて、〈私〉の自己表現の手段と見なされる。
 
1980年代後半の中曽根臨教審答申以来、個性教育と生涯学習はパッケージで前面化してきた。〈個性〉ばかりではなく「関心・意欲・態度」が各科目評価に加わったのも中曽根臨教審答申を受けた92年の新学習指導要領以来のことである。
 
ペーパー試験で100点とっても「関心・意欲・態度」の“悪い”者は、80点扱いになる。評価全体の内、２割が「関心・意欲・態度」評価に当てられている。つまり〈知識〉や〈技術〉の累積と「関心・意欲・態度」とは別のものだという判断がこの評価には働いている。
 
外面的な（＝外からの）注入型の教育と「関心・意欲・態度」が切り離されてしまえば、この「関心・意欲・態度」を担う主体は、学校教育以前の〈パーソナリティ〉でしかない。いわゆる〈人間論〉が前面化する。
 
人間はそもそもが内発的に学習する主体（＝学びの主体）だという生涯学習論の思想的基盤もそこにある。教員は（上から権力的に）教える者ではなくて、サポーター役、あるいはファシリテーター役に留まる。
 
〈学校教育〉以前の〈学びの主体〉とは、結局のところ、親や地域の（あるいは時代や社会の）影響を色濃く受けた〈主体〉に過ぎない。
 
〈学校教育〉に、「上から」の「権力」が存在するとすれば、この親や地域の影響という地上性を払拭する為のものであるからに違いない。
 
実際、池田寛（大阪大学）、苅谷剛彦（東京大学）たちが明らかにした「関西調査」では、学びの個性論教育、あるいは意欲主義教育は、むしろ、学力格差を拡大することになったことをデータから示している。
 
「関西調査」の結論は三つある。一つには、中曽根臨調以来の個性主義教育＋意欲主義教育は学力格差をむしろ拡大するということ。二つ目には、意欲を育てるのはむしろ学力であって、学力のない者は意欲もないということ。三つ目には、「学び合い」などの児童・生徒たちの意欲的な「学び」を前提とした「新学力観」型授業は、学力格差を拡大するということ。この三つである。
 
このことを一言で言えば、苅谷の言う「インセンティヴディバイド」となる。
 
結局のところ、中曽根臨教審以後の個性主義教育＋意欲主義教育は、〈学校教育〉に《家族》と《地域》を持ち込んだだけのことである。それは〈キャリア教育〉の名の下に、《社会》が〈学校教育〉に入り込みつつあるのと同じ事態だ。
 
現在、〈学校教育〉は、入口と出口において、その境界を無くしつつある。この事態は〈学校教育〉が〈生涯学習〉と等置された臨教審路線の反映に過ぎない。80年代と、バブル期以降、IT革命以降のグローバリゼーションによる労働市場の大変化（高卒市場の10分の一の縮小）＝キャリア教育の登場とは一見、別物のように見えるが、しかし臨教審の〈学校教育〉＝〈生涯学習〉論は〈キャリア教育〉に親和的である。
 
臨教審当時、書記係役的に関わっていた寺脇研は、新学力観型の「ゆとり教育」批判にさらされた後にも次のように振り返っていた。「『ゆとり教育』へと進む方向は、明らかに時代の要請であり流れです。そもそも、こうした流れは、一九八四年に中曽根首相の主導のもとにできた臨時教育審議会（臨教審）で確立されました。いまの『錦の御旗』は臨教審なのです。そこで『生涯学習』という理念が決まりました。学校中心主義からの転換、教師による『教育』から生徒中心の『学習』への転換です。この理念の延長にいまの教育改革がある。ですから『ゆとり教育』の枝葉については否定できても、その根本理念を否定できる人はいないはずです」（2004年2月号　中央公論）
 
結局、「学校中心主義からの転換」としての生涯学習論は、〈学校教育〉否定論であり、〈学校教育〉以前に〈学びの主体〉を想定する家族＝地域論＝社会的ニーズ論（キャリア教育）なのである。
 
高等教育が学生顧客論（学生消費者論）に立つのは、90年代に始まる少子化現象がマーケット主義を増長させるからではない。生涯学習は元々が顧客＝消費者主義。〈学ぶ〉ことは、学ぶ者の〈手段〉にすぎない。
 
通常、生涯学習的な講座の受講者傾向は、学ぶ目的は受講者の側にあり、カリキュラムや科目は手段に過ぎないということにある。何のために役立てるかは、受講者の受講目的次第ということになる。
 
生涯学習マーケットの大半を構成する社会人がいまさら何の役に立つかもわからないものを自費で受講したりはしないからだ。従って生涯学習講座評価の根拠は受講者の側にある。この種の講座評価が受講生アンケートでなされるのはその意味でのことだ。
 
しかし、〈学校教育〉が対象とする児童・生徒・学生は、まだ社会人のようには〈目的〉を自律的に持てない。この「持てない」というのは、何らかの限界や無能力を意味しているわけではない。
何にでもなれるし、何を目的にすることもできるということが、若者（児童・生徒・学生）の、つまり次世代を形成する人材の特質だということだ。
 
〈学校教育〉の対象である若者（児童・生徒・学生）は、〈学校教育〉を通じて目標を見出すのであって、そこに〈学びの主体〉は存在しない。〈学びの主体〉を形成するところが〈学校〉であって、〈学校教育〉は〈学校学習〉ではない。
 
この〈教育〉の「上から」目線、「権力」目線は、〈学校教育〉の対象である若者を家族・地域・社会から引きはがすためのものであって、社会的な階層流動性の原理をなしている。
 
一条校の〈学校〉（学校教育法の第一条「学校とは…」に分類された学校）の〈学校〉に、立派な校門と塀が存在しているのは、家族・地域・社会から〈学校〉が相対的に自立しているからである。
 
この自立性こそ、「ジェネラル」エデュケーションや「リベラル」アーツのパワーを形成している。
 
フィッシュマンの言う「家族の自律性」は子供の教育権を家族（親）が有しているというものだが、これは通常東京の名門私立学校の〈面接〉主義選抜（名門の再生産）を意味している。
 
この点では、「家族の自律性」は階層再生産の原理（メリトクラシー・生活機会の均等と対立する）でしかないが、一方でこの自律性は、どんなに社会から（反社会的な犯罪者として）阻害されても、「この子は私にとってはかけがえのない子供」と言える自律性でもある。
 
つまり「家族の自律性」の反社会性（反メリトクラシー＋反機会均等主義）は、それ自体階層の流動化の原理でもある。名門であれ、「下流」であれ、家族は家族なのだ。家族は「社会の基本単位」なのではない。
 
家族の反社会的な閉鎖性はそれ自体、社会的な革命の原理でもある。この閉鎖性の意味が〈学校〉の校門と塀だと言ってもよい。学校の〈校門〉と〈塀〉は、したがって閉鎖的なものではない。「ジェネラル」と「リベラル」の砦なのである。
 
〈学校教育〉の〈教員〉とは、その意味で社会的な〈親〉である。〈親〉が子供満足のために子供を〈育てる〉のではないようにして、〈教員〉や〈学校〉にとって、子供（児童・生徒・学生）は〈顧客〉なのではない。
 
子供は他動詞としての学ぶことの中で、つまり〈対象〉に没入することの中で、学ぶことの目的を見出し、〈主体〉を形成していくのである。〈学ぶ主体〉の〈学び〉が先にあるのではないのだ。
 
「ジェネラル」エデュケーションや「リベラル」アーツにおける〈教養〉主義とは、〈学ぶ主体〉の自主性に収まりきらない或る過剰を意味している。この過剰こそが家族や学校の〈自律性〉を形成している。
 
〈学校教育〉は、臨教審の生涯学習論、受講者を〈学ぶ主体〉と見なす生涯学習論、つまり顧客学習論とは異質の自律的な〈教育〉を有している。
 
〈学校教育〉は、校門と塀によってこそ、「ジェネラル」で「リベラル」なのである。


※以上、3月に大阪梅田で開催された内田樹さん達との関西フランス語教育研究会「異文化理解と外国語教育　―　大学における教養主義教育はどこへ行く」（http://www.rpkansai.com/rpk2011/grilles20110322.pdf）パネルディスカッションの私分事後報告レポートです。これすべてただで書かされています（笑）。出演料も交通費もただでした。おまけに懇親会の参加費も取られました。とんでもない会でした（と内田さんと言い合っていました）。<a href="http://www.blogmura.com/">→｢にほんブログ村｣</a></span>

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    <title>講演：現代若者論と高等教育・キャリア教育における大学改革　―　「オンライン自己」論＋「Twitter微分論」のその後</title>
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    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://www.ashida.info/blog/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=1/entry_id=1521" title="講演：現代若者論と高等教育・キャリア教育における大学改革　―　「オンライン自己」論＋「Twitter微分論」のその後" />
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    <published>2011-06-24T07:32:24Z</published>
    <updated>2011-07-17T01:25:06Z</updated>
    
    <summary>来月、東京で講演を行います（http://www.rosetta.jp/news/index.html）。2月の帯広講演＋5月の広島修道大学FD研修講演＋日経BPnet連載最終回＋Twitter微分論の最新バージョンでお話しする予定です。ふるってご参加下さい。 日時　７月２４日（日曜）１３時から１７時（受付は１２時４０分～） 場所　浜松町産業貿易センター浜松町館（都立産業貿易センター浜松町館）　JR山手線、京浜東北線浜松町駅徒歩5分。（http://www.sanbo.metro.tokyo.jp/access.html） ●講演 現代若者論と高等教育・キャリア教育における大学改革　―　「オンライン自己」論＋「Twitter微分論」のその後 参加費　２５００円（資料代込み）　...</summary>
    <author>
        <name>芦田 宏直</name>
        <uri>http://www.ashida.info/</uri>
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            <category term="講演関連" />
    
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        <![CDATA[来月、東京で講演を行います（<a href="http://www.rosetta.jp/news/index.html">http://www.rosetta.jp/news/index.html</a>）。2月の帯広講演＋5月の広島修道大学FD研修講演＋日経BPnet連載最終回＋Twitter微分論の最新バージョンでお話しする予定です。ふるってご参加下さい。

日時　７月２４日（日曜）１３時から１７時（受付は１２時４０分～）

場所　浜松町産業貿易センター浜松町館（都立産業貿易センター浜松町館）　JR山手線、京浜東北線浜松町駅徒歩5分。（<a href="http://www.sanbo.metro.tokyo.jp/access.html">http://www.sanbo.metro.tokyo.jp/access.html</a>）

●講演
現代若者論と高等教育・キャリア教育における大学改革　―　「オンライン自己」論＋「Twitter微分論」のその後

参加費　２５００円（資料代込み）　]]>
        <![CDATA[参加申し込み方法、 staff@rosetta.jp あてに
「芦田宏直先生講演会参加希望」とタイトルをつけてメールください。

１）お名前
２）参加人数
３）ご職業
４）懇親会のご希望の有無

をお忘れなく。

その後、参加費を事前にお支払いいただいたき、その時点で、参加申し込み完了といたします。7月23日までお申し込みを受け付けております。

参加費のお支払いは、上記同様に出版社：ロゼッタストーン staff@rosetta.jp までメールをお送りください。
折り返し振り込み方法などを指示させていただきます。お手数ですがよろしくお願いします。
　
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    <title>接遇＝コミュニケーション能力と専門教育と　―　キャリア教育は本来の学校教育を衰退させる</title>
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    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://www.ashida.info/blog/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=1/entry_id=1520" title="接遇＝コミュニケーション能力と専門教育と　―　キャリア教育は本来の学校教育を衰退させる" />
    <id>tag:www.ashida.info,2011:/blog//1.1520</id>
    
    <published>2011-05-15T14:19:31Z</published>
    <updated>2011-05-16T04:09:48Z</updated>
    
    <summary>1.	最近、通っている散髪屋が気になる。...</summary>
    <author>
        <name>芦田 宏直</name>
        <uri>http://www.ashida.info/</uri>
    </author>
            <category term="これからの大学" />
            <category term="これからの専門学校" />
            <category term="教育" />
            <category term="自己ベスト" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.ashida.info/blog/">
        1.	最近、通っている散髪屋が気になる。
        <![CDATA[2.	洗髪する度に、洗髪中は「かゆいところはありませんか？」、洗髪後は「目や耳に水は残っていませんか？」といちいち聞いてくるのだ。しかも親切で丁寧でさわやかに聞いてくる。

3.	たぶん、「お客様に聞け」と“師匠”によってか“専門学校”で教えられたのだろう。そう言えば、散髪が終わって帰るときにも店の玄関先までその店主が送り出してくれる。これも教えられたに違いない。丁寧だ。

4.	しかし、これはおかしい。この接遇＝コミュニケーション教育は間違っている。

5.	そもそも大概の客は、「かゆいところはありませんか？」「目や耳に水は残っていませんか？」と聞かれて、ここがかゆい、目に水が残っているなどといちいち言いはしない。わがままだと常々言われている私であっても（笑）、かゆいところはあるし、目にも一杯水が残っているが、一度も文句を言ったことはない。

6.	お客様を獲得するのが難しいのは、お客様というものが実は声を上げないものだからだ。声を上げないままにどんどん判断を下しているのがお客様（消費者）というもの。アンケートで商品を作っても魅力的なものにならないのもそれが理由。

7.	この場合の散髪屋とのやりとりでも、大概の客は、へたくそ、と内心思うだけだ。私でさえ我慢する。消費者のパワーがこわいのは声を上げるからではなくて、黙って立ち去るからである。

8.	この散髪屋は、結局のところ、「かゆいところはありませんか？」「目や耳に水は残っていませんか？」と言うことによって顧客に甘えているわけだ。顧客の本当の怖さや要求をわかっていない。

9.	しかし大概の接遇教育は、このレベルのコミュニケーションに留まっている。いわゆるコミュニケーション「スキル」というものだ。

10.	本来の接遇は、顧客にわざわざ聞かないで済むための接遇でなければならない。一流のレストランと三流のレストランの違いでも、顧客にテーブル上で足りないものを意識させてわざわざ手を上げさせてしまったらもう終わりだ。フロアマネージャーがお客様のテーブルの食事進行をいつも見続けていて対応できるかどうかが一流かどうかの鍵（の一つ）を握っている。

11.	結局のところ、この散髪屋の接遇対応は満点だが、満点であるが故に落第というものだ。

12.	たとえば、目や耳に水が残らないための「拭き取り」とは何か。どうすれば目や耳に水が残らないための「拭き取り」ができるのか。それができれば、わざわざ顧客に聞く必要はない。

13.	「拭き取り」は、したがって接遇の対象ではなくて専門教育の課題だ。「拭き取り」という作業（スキル）を、どの程度の解像度（初級・中級・上級「拭き取り」）を持って教えているのかという専門性そのものの課題だ。

14.	接遇教育やコミュニケーション「スキル」教育は、こういった専門教育の衰退を加速させているだけなのである。

15.	「念のためにお客様に聞いてみよう」と教えながら、結局、「念のため」ではなく、〈基本〉（専門的な基本）ができていないのだ。「念のため」というのは〈基本〉ができていないことをいつも隠すように機能している。

16.	「単に専門知識や専門技術を教育するだけでは意味がない。接遇教育やコミュニケーションスキル教育も必要」と言われる場合の「単に」も同じ。

17.	いったいいつ大学教育や専門学校教育が専門知識や専門技術を徹底して教えたことがあるというのか。

18.	その検証もせずに、「念のため」「単に」とあいまいな言葉を並べながら、キャリア教育やコミュニケーション教育が屋上屋を重ねるように高等教育の諸課題を見えなくしている。

19.	キャリア教育とは、本来「拭き取り」を完璧に遂行できる能力が前提でなければならない。それなしに理容師の「キャリアデザイン」などあり得ない。

20.	お客様の顔に残った水を拭き取れない理容師、指先で頭皮のかゆいところを感じ取れない理容師に、どうキャリアデザインを描けと言うのだ。

21.	ところが実際は、「拭き取り」教育の解像度が低い学校ほど、“キャリア教育”“コミュニケーション教育”に走っている。

22.	就職センターの充実がコアカリキュラムの衰退を招くように、「スキル」教育＝“キャリア教育”“コミュニケーション教育”の充実は、むしろ専門性のストックの衰退（教員の専門性の衰退）を意味している。

23.	あらゆるスキルやコミュニケーションは、専門性の研鑽と薫陶の結果出てくるものに過ぎない。

24.	input（ストック）のないoutput（コミュニケーション）は存在しない。教育におけるoutputは、inputの強化のためにあるのであって、「スキル」そのものを磨くためにあるのではない。

25.	大学や専門学校がキャリア教育やスキル教育に走るのは高等教育の自殺行為でしかない。そんな学校は早晩滅びる。コミュニケーション能力や即戦力を期待する三流企業と共に。<a href="http://www.blogmura.com/">→｢にほんブログ村｣</a></span>

（Version　2.0）

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